ワニなつノート

学ぶのは人


学ぶのは人



一番よく学ぶのは人

私の子ども時代を振り返っても、
大人になってからも、
一番よく学んできたのは人でした。

学校でそして人生で、
一番よく学んできたのは人でした。

例えば、知識や技術を学ぶとき、
教えてくれる人への信頼や安心、その人柄を同時に学ぶとき、
そこに最も豊かな学びがありました。
その学びこそが、私の一生を支えてくれています。

わたしが一番よく学んできたのは人でした。
そして私をもっともよく支えてくれたのも人でした。

そうであるなら、どんな障害があっても、その豊かな学びができない子どもがいるはずがありません。

知的障害のために点数が取れないなら、学校に来るなという「定員内不合格」は、教育の放棄でしかありません。
学びを必要としている目の前の子どもを切り捨てる人間が、人間を大事にすることを教える事はできません。

人とのつながりから切れた知識や技術は、人を支えようとはしません。
障害児を切り捨てる校長の知識や技術は、それを体現しています。


勉強ができないから、学ばせない ?
そんなばかな話があるものか。
一番よく学ぶのは人。
なんのために、教師として、学校にいるのか。
知識や技術だけを学ぶことが教育だと学んできたのだろうか。
子ども時代のどこかで、人を学ぶことがなかったのだろうか。

人に敬意をもつ心を教えてくれる先生に出会わなかったのだろうか。

一番よく学ぶのは人。
この子たちは、小学校、中学校を通して、先生という人を学び、学校という場所を学び、友だちや仲間と生きることを学び、その信頼の基に、高校という学校でみんなと学ぶことを選び取ったのです。

知的障害のために点数が取れず、3回連続で同じ高校を「定員内不合格」になり、4回目の受検でやっと高校生になれた子がいます。
彼は去年、「高校生活で一番よかったことを教えてください」というアンケートにこう答えてくれました。

「中学とは違う、大人扱いしてくれるところです。」

私が今まで20年余り憶測で話していた内容を、
彼はちゃんと言葉にして教えてくれました。

知的障害とは、「知的」と言われる思考が「遅れている」ということになっています。
でも、私は私と彼は、人を学ぶ同士としてまったく対等であると感じています。
話の通じない教員や教育委員会の人たちより、よほど「知的」に賢い人だと心から感じています。

人を学ぶこと、人間を学ぶこと、そして人間の社会で生きていくことを学ぶことは、とても大切な「知的」な学びだと私は思います。


一番よく学ぶのはひと。

子どもが学校で一番よく学んでいるのは人です。
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