1月17日 吉田さんのこと
先日、《女性専用車両と障害者》で、
吉田さんという人のことを紹介しました。
『ゆびさきの宇宙』という本で読んだだけで、
お会いしたことはありません。
ただ、その生き方と一枚の写真の顔が、
わたしのなかで伊部さんと重なっています。
自分の言葉で紹介できませんので、
『ゆびさきの宇宙』から引用します。
□ □ □
2007年2月10日、
「親分」吉田を偲ぶ会が神戸で開かれ、二〇〇人が集った。
「天国では耳でなく、魂で聞かれていますね。
私たちの声は聞こえておられますね。
阪神淡路大震災の被害をきっかけに、逆に、
盲ろう者を探し出して励まし合う活動を始められました。
強さと行動力を忘れません…」
福島は語りかけた。………
□ □ □
吉田は15歳で大阪ガスに入り、16歳で肺結核に。
その薬の副作用から19歳で聴力を失う。
二〇代半ばから網膜の病気のため視野がしだいに狭まり、
四〇代で失明した。
死を思ったこともあったが、
福島と出会って指点字や触手話を知り、
生きる勇気をえる。
1995年1月、阪神淡路大震災が襲う。
一人暮らしの吉田のマンションも半壊した。
ガス漏れは?
必死でにおいをかいだ。
しょうゆのにおいがした。
東京や大阪の支援者が駆けつけ、なんとか落ち着いたら、
じっとしていられなくなった。
「ぼくと同じ障害を持つ人が、ほかにも神戸にいるはずや」
ガスが止まった街で電磁調理器と救援物資を手に、
盲ろう者を訪ねる。
翌年、「兵庫盲ろう者友の会」をつくり、
支援の充実を行政に働きかける。
話し始める前には、いつも必ず「いいかね?」と
参加者や通訳者たちに声をかける、
あたたかな人柄だった。
市内の自宅から一人で地下鉄に乗って、
友の会の事務所に通っていた。
病に伏すまえ、事務所に出かける吉田といっしょに歩いた。
吉田は白い杖をつき、地下街を進む。
全神経を集中している。
びっくりするから「何があっても、絶対に体に触らないように」
と注意されていたので、離れてついていく。
行く手の点字ブロックの上に、雨漏りよけのさくが!
だが注意するまもなく、ぶつかって転んだ。
駆け寄り、あやまる駅員の声は吉田には届かない。
そして、私の声も。
吉田は立ち上がって、また杖をついて歩き出した。
地下道ですぐ横を通るお年寄りや、車いすの人も、
よちよち歩きの子どもさえ、凶器に見えた。
吉田は見えず、聞こえないのだ。
事務所に着いてから、指点字通訳者に通訳してもらって、
転倒の話を聞いた。
「放置自転車もあるし、あんなん、しょっちゅうよ」
よく転んでけがをするそうだ。
顔や手、そして向こうずねも傷だらけ。
酔っ払いにからまれたときは、
見ていた人が携帯で警察に連絡してくれた。
腹がたって泣けてきませんか。
「怒りはあるけど、悔しさで嘆いたりはしない。
改善することを考える。
警察が来たら、せっかくの機会だから、
盲ろう者のことをくわしく聞いてもらう」
『ゆびさきの宇宙』
生井久美子 岩波書店
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