ワニなつノート

わたしは、無条件に子どもの側につく(その4)

わたしは、無条件に子どもの側につく(その4)

《昨日のコメントへのコメント》



ひとつ、ひとつ、コメントを書いている途中で
気がつきました。

長すぎるので、本文でいれます(>_<)


aiさん ありがとうございます。
コメントでは返しきれないものをいつも感じます。

一つ、私の方が「誤解のある表現」がありました。
Kさんが亡くなった時には、夫は健在でした。
ただ、これもこの業界では常識ですが、
「普通学級」という居場所を、身体を張って、
人生をかけて守っているのは、
ほとんどの場合、「母親」ですよね。

全体からみれば、
障害のあるふつうの子どもが、そもそも少なく、
その中でも、
「普通学級」に入れようとする親は少なく、
小学校の学年が上がるごとに減り、
中学はさらに減り続け、
その中でも、
「0点でも高校まで」がんばる親は圧倒的に少なく、
さらにその中でも、
「母親」たちと同じくらいがんばる「父親」は、
希少で……。

そして、「障害のある子ども」が、大人になったとき、
「かわいい子には、一人暮らしを」という親は、
これは父親母親にかかわらず、
さらにさらに極小になり…。

なんだか、納豆の宣伝コピーみたいな
気がしてきたぞ(;一_一)

Kさんのことと、
そして、
極少数の「父親」だった、
私の師匠の伊部さんのこと、
次のブログに入れます。

(両方、ブログのどこかに入れてある文章ですが、
たどりつくのは難しいと思うので…)

それと、これもまた書きますが、
「親でなければならない」のは、
子どもが子ども時代のことですよ(^_^)v
「義務教育」を受けさせる義務があるのは、
「親」ですから。

親の考え一つで、子どもの生きる場所、
子どもの地球がまったく違う星に変わるのです。
(o|o)

そして、たとえば子どもが二十歳になれば、
そして、その子どもに、「ふつうの子ども時代」と、
信頼できる仲間を、関係を、作ることができれば、
親はなくとも、子どもは「施設」に閉じ込められることなく、
街の中で、暮らしていく道は開けます。
開きましょう。

歩さんのお父さんは、歩さんに、
そして、私たちこそが、幾度も幾度も
支えられる言葉を遺してくれました。

歩さんの二十歳のパーティの直前にガンがみつかり、
緊急入院した平本さんが、
病床から歩さんに送った言葉です。

「二十歳まで面倒みた。
親の責任は果たした。
後は自分で考えて生きていけ」


24時間人工呼吸器をつけて生きる二十歳の娘に、
そう言い遺していった平本さんの思いを、
わたしはいまも、深く考えないようにしています。
朝子を置いて、亡くなった伊部さんの思いも、
やはり深く考えないでいます。
わたしに考えられるとは思えないから。


先日、歩さんから初めてメールをもらいました。
頼んでいた原稿を送ってもらっただけなのですが、
「件名」に、「平本歩です」とあるのを見て、
なんだか芸能人からメールが届いたような気がしました。
それに、20代の若い女の子からメールが届くのも、
もうめったやたらにないことですし(^.^)/~~~

ブログに届くコメントも、
子どものお母ちゃんばっかりだしな~~。
あ、これ、削除。(゜゜)


そうそう、だから、
小学校に入るくらいで、親が遠慮なんかしてたら、
障害のあるままの姿で、成長し、大人になり、
二十歳になり、自分で考えて生きていかなければいけない
子どもに失礼だろ…と、そう思うのです。

たかが、6歳、15歳の子どもを、
学校に入れるくらいで親が遠慮してたら、
この子たちは、どこで、
遠慮しないでつきあえる友だちに出会えるというのか。

やっぱり、そう、思います。
でも、そのことを、2時間やそこらで、
しかも、言葉なんかで、
どうやって話せばいいんだろ(・。・;
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