「アルペッジョじゃない」
そうブラームスは言いました。
ドビュッシーも、そう言いました。
『ブラームス回想録集 第1巻』という本に
クララ・シューマンの弟子たちの回想録があります。
その中のひとり、女流ピアニストの回想録から抜粋します。
勉強する音楽がどんなものでも、
「安手の表情は決して許されなかった。特に嫌がったのは、
作曲家の指示のない場所で和音を分散させることで、
ついつい癖がでたり、和音を柔らかく聞かせる誘惑に負けて
やってしまうと、必ずこう言われた。
「アルペッジョじゃない」
また、マルグリット・ロン著、室淳介訳
『ドビュッシーとピアノ曲』という本があり、
「ラモーをたたえて」という作品について書かれている中に、
以下のような記述があります。
ドビュッシーは大きく〈指を広げる〉 ようにと書いていましたが、
小さな手のために (同じ主題の5小節めに)
作りかえたのが次のものです。
譜 例 (表示できません。。m(_ _)m)
ドビュッシーは絶対に (アルペッジョで) ひくことを認めず、
9度と10度の和音を打鍵できない手に対して、
わたしが暗示した次の節分法を指示していました。
9度、10度・・・。
私の手はギリギリ9度です。
でも9度でフォルテは弾けません…。
私の先生と私。
手の大きさはほぼ同じなんです。
でも先生は、10度まで届くのですから、
やはり訓練のたまものなのでしょうね。
長い年月をかけて鍛えてきたからできる?
それとも、短期間でも手の「改造」は可能?
譜読みをしていると、ごく普通のこととして、
9度や10度の和音も出てきます。
その度に、どうすれば楽譜に一番近い音を出せるのか…?
そう考えたにしても、私ができることは限られているので、
まだ当分は、作曲者さまゴメンナサイ状態になりそうです。
【 付 録 】
「アルペッジョじゃない」 = 「アルペッジョではない」
イントネーションを変えると、
「あ~ら、アルペッジョでいいんじゃない」
と、意味が反対になってしまいます。
和音は和音で。
アルペッジョはアルペッジョで。
楽譜通りに弾きましょう。
楽譜通りに、弾けたら・・・いいな。。♪
そうブラームスは言いました。
ドビュッシーも、そう言いました。
『ブラームス回想録集 第1巻』という本に
クララ・シューマンの弟子たちの回想録があります。
その中のひとり、女流ピアニストの回想録から抜粋します。
勉強する音楽がどんなものでも、
「安手の表情は決して許されなかった。特に嫌がったのは、
作曲家の指示のない場所で和音を分散させることで、
ついつい癖がでたり、和音を柔らかく聞かせる誘惑に負けて
やってしまうと、必ずこう言われた。
「アルペッジョじゃない」
また、マルグリット・ロン著、室淳介訳
『ドビュッシーとピアノ曲』という本があり、
「ラモーをたたえて」という作品について書かれている中に、
以下のような記述があります。
ドビュッシーは大きく〈指を広げる〉 ようにと書いていましたが、
小さな手のために (同じ主題の5小節めに)
作りかえたのが次のものです。
譜 例 (表示できません。。m(_ _)m)
ドビュッシーは絶対に (アルペッジョで) ひくことを認めず、
9度と10度の和音を打鍵できない手に対して、
わたしが暗示した次の節分法を指示していました。
9度、10度・・・。
私の手はギリギリ9度です。
でも9度でフォルテは弾けません…。
私の先生と私。
手の大きさはほぼ同じなんです。
でも先生は、10度まで届くのですから、
やはり訓練のたまものなのでしょうね。
長い年月をかけて鍛えてきたからできる?
それとも、短期間でも手の「改造」は可能?
譜読みをしていると、ごく普通のこととして、
9度や10度の和音も出てきます。
その度に、どうすれば楽譜に一番近い音を出せるのか…?
そう考えたにしても、私ができることは限られているので、
まだ当分は、作曲者さまゴメンナサイ状態になりそうです。
【 付 録 】
「アルペッジョじゃない」 = 「アルペッジョではない」
イントネーションを変えると、
「あ~ら、アルペッジョでいいんじゃない」
と、意味が反対になってしまいます。
和音は和音で。
アルペッジョはアルペッジョで。
楽譜通りに弾きましょう。
楽譜通りに、弾けたら・・・いいな。。♪