子守唄の調 で「HELP!」と控えめに叫んでみたところ、
メールが1通届きました。
どうもありがとうございました。
とても素敵にまとめられた文章なので、
そのまま、こちらに掲載する方が良いくらいです。
しかし、敢えて、私の駄文に
変換させていただくことをお許しください。
西洋と日本とでは、
子守唄を歌う人の立場が違うのかもしれません。
西洋では、基本的に幸せな母親の歌であるのに対して、
日本では、子守役を担った姉や奉公人のことが多く、
子守唄を歌う当人には幸福感が同居しないのかもしれません。
ですから、日本の子守唄は、
労働歌の一種のような位置づけなのかもしれないのですね。
…
奉公人(子ども)の歌で、真っ先に思い浮かぶのは、
「五木の子守唄」です。
この歌は、労働歌そのもののように思えます。
子守唄ではなく、子どもが母を想う歌もまた、
短調が多いように感じています。
母を想う子が、どのような状況にいるのかは、
よくわかりません。
でも、もしかしたら、子守唄と対になっていて、
奉公先で母を想いながら歌っている・・・。
そんな光景が、ふと浮かんできました。
以下は、江戸時代から、ずっと歌い継がれてきた子守唄です。
ねんねんころりよ おころりよ
ぼうやはよい子だ ねんねしな
ぼうやのおもりは どこへいった
あの山越えて 里へいった
里のみやげに なにもろた
でんでんたいこに しょうの笛
貧しさと悲哀感が漂う日本の子守唄。
現代では、このような短調の子守唄を、
不快なものと捉えて眠れない子もいるのだとか。
つまり、子守唄にならないわけです。
明るく綺麗な音楽の中で眠る方が良いかもしれません。
しかし、短調の音楽が「不快な響き」として
捉えられてしまうことに、少しだけ、私は寂しさを感じます。
メールが1通届きました。
どうもありがとうございました。
とても素敵にまとめられた文章なので、
そのまま、こちらに掲載する方が良いくらいです。
しかし、敢えて、私の駄文に
変換させていただくことをお許しください。
西洋と日本とでは、
子守唄を歌う人の立場が違うのかもしれません。
西洋では、基本的に幸せな母親の歌であるのに対して、
日本では、子守役を担った姉や奉公人のことが多く、
子守唄を歌う当人には幸福感が同居しないのかもしれません。
ですから、日本の子守唄は、
労働歌の一種のような位置づけなのかもしれないのですね。
…
奉公人(子ども)の歌で、真っ先に思い浮かぶのは、
「五木の子守唄」です。
この歌は、労働歌そのもののように思えます。
子守唄ではなく、子どもが母を想う歌もまた、
短調が多いように感じています。
母を想う子が、どのような状況にいるのかは、
よくわかりません。
でも、もしかしたら、子守唄と対になっていて、
奉公先で母を想いながら歌っている・・・。
そんな光景が、ふと浮かんできました。
以下は、江戸時代から、ずっと歌い継がれてきた子守唄です。
ねんねんころりよ おころりよ
ぼうやはよい子だ ねんねしな
ぼうやのおもりは どこへいった
あの山越えて 里へいった
里のみやげに なにもろた
でんでんたいこに しょうの笛
貧しさと悲哀感が漂う日本の子守唄。
現代では、このような短調の子守唄を、
不快なものと捉えて眠れない子もいるのだとか。
つまり、子守唄にならないわけです。
明るく綺麗な音楽の中で眠る方が良いかもしれません。
しかし、短調の音楽が「不快な響き」として
捉えられてしまうことに、少しだけ、私は寂しさを感じます。