前回から4ヶ月半以上経ってしまいました!
これは初めて。未更新期間を更新してしまうという・・
これはまずい、もうすぐ3年が経ってしまう。
3年分のレトロ建物(旅行含む)・純喫茶・食堂やカフェ画像がたまっています。
撮ったのに解体された建物もあります。
撮った時はそこそこ知られていなかった街中の建物も、
今やインスタのレトロカテゴリーでは有名になっちゃったり^^;
まぁそれはいいけど、とにかく投げずにいこう。
2019年の夫との記念日旅行・滋賀京都は、凝りもせずに続きを書きますね。
五条楽園は、レトロ建築を見て歩いている人々には有名で、とっくにレポしている方もたくさんいらっしゃるので
(この3年でまた増えた笑)詳細はほどほどにします。
最後に立ち寄ったのは、京都「五条楽園」。
今は「五条楽園跡」「旧五条楽園」か。
江戸時代後期から明治にかけて繁栄した遊廓(戦後は赤線へ移行)、その跡地です。
このエリアは元々は五條橋下(五条新地)・六条新地・七条新地という複数の遊郭街があったところでした。
大正時代に合併して七条新地と呼ばれるようになったそうです。
京都の遊郭といえば島原遊郭が有名ですが、島原は武家や富裕層向けの高級遊郭、こちらは合併前から庶民向け遊郭として栄えたんですって。
七条新地は、大正時代には三階建ての妓楼が立ち並ぶまでになったといいます。
大正初期には遊客数において祇園を大きく上回ったとか。
七条新地においては芸妓だけでなく娼妓も混在する色街で、そのためか旅館のような構造の建物も多いそう。
大正期はお茶屋の数の方が断然多く、そのほとんどが娼妓のお茶屋。
お茶屋に遊客が来ると置屋に連絡が行き、娼妓がお茶屋に出向く。
戦後はGHQにより公娼制度廃止→赤線となり、1958年の売春防止法施行後は「七条新地」から「五条楽園」へと名を変え、芸妓一本の花街として再出発したそうです。
その一方で、非合法の売春もひそかに行われていたといいます。
それも2010年京都府警により摘発が行われ、遊廓や花街の歴史に幕を下ろし現在は静かな街となっています。
建物の一部は改装され、他業種でうまく残しています。
お茶屋建築が宿泊施設になったりしているので、コインランドリーはきっとありがたいですね。
玄関がふたつ。右手にも通用口のようなドア。
色街跡でよく見る造りです。いつも思うのですが中はどうなっているのでしょうか。
対角線に壁とかあって、同時に出入りした場合顔を合わせなくていいようになっているのかな?
そもそも、そういう建物だったのかどうかも定かではありませんが^^;
こちらも玄関が複数ありますが断定は出来ません。
とある路地には素敵な壁絵が。
こちらも路地。いいガラスブロックとガラス窓です。詳しい場所はもう覚えていません・・
引きで見ると、、、
看板に「お茶屋」の文字!
路地に歴史を垣間見た気分。
美容室の建物も残っていました。
こちらがスゴイ。
ストビューでは出てこなかったので場所がわからずにいたのですが、有名な建物です。
丸窓とステンドグラス、総豆タイルが象徴的なカフェー建築。
元々は和風建築で戦後改装したのかな?詳細は不明。
こちらは店舗利用されているようでした(2019年時点)。
そして、大きなカフェー建築。これは大きい。
スクラッチタイル、円柱に丸窓、ステンドグラス、角切りのアールが美しいです。
スクラッチタイルも近代建築やカフェー建築に多用されています。
ところで先程も書きましたが、戦後はGHQにより公娼制度廃止→1958年の売防法施行まで赤線となったわけですが
遊廓の妓楼やお茶屋建築はそのまま飲食店(特殊飲食店・特飲とも)になったり、新たに建て替えたりして営業しました。
警察署としては特殊飲食店の営業を黙認、地図上を赤く囲ったことから赤線と呼ばれたのは周知のことですが、赤線にある風俗店はカフェーを装っていたため、モダンな造りになっています。
カラフルなタイル、スクラッチタイル、丸窓、円柱、ステンドグラス、角切りがアール、玄関二つなどなど。。
なので七条新地は、五条楽園になってから元々のお茶屋建築・妓楼建築と、建て替えたり装飾を施したカフェー建築が混在しています。
こちらもほぼ全面豆タイルが貼られたカフェー建築。
画像に波が入ってしまい、撮り直しに行きたい( ;∀;)
静岡・熱海の糸川旧特飲街にもこのような配色のがあったかな。あちらは市松模様だったかな。
こちらのカフェー建築も素敵です!
インスタでは元々有名だったようです。
こちらも、もっと接写すればよかったと悔いが残る(タイル円柱)。
丸窓を意識した造りの窓、チューリップのようなライトもかわいい。
「サウナの梅湯」
ネット情報によると、こちらは一度は廃業したものの若き銭湯活動家により復興したそうです。
五條会館(旧五条楽園歌舞練場)
築100年超の建物だそうです!
芸妓さんたちが、ここでお稽古されていたのですね。
遊郭の特徴を残す建物。数寄屋建築というのかな?
玄関の唐破風や、二階の手摺りなどが残されています。
遊郭建築はとても機能的で、客や遊女の導線を考えた造りになっているのだとか。
複数の通路や玄関、階段、装飾だけでなく細部にまで工夫があるようです。
こちらのカフェー建築は改装中でした(2019年秋)。
改めてストビューを見たら、素敵に改装されていました。
宿泊複合施設として生まれ変わったようです!
ここも撮り直したい!両側かわいい豆タイル!
ここもそれっぽい!
丸い電灯は遊里跡でよく見ます。
さて、最後になりましたが五条楽園のランドマーク・ボスキャラだった「本家 三友」
お茶屋建築の中でひときわ目を引きました。
五条楽園を代表するかつての大店。
いかにも遊廓!
あえて正面に持ってこない両側の唐破風が素晴らしい!
しかし、なんと2021年末に解体されてしまいました
アップするまでに解体されちゃうケースがほんと多いのですが、ここは最大にショックでした。
維持管理とか厳しい事情がたくさんあるのでしょうが、この歴史的建造物は非常に惜しいと思います。
これまで興味なさげにポケGOしながら付いてきた夫も、
さすがに「こりゃすごい」とゆうてました^^;
どれだけのお部屋があったのだろう・・
レトロ建築好きには、観光地のどんなアトラクションよりもワクワクする。
なんとか残され、耐震工事などうまく改装されて公開されたら、
何十人か集めて見学料一人数千円払ってもいいから見たかった。
軒瓦には「三友楼」と当時の屋号が刻印されています。
在りし日の思い出・・
こうして書いていると、あの建物も急いで見に行きたい、とか色々思い描きます。
仕事もあり、なかなか思うようにいきませんが。
15回にわたる旅行記、これで終わりです!
京都市内は夫の希望の場所もあり、他にもいくつか廻ったのですが割愛します
ここまで読んで下さった方、長々とありがとうございました
2019年の滋賀京都旅行・1(滋賀・豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・2(滋賀・豊郷小学校旧校舎のウサギとカメ)
2019年の滋賀京都旅行・3(滋賀・町おこしの主役☆豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・4(豊郷町のレトロ建築)
2019年の滋賀京都旅行・5(彦根☆花しょうぶ通りのレトロ建築)
2019年の滋賀京都旅行・6(袋町遊廓跡を歩く)
2019年の滋賀京都旅行・7(ヴォーリズ記念病院・ツッカーハウス)
2019年の滋賀京都旅行・8(ヴォーリズ記念病院・希望館【五葉館】と礼拝堂)
2019年の滋賀京都旅行・9(ヴォーリズ記念館)
2019年の滋賀京都旅行・10(旧御園村役場から醒井宿へ)
2019年の滋賀京都旅行・11(そして長浜へ・土倉鉱山跡)
2019年の滋賀京都旅行・12(長浜のレトロな街並み)
2019年の滋賀京都旅行・13(京都・南禅寺水路閣と第二期蹴上発電所)
2019年の滋賀京都旅行・14(京都・任天堂旧本社社屋)
2019年の滋賀京都旅行・15(京都・旧五条楽園)
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