ワニなつノート

鉢植えの自信(その4)

鉢植えの自信(その4)


6年生の妹がごく自然におみやげを買ってきたこと。
それは、妹が特殊学級の子どもたちに対して、
差別や偏見を持っていなかったということです。
その場所に近づくことに何の警戒心も持たず、
何の恐さも感じていなかったということです。

妹に聞いたことはありません。
でも、私にとっては、妹がその子どもたちに、
「ふつうの知り合い」のように
おみやげを買ってきたことだけで十分でした。
私は妹とはまったく違う「人間」だと
分かってしまったのです。

いま、こうして言葉にすると、
「いまの私の言葉」になってしまいますが、
あのときは、ただ「人間としてかなわない…」と
感じたような気がします。

そのときまで私は、「そんな人間」が
この世にいることを知らなかったのです。
彼らを、かわいそうと「哀れむ人」や「同情する人」はいても、
「ごくふつうにつきあう」人間がいると思ったことが
なかったのです。


だから、私はあのとき、
自分は「妹とはまったく違う人間」だと感じたのです。
自分が「悪人」だという自覚のようなものです。
それと同時に、私は自分がどんな人間として生きてきたかを
思い知らされました。

自分がどれほど、特殊学級の子どもたちを差別し、
嫌い、気持ち悪いと感じ、絶対に関わりたくないと思って
生きてきたかを、自覚したのだと思います。

話しかけることやつきあうことはもちろん、
そばにいること、見かけることさえ、避けていた自分の姿、
自分の生き方を、その一件は私につきつけました。

そして、それほど毛嫌いし、関わり合いにならないようにと、
いつもどこかで気を張って生きてきたのはどうしてだったか、
今ならよく分かります。

私は一歩間違えば、自分が「分けられる側」の人間、
「分けられかけた」人間なのだと思っていたからでした。
そうでなければ、説明がつきません。
彼らをバカにし嫌っていたのではありません。
ただ自分が「向こう側」にいくことが恐かったのです。

みんなと同じふりをしているけれど、
本当は自分がみんなとは「違う」ということが
ばれないように、ばれないように、
隠しながら生きてきたのでした。

8才の「あの日」のことは忘れていたのかもしれません。
でも、その日の「意味」を、
私は子ども心に考え続けていたのでした。

自分がみんなとは「違ってしまった」ことだけは、
忘れようがなかったのです。
だから、そうしたものをすべて
必死で遠ざけて生きてきたのでした。

みんなと同じ大地に根を張って生きているように
ふるまっているけれど、ちょっと土を掘ってみれば、
私の根は実は「鉢植え」の中にあって、
それをごまかすために鉢植えごと土の中に埋めて、
みんなからは同じに見えるように、
同じ大地に根を張っているかのように、
一生懸命ふるまっていたのでした。

私は妹のようにはなれない人間だと、
その時に思い知ったのです。
こんな話を妹としたことは一度もありません。
(ちなみに、Halの母ではなく、もう一人の妹の方です)
今でもそのときの妹の担任の名前と自宅の場所を覚えています。
その先生の家の前を通るたびに、
そのことを思い出してきたのでした。

(つづく)
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