★「お陰様で」使ってますか?
今朝瞑想後にある大きな閃きがあり、私を感動させたが、感性人間の私は
あまり考えことなく、ほとんど感覚で生きている。そのためか、比較的
ラッキーな人生を生きてきた。そんな閃きは、意識の水面下にある潜在
意識(無意識)からだが、私は潜在意識に「有難う」と必ずお礼を言う
ことにしている。(自分への感謝)
知人の中で恵まれた環境なのに、何故か幸薄い人を見ると、自分には
問題がなくても、家族に問題があり、それに悩まされている人もいる。
これは私の価値観か知れないが、自己肯定はできても「感謝の気持ち
がない」人が多いようで、その「問題の主も感謝の気持ちがない」。
自然に湧き上がってくる、さまざまな出来事に対する気持ちは、場面
にょるが「お陰様で」と表現できることが多い。
でも、そんな人と会話していると、色々な話題の中ではそんな言葉は
まったくない。
ゼネレーションのギャップはあるので、一概には言えないが「お陰様」
の反対語は「当たり前」「当然の事」だ。お陰様でとよくいう人は、自然
の恵み、何事もなく無事に過ごせた一日、他人に親切にされたことなども
そのように感じるようだ。見方を変えれば、病気、事故、事件、自然災害など、私達はいつも「薄氷を踏むように」生きている。
当たり前のことでも、感謝の気持ちが強い人は、そんなことでも有難い
なと思うようだ。
「能里メソッド」の一つに、「一日必ず5つ、嬉しかったこと、得したこと、親切にされたこと、感動したこと、何でも良いから毎日5つ記録する」宿題
があった。その記録を次回の指導時に必ず見せることだったが、クライアントは「そんなに毎日良い事なんてない」と、必ず言った。
たとえば「信号についていた」「お昼のランチが美味しかった」「失敗し
なかった」「自分好みに異性がいた」など何でもよいと説明する。
すると、初めはそんな答えが多いが、(何時も同じではどうも)と思う
ようで、物事の観方がだんだん方向転換してくる。
やがて、空がきれいだった、赤ちゃんが自分を見て笑ってくれた
街路樹がきれいだった、など、だんだん感覚的になってくる。
同時に、当たり前のことが「お陰様で」とか「有難いな」と感じてくる
ようだ。
これが「観の転換」となり、人生が大きく変化する。
私のカウンセリングルームをサポートしてくれた、ある大学講師は
「学術的ではないが、ユニークで大変優れた指導法だ」と褒めてくれたが
この指導法は世界でも発表した。 人間関係がよくない、ついていない
文句が多い、楽しくないな、などと感じていたら、あなたもトライして
みませんか!もしかしたら、人生が変わるかも知れませんよ!
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