ブラームスの作品と、ドビュッシーの作品。
どちらにも、和音はたくさんあります。
と言っても、私のお付き合いは、
まだ、ほんの数曲なので、断定的なことは
何も申し上げられません。
そんな、とっても少なくて狭い経験の中から、
私が感じたことを少しだけ書きますので、
その点、ご了承くださいね。
外側の音がオクターブになっている和音の場合。
ブラームスとドビュッシーとでは、
手の状態が、かなり異なると思います。
一番外側の音が同じなのに、
どうして、手応えが違うのでしょう?
単純に考えられるのは、和音の内声の違いですね。
外側の音が同じなのに、内側の音が違うだけで、
手にかかる負荷も違うのです。
きっと、ドビュッシーの作品は、
手の構造に対して、音符の配置が素直な和音が
多いのだと思います。
それが、ドビュッシー独特の世界を
描き出しているのかもしれません。
一方、ブラームスの作品では、
手の骨組みを、ほんの少し不自然な形にしないと
ブラームスの和音が弾けないのかもしれません。
手応えも、耳応えも、随分と違う両者の作品。
ブラームスも、ドビュッシーも、
どちらも、もっともっと素敵に弾けるようになりたい。。♪
どちらにも、和音はたくさんあります。
と言っても、私のお付き合いは、
まだ、ほんの数曲なので、断定的なことは
何も申し上げられません。
そんな、とっても少なくて狭い経験の中から、
私が感じたことを少しだけ書きますので、
その点、ご了承くださいね。
外側の音がオクターブになっている和音の場合。
ブラームスとドビュッシーとでは、
手の状態が、かなり異なると思います。
一番外側の音が同じなのに、
どうして、手応えが違うのでしょう?
単純に考えられるのは、和音の内声の違いですね。
外側の音が同じなのに、内側の音が違うだけで、
手にかかる負荷も違うのです。
きっと、ドビュッシーの作品は、
手の構造に対して、音符の配置が素直な和音が
多いのだと思います。
それが、ドビュッシー独特の世界を
描き出しているのかもしれません。
一方、ブラームスの作品では、
手の骨組みを、ほんの少し不自然な形にしないと
ブラームスの和音が弾けないのかもしれません。
手応えも、耳応えも、随分と違う両者の作品。
ブラームスも、ドビュッシーも、
どちらも、もっともっと素敵に弾けるようになりたい。。♪