ワニなつノート

いまの仕事 (その3 資料編)

いまの仕事 (その3 資料編)


先日、ホームのことについて1時間余り話す機会がありました。
何をどう話せばいいのか迷いながら、うまくいかなかったときのために、資料だけでも読んでもらえたら…と、自分が忘れないようにと思っている言葉を資料にまとめました。

何度も繰り返しているものもありますが、ここにメモしておきます。

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【1】アリスミラー  『才能ある子のドラマ』 人文書院


◇子どもに対する暴行や、差別を回避できるようにするためには、まずそもそも、それらが体験として意識されなければなりません。

子どもを傷つける微妙で複雑なやり方に気づくことができるようになって初めて、子どもに対する敬意を育てることも可能になります。


子どもは生まれ落ちたその日から、この敬意なしでは精神的に成長できません。

この感覚をとぎすますやり方はいくつかあります。
たとえば、知らない子どもたちを観察し、その子どもたちの気持ちを感じ取ろうと努力するというのもその一つです。

それによって何よりも、自分自身の運命に対する共感が育つのです。


◇ その子が必要なだけ十分に母乳を与えられてきた子どもは、もはや母親のお乳を飲もうとしなくなる。母親のおっぱいを「諦める」ように何もわざわざ教育する必要はないのである。

たっぷり長期にわたって「自我中心的」で、「貪欲」で、「非社会的」であることができた子どもは、おのずといつかは分かち与えることに自発的な喜びを覚えるものなのである。


◇「他者に対する敬意」

もし、一人の親が自分自身に、そしてわが子に、その子の人生第一日目から敬意を払うことができるならば、その母親はわが子に「敬意を教えこむ」必要はさらさらない。
その子はおのずと自分と他の人たちを、真面目に考えざるをえないであろう。

ところが、自分の親から子ども時分にあるがままの存在として真面目に受け取られてもらえなかった親は、教育という助けを借りて、敬意なるものをこしらえようとするであろう。

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【2】 向谷地生良 『わからないことは希望なのだ』アルク
            『技法以前』 医学書院

…人間って、人と人とのつながりが見えなくなってくると、ものすごく恐怖を感じる。
「誰かがそばにいる感覚が失せた状態」なんだそうです。

そこで、手っ取り早く誰かのそばにいる感覚を取り戻すために、誰かを困らせたり何かを壊したりするわけです。

そうすると、お巡りさんも含めた誰かが駆けつけてきてくれる。

言ってみれば、酸素が突然なくなってもう息が吸えない、というのに近い状態だそうですから、それは怒鳴られようが叱られようが、人とつながることには代えがたいものがある。

叱られたり怒鳴られたりすることなんて、もう、命を失うことに比べたらささいなことです。





《「自分」を助けることを助ける》

…じつはリストカットであろうが、大声を張り上げ壁に穴をあけたりする《爆発》であろうが、その行為には、切羽詰まった当事者自身の「自分の助け方」としての側面が潜んでいる。

 「自助=自分を助ける」という営みに欠かせないのは、「助ける主体としての自分を見い出す」ことであり、そんな「自分自身と出会う」ということである。

「自助の援助」とはその基本において、自分自身との出会いを通じて他者とのつながりの回復と創造を目指すプロセスである。

つまり「自助」の反対語は、一般的に思われる「依存」ではなく、「自己の喪失」と「孤立」なのである。


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【3】石川憲彦  『こども、こころ学』 ジャパンマシニスト
 

(ア) 「抱えている問題や悩みを解決したいができない」という、当人の焦り、いらだちを理解しているか。

(イ) ときに虐待を後悔したり、虐待の最中に痛みを感じたり、虐待する自分にいらだつ当人の孤立を、どの程度理解できているか。

(ウ) 自分の問題に精一杯で、虐待しているときづくゆとりもない当人の状況を理解しているか。

① このうち、どれか一つでも理解できる人は、横にいて一緒に考えてゆける理解力をもっています。
へたな説教も、子どもへの配慮も後回し。
殴っている当人の味方に、とことんなってあげることです。

真の味方さえいれば、真の問題の解決には手間取る場合でも、虐待は、ただちに様相を変えます。
孤立してゆとりがないからこそ、つい手が出てしまうのですから。


②理解できても、うまく味方になれそうもない。
そう感じる人は、まず「自分のどこが相手に抵抗があるのか」心から信頼できる人と、相談してみてください。
自分の弱さ、限界、欠点を理解できると、相手の弱さにうまく味方できるようになります。


③三つともできない。
こうなるとやっかいです。

あなたの側に理解できないかたくなさがあるのか。

それとも、相手があなたの想像を超えるたいへんな状況に追い込まれているのか。

いったいどのどちらなのでしょうか。

それによって、味方になるなり方も、変わってきます。
まずこの点を確実に見極められる人を味方に誘い込むことが先決です。


④ここに書かれたやり方なんて、とても待っていられない。
もし、生命にかかわるような危険がせまっているなら、一時的に親子を切り離すことが、すべてに先立つかもしれません。
しかし、分離はあくまでも、どちらかに身体的な危険があるときに限ります。
明確な生命の危機以外に、待っていられない事態など存在しません。


⑤それでも、待つことができない。
とすれば、残念ながら、二人の横にいて、二人の状況に耐える許容度が足りないという、
あなたの限界です。


至急、この限界を補いあえる人々に援助を求め、味方を増やしていくなかで、自分を育てていくことを真剣に考えてください。

真の原因は、虐待する者の無力と孤立を深める状況にあります。
一人だけですべてを背負い込まず、必死に援軍を求めることです。味方は、きっと近くにいるはずです。

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【4】 芹沢俊介『「存在論的ひきこもり」論』 雲母書房

 親はこうした子どもの孤独な闘いをひたすら見守ること、つまり受けとめること。

そのためには親自身が自分を根気よく受けとめ続けることができなくてはならない。
すなわち自己を受けとめる力を強化することが不可欠である。

自己受けとめができないとき、子どもを受けとめることはできない。

具体的に言えば、おろおろする自分に耐えること。
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