まだまだ2019年や2020年撮影分なので、日ごとのフォルダざっと数えてあと200以上あります。
1日に何ヶ所も行くことが多いので、1フォルダに画像は数百枚~多くて千枚。
ざっくりですが8万枚以上はあると思います
生きてるうちに終わる気がしません
そんな状況ですが、一旦2020年9月と2024年2月初旬の画像に飛びます。
投稿が遅れて今更なんですが、ご容赦ください
東京・神田駿河台にある山の上ホテル。
※2020年9月訪問→山の上ホテル・CoffeeParlor HILLTOP(御茶ノ水)
著名な作家や学者などの利用が多く、文化人にも愛されるホテルとして有名な老舗ホテルでしたが、閉館の話が飛び込んできたのは2023昨年秋。
2024年の2月13日で一旦閉館しました。
その時は「今後は未定」とのことだったので、建て替えられてしまうのか?と明るくない憶測が飛び交いましたが・・
なんと!!
昨年2024年11月半ばに明治大学が土地・建物を取得し、現状の外観を維持したまま必要な改修工事を施した上で、ホテル機能を継続させると共に社会連携機能としても再整備していく、という明るいニュースが飛び込んできました。
この情報を私は旦那から得た笑
旦那は名建築には興味はないものの、閉館とか解体とかなんかニュース出ると教えてくれる
さて、前置きが長くなりましたが、今回は外観のみアップ。
とてつもなく画像が多いので。
2020年9月と2024年2月の画像が混ざってます。
(天候により色合いも少し異なる)
当時流行していたというアールデコのモダンな外観。
(内装も)
木を中心に撮ってみた画像。
樹木も好きなので。(元々自然派・最近は建物ばかりですが・・)
御茶ノ水駅は、昔実家があった(今も建物はある)本郷の近くで、通勤通学にも使っていました。
亡き父の仕事を手伝っていた頃もバスでよく通る道にあり、山の上ホテルの看板は毎日目にしていて「いつか泊まってみたい」と憧れていた。
そして何より東京に残るヴォーリズ建築のひとつ!
先程リンク貼った過去記事にも書きましたが
昭和12年アメリカ人の建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計により建てられたこのホテルは、当初は佐藤新興生活館として戦時中は日本海軍が徴用、戦後はGHQの女性将校の宿舎という時期を経たのち、昭和29年ホテルとして開業したそうです。
今年は昭和だと100年なので計算しやすい。
竣工から88年!
そりゃ改修工事は必要ですよね。
この電灯もレトロです。
裏手にも回ってみました。
看板に葡萄酒ぐら、とあります。
その名の通り、葡萄の装飾。
ズームでステンドグラスを。
ドアの手前のステンドグラス。
中からも見てみたいものですなぁ。
2024年2月。
閉館(休館)直前だったからか、この日は山の上教会に入れました。
稲穂の装飾。
一粒が万倍になる、という縁起物ですもんね。
階段途中の面格子もデザインが凝ってます。
この先が教会ですが、次回の投稿にて!
昔、バスから毎日目にしていた看板の昼と夜。
次回、内装と教会です。
同じような構図が多く、セレクトに苦労しました。
撮り過ぎはもうやめようと何年も前から思っています・・
(そして今日も上野で撮り過ぎた笑)
風邪(おそらく)が長引いております。
インスタでそのことを書いたら、コメントやダイレクトメッセージをたくさんいただき、皆さんも年末や連休あたりから咳が治らない等長引いていることを知りました。
私の場合、まず元日に喉が異常に渇き(常に)
その後喉が痛くはないけどカサカサし、
乾燥してるからかな?とのど飴をなめたり水分をいつもよりとったり。
喉は痛くないし熱もないから仕事には出たし、2日ほど外出もして・・
すると3連休初日の夜に発熱。
鼻水と咳もひどくなったけど連休中だったから医者にも行けず、市販の薬で寝込んでいました。
熱は連休明ける前に下がったのですがその後鼻水が10日間ほど止まらず、咳はいまだに出ています。
ここ数日は時々出る程度ですが、その「時々」が電車の中や病院の待合室(膝の注射や皮膚科)だったりするといたたまれなくて。
食欲もなかったけど、鼻水がなんとか止まったあたりからいつも通りに復活。
今は時々出る咳で体力消耗、倦怠感まではいかないけど気分がすぐれないというか、本調子ではなく
積極的に出かけるテンションになっていません。
今月は、ここ数年で一番家にいたような気がします。
まぁでも昨日も夜遅くまで仕事して問題なかったので、あともう少し。
この「時々咳」が治まればやる気も出てくるかな?と思います。
たくさんの方からアドバイスもいただき、私は優しい世界にいるなぁと実感。
友人から「湿っているマスク」やインスタ友達から「上あごに貼るトローチみたいなもの」を勧められ、ソッコー買いました。
マスクは仕事中も電車の中もずっとしているのですが、喉がカサカサした段階で湿ったマスクに切り替えればよかったです。
「乾燥」を甘く見ちゃいけないな・・
画像はお気に入りの「ひげにんにくパウダー」
1年半位前に勤務先の上司からお土産でいただいた時の画像ですが、昨年長野へ行った際に自宅用に買いました。
鍋物やシチューや味噌汁に混ぜたり、焼き魚・焼肉・チャーハン等々なんでも入れちゃう。
今年もご訪問・ご覧いただきありがとうございました
本当になかなか進まないけど見に来て下さる方々がいて、続ける力になっています。
来年もよろしくお願いいたします。
夫婦共々、相変わらず元日から仕事へ行くので年末年始感なし
今年は伊東に住む実母が2月に脳梗塞で倒れ、搬送先の病院で癌が見付かり、8月に他界しました。
伊東は脳外科がないので熱海の病院に搬送され、そのまま入院となり3ヶ月後に同じ熱海市内の緩和ケア病院へ転院し、私は半年間毎月3回(ほぼ週1)熱海へ面会へ行っていました。
半年間という覚悟をする期間はあったので、まだよかったかもしれません。
一番泣いたのは落ち着いたある日、母がよく作ってくれた独自のオムレツを再現して主人に提供した時。
「これ東京にいた頃、母がよく作ってくれたから」と言った瞬間でした。
なので今年は昨年ほど旅行もしていません。
やっぱりいつどうなるかわからない状況で泊りは厳しく、日帰りメインで3月に岩手福島日帰りと7月和歌山日帰り、
11月に夫と記念日旅行は行きました。
ただ、インスタで知り合った方々がこちらに遠征してきた時は、いろいろなレトロ散策をアテンドさせていただいたり。
友人とも都内県内あちこち出かけたり。
そんな時は楽しく過ごしました。
そして1年位前からですが謎の皮膚疾患が8月頃からひどくなり、今治療中です。
主に四肢・背中などが目立つので、大浴場に入れません(感染はしない・見た目の問題)
そのことも追々記録していけたら・・
歩き過ぎると、割れている膝の半月板周りが重くなるし
腰も痛いしあちこちガタガタではあるものの、まだ働けているうちは無理しなければ大丈夫といった感じ。
まだまだ気張っていきますよ^^
来年も、皆様が健康でよい年になりますように。
そして当ブログ、ゆるゆる自然食Life、インスタグラムを2025年もよろしくお願い致します!
喪中につき、新年のご挨拶は控えさせていただきます。
よいお年をお迎え下さい。
再開発に伴い2024年12月29日で閉館(一時休館)する学士会館。
2022年1月と2024年2月の画像をアップしておきたいと思います。
※天候が微妙に違うので画像の色合いが異なります
2017年頃にも撮影したけどひどい写真でした今回の画像も全然満足はしていないけど。。
近代建築とかキレイな建物って撮るの難しいな~といつも思います。
思えば20代、本郷在住の頃父の仕事の手伝いの外回りでたまに通りかかり、見上げるだけの建物でした。
スマホはもちろんデジカメもない時代、そもそもカメラ持ち歩いてないし・・
学士会館のサイトからその歴史を抜粋しました。
天災と人災、時代に振り回されたことがわかります
学士会館は1913(大正2年)1月に西洋風の木造2階建ての施設を創建しましたが神田三崎町で起きた大火により焼失。
復興に向けて1913年(大正12年)9月1日、基礎工事を開始する予定でしたが、奇しくもその日、関東大震災に襲われて計画は延期。
その後焼失と再建を繰り返し、ついに1928(昭和3年)現在の学士会館が建設されました。
昭和11年の2・26事件の際には、第14師団東京警備隊司令部が置かれ、
昭和16年に太平洋戦争が勃発すると、翌年以降、会館屋上に高射機関銃陣地が設けられました。
昭和20年には、会館の一部が空襲の被害を受ける一方、館内のいくつかの部屋を日本軍に提供することになりました。そして終戦後の同年9月、連合国軍総司令部(GHQ)に接収されて閉館。
高級将校の宿舎や将校倶楽部として使用されていましたが、昭和31年7月に返還されました。
宿泊、レストラン、会議室、結婚式場などを完備する学士会館は、
学士会会員のための倶楽部施設ですが、現在では一部施設を除いて一般利用が可能となっていました。
※既に一部閉店、予約で埋まっています。
学士会館は関東大震災後に建築された震災復興建築ということです。
4階建ての旧館は1926(大正15年)年6月に着工、1928(昭和3年)年5月に開業。
当時では極めて珍しい耐震・耐火の鉄骨鉄筋コンクリート造り。
旧館設計者は帝国ホテル東京(新本館)や日本橋の高島屋百貨店、前田侯爵邸などを手掛けた高橋貞太郎氏。
旧館を尊重するかのように一歩後退して建つ5階建ての新館は、1937(昭和12年)9月に増築開業。
設計者は藤村朗氏。
画像右側が高橋貞太郎設計の旧館。
左側が新館。
これ唯一、新館側からの外観全体なのにひどい画像・・
旧館は曳家保存し、耐震工事も行った上で将来に向けて保存・活用していく計画だそうです。
残念ながら新館は解体されるとか。
旧館は竣工当時流行したスクラッチタイル。
東大や多くの歴史的建造物に使われ、街中の小規模な古いビルにも見受けられます。
ここから内観です。
ほとんど2022年撮影分で、許可を得て撮影しています。
フロントの方もとても感じがよかったです^^
※現在は撮影に関して制約があります
とにかく画像を貼りまくります
マイナスネジがいっぱい。
歴史的建造物の玄関に階段アリ。
玄関だけでかなり撮りました^ー^;
この、鋲が打ち込まれた柱は十二角形ですって!
漆喰の彫刻も素晴らしい。
ステンドグラスもあちこちに。
フロント付近は撮影の可否を問うと快諾してくれて、尚且つスタッフがそっと奥に入ってくれました。
こちらの訪問記事↓↓
学士会館☆中国料理 紅楼夢とセブンズハウス(神田錦町)
館内のステンドグラスは帝国ホテルの内装に似てます。
(デザインがライトさんっぽい)
現在の帝国ホテル設計も高橋貞太郎さんですしね♪
ちなみに帝国ホテルもいっぱい撮ってあるので、建て替え前にアップしたい。
ここからは立入禁止なのでズーームで撮影。
更にズーーーム
ドラマで使われた廊下かな?
ここから照明特集。
シンプルで品があります。
ここからお手洗い。
細かいところまで彫刻が!
地下への階段までもがスクラッチタイル。
コチラの地下もオシャレです。
撮影許可はここまで。
(今はだめかもしれません)
今月末に通常見学できないエリアも見させてもらえる見学会に、インスタ友達が参加するのでその画像を楽しみにします。
改装後も歴史的建造物としての価値が感じられる建物になるといいな。
9月から仕事も忙しくなり体調も良くはなくて、また2ヶ月も更新出来ませんでした
もう保存してある画像アップしきれないかもしれないけど、とにかく諦めずにいきます
さて、かれこれ25年は縁がある五反田。
1999年~2002年頃(社員)と2009年~2013年頃(派遣)の2回、五反田で働いていました。
今の会社(2013年~)でも出張販売で五反田へは年に1回は行っているし、2020年にインスタ散歩友達とも散策したのでまとめてアップしようと思います。
まずは、99年頃は通勤の通り道にあり当時はまだ現役だった和風旅館の「海喜館」。
その頃は写真に撮ろうなんて全く思わなかったので当時の写真は無いけど、はっきり記憶に残っているのはやっぱり古い建物に関心はあったんだなぁと今にして思います。
お昼休憩などで歩いていると布団を干していたり玄関に従業員らしき人影が見えたりしていました。
夜は夜で旅館の敷地だけ暗く、館内の妖しげな光がチラホラ見えていたのを覚えています。
その「海喜館」は2015年に閉館、2020年6月に解体工事が終わり、今ではマンションが建っています。
※あの事件についてはここでは割愛します^^;
画像は2019年12月で、解体2ヶ月位?前のものです。
仕事の休憩時間に行ってみました。
裏口?勝手口?
正面玄関から左手にまわると、灯籠のある玄関がありました。
こちらは川沿い。
木々でよく見えません。昔からそう。
ズーームで玄関の灯籠をパチリ。
灯籠たちも建物もろとも壊されてしまったのだろうか。。
旅館と比べると小さな石造りの蔵?
かろうじてネットの奥に「海㐂館」の看板が見えます。
ネットかかる前も見てたのに撮ればよかったなーー
まぁ間に合っただけよしとしよう・・
大きな蔵もあったのですね。
なにが保管されていたのだろう。
駅が近くてコンビニもあり立地もいいし、もし今も営業していたら外国人にもレトロ建物好きにも(私のような)人気だったと思う。
今、都心のビジホも高いらしいし、とにかく宿がとれないと聞きます。
(ちなみに海喜館は1泊6300円くらいで、朝食も良かったそう)
五反田は1925(大正14)年に三業地の指定を受け、花街として賑わっていたそうで、
それなりに繁栄してきたものの、空襲や戦後の売春防止法によって三業地の三業のひとつである待合が廃止され、花街としては衰退していったそうです。
その後の変化で商業地として発展していき、海喜館もしばらくは賑わっていたようですが、ビジホが増え街も変化し徐々に経営が苦しくなっていったとか。
今の五反田は商業地とオフィス街が入り混じったような。中途半端な気はしますが私は結構好きです。
ここからの画像は2020年、インスタ散歩友達と歩いた時に撮ったものです。
(このあと白金に移動したのでそんなに撮ってないです)
いかにも昭和な、風情ある質屋さん。
二階の柵もかわいい。
隅切りの建物。
キレイに塗り直されている。
その奥に、、、
パーマ、と文字のある元美容室。
パの丸の位置が絶妙!
レトロ好きはみんな大好き斜め入口・斜めドア。
腰壁は飴釉の豆タイルがキレイに残っています。
床もよく見るタイプのタイル。
柵の面格子もかわいい。
パの丸はよく見ると楕円形。
文字間がもう一文字入りそうなくらい伸びてるのもツボ。
この日は散策前にグリルエフでランチしました。
オープン一番乗りで入って秒で撮影^^;
やっと店内撮れた☆グリルエフ(五反田)その3
すぐに満席になるので・・
そしてこちらは五反田OL時代の2002年頃、時々ランチしていたメンチカツが美味しい「スワチカ」さん。
なんでも美味しいのですが、五反田OL最後の日もここでメンチカツ食べました。
しかし制服に揚げ物のにおいがつくため、戻ると先輩から「スワチカ行ってきたでしょ~笑」とよく言われたっけ・・
なんてことない懐かしい思い出。
アジフライも美味しいし、カレーも好みの味でした。
この建物はまだあるかなぁ。
そういえば、
99年~2000年位はまだ都内でも珍しかったユニクロが五反田TOCにあって(今もある)一時期同僚とよく買いに行ったっけ。
その時買ったデニムのスカートは10年位活躍しました。
現在は全く行かなくなったなユニクロ^^;
五反田TOCも業後によく行きました。
再開発に伴い解体の話があったけど、延期になったとか(安心)
でもそしたら閉店しなくてもよかったじゃーん→喫茶マーブル(五反田TOCビル内)
今年の五反田での仕事の際も少し街中撮影したので、また時期が来たらアップしたいと思います。