ワニなつノート

【助けづらい話】(2) 



《優君と歩さんの本をながめながら》



優君が亡くなって数日後、注文していた平本歩さんの『バクバクっ子の在宅記』が届いた。
歩さんには、千葉の高校の会の20周年記念集会に来てもらったことがある。

そういえば優君と歩さんは、千葉の集会で会ったことがあるんだなと思い出した。
高校の会の20周年記念集会だった。

講演のタイトルは「自立に向かって邁進せよ」。
歩さんのお父さんの遺した言葉。

優君の方が2歳年上だったが、歩さんが呼吸器をつけて自由に人生を楽しんでいる話は、優君にも元気の出る話だったんじゃないかと、今さらながら思う。


       ◇

歩さんは1985年生まれ。生後半年で呼吸器をつけている。

「当時、人工呼吸器と言えば、病院据え置き型のもので、人工呼吸器が欠かせない子どもたちは、病院で天井を見ながら一生を終えるしかないと考えられていました。」

当時はポータブルの呼吸器は成人用のものしかなく、ストレッチャーもお父さんの手作りだったと書かれている。

「父がホームセンターでパイプを買ってきたり、粗大ごみの日に自転車のタイヤを拾ってきたりして、ストレッチャーを作ってくれました。設計から材料集めまで全て試行錯誤でした。」

「その後、…少しでも子どもらしい生活をさせてあげたいという一致した思いの下、医療スタッフと家族がともに努力や創意工夫を重ねた結果、やがて、子どもたちは、家族と一緒に病院からの外出や外泊ができるようになりました。」(※)
      

         ◇


歩さんの本を読みながら、私は「助ける」(助けづらい)ということを考えていた。

困っている子どもを「助ける」とはどういうことか? 

子どもが「困っている」のは何か?

子どもが求めている「助け」(援助)は何か?

歩ちゃんも優君も、私が出会ってきた子どもたちが必要とした「助けて」は同じなのだ。

その根拠は、「子ども」だから。

そのとき、その場で、何かに困って、「途方に暮れている子ども」だから。






「三歳の夏、…(初めての長期外泊の後)、病院に戻ってお風呂が終わり、両親が家に帰ろうとした途端、私は家族と分かれることを感じ、大粒の涙を流し身をよじって泣いたそうです。そして、パルスオキシメーターの心拍数が一八〇台に上がり、アラームが鳴りました。……この涙を見た両親は、私を在宅生活にする決意をしたのです。」※


 ◇


歩ちゃんの両親が、「助けた」のは、「家に帰りたい、家族と一緒にいたいと願う子ども」だった。


「援助ホーム」という仕事をしている私には、「家に帰りたい、家族と一緒に暮らしたい」と願う子どもの思いを、「助ける」ことはできない。
その願いを「助けることができない」子が、ホームにたどり着くのだから。


その「助けられなかった子ども」を、「助ける」とはどういうことなのか。


「親を失い」、「家族を失い」、「地域を失い」、「幼いころから暮らした施設にもいられなくなり」、途方にくれる子どもを、「助ける」とは、どういうことなんだろう。


「自立援助ホーム」なんだから、一人で仕事をして、一人暮らしを援助すること。
形は、分かる。でも、形だけではうまくいかない。

その形プラス、何かとても大事なことがあるのだ。


それを表現したり共有し合うための「言葉」が圧倒的に足りないのだ。

「助けづらい子ども」、とはどういう「子ども」なのか。

「助けづらい」のは、子どもの側の問題のか、「助け方を知らない」私の問題なのか。


(つづく)
        



※『バクバクっ子の在宅記 ~人工呼吸器をつけて保育園から自立生活へ』 平本歩 現代書館2017


※『ひとりひとりの歩みで(からだに障害のある子どもたち』ポプラ社…という写真絵本の中で、小学校5年生の時の優くんの学校生活が紹介されています。
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