ワニなつノート

ふつう学級で誰も拒まないということ。の意味


ふつう学級で誰も拒まないということの意味



ふつう学級の「いいところ」は、「いい教育」があるからという訳じゃない。

ふつう学級の「いいところ」は、「6才」以外に条件がない、ということ。

性別や性的志向も制限なく、

国籍や宗教、肌の色も目の色も関係なく、

身長、体重、障害、難病も関係なく、

ひらがなが読めなくても、日本語がしゃべれなくても、

とにかく6才の子なら、誰でも平等に対等に「いちねんせい」の仲間入りをする、という場所。

気管切開をしていも、人工呼吸器をしていても、親の付き添いなく、
親と離れて(つまり、ちゃんと自立への一歩目を)、
同じ6才の仲間といっしょに生活し始める、場所。

「魂はもう残っとらん人間じゃと、新聞記者さん」の書いたという、ゆりちゃんも、今の時代のフルインクルの小学校になら通えるはずだ。


世界中、どこを探しても、これ以上、「無条件」の「肯定的態度」を感じられる場所は他にない。


条件はただ、「生まれて6年目のにんげんの子ども」というだけ。


私たちが子どもに伝えたいこと、教えたいことで、これ以上のことがあるだろうか。

世界中のどんな子どもでも6才になったら必ず仲間になれる場所。

そのための「無条件の肯定的配慮」をしてくれる大人たちがいる場所。


勉強とか、情報とか、音楽とかスポーツとか、子どもの興味関心に応えていくのは、すべてその先、その次、のことなんじゃないか。


ふつう学級のいいところ。

それは、誰も拒まない、ということ。

ただ、そこからだけ、始めようとすること。


なにより、そこが、それが、子どもたちの目にする「子ども社会」「この社会」の、「はじめての受け入れられ方」であり、最初の「おしえ」となる。
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