ワニなつノート

地図をくれた人

地図をくれた人


       

そこに行けば、違う世界がみれるって思ったんだ。

だけど、どうやったらそこに行けるのか、分からなかった。

ぼくは地図をもってなかったから。

       ◇

ここの人たちは、ぼくの知ってるのとは、違うものを大事にしてる。
子どもが大事にされるのは、ぼくのいた世界でも同じだけど、なにかが違う。
はじめは、歩けない子やしゃべらない子も大事にされてるから、それが違うのかって思った。

だから、ぼくはどこまでなら大事にされるのって聞いて歩いた。
ずっと歩けなくても?
大人になってしゃべれなくても?
ぜんぜんいい子じゃなくても?
「どこまで」なら大事にしてもらえる?

でも、みんな困ったように笑って首をかしげるんだ。
ぼくの聞いてることが分からないって顔でね。

でも、ここに暮らしているうちに、ぼくにも分かってきた。

「どこまで」じゃないんだ。
「どこ」も「そこ」もないんだ。
だって、この子がここにいるんだから。

だからね、「どこまで」がいっぱいあるんじゃなくて、ここの人たちには「どこまで」がないんだよ。
いつだって、いまこの子とここにいることが、いちばん大事なことだから。


       ◇       ◇        ◇




私はいつ、そこに向かって歩き出したのだっただろう。

同じ時代、小学校にも入れてもらえない子どもがいて、校門の前で座り込みをしていると知ったとき…。
知ちゃんと幼児教室で一年過ごして…。
たっくんに出会って。
朝子と伊部さんや純子さんに出会って…。
いくつもの出会いを通して、私はそこに向かう自分を確かめてきた。


          ◇


私がいつ、そこに向かって歩き出したのか。
保育園で廊下に立たされていたころ…。
父ちゃんと教育委員会に呼びだされたころ…。
そのころのいつかだったと、今なら分かる。

どうして、そこに向かったのか。
答は簡単なこと。
そこが、私にはどうしても必要だったから。

いい子だからとか、勉強ができるからじゃなくて、
悪い子でも、勉強ができなくても、
私がまるごと私でいられるところ。
大好きな大好きな大好きな友だちや仲間のいる世界から、分けられることに怯えなくていい世界。
そこが、私にはどうしても必要だった。


そこに行く地図をくれたのが、中学から大学まで隣にいてくれた彼女だった。

もう三十年も会ってないけれど、いつか死ぬまでに一度くらいちゃんとお礼を言えるといいな。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「誰かのまなざしを通して人をみること」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事