OL主婦の小さな幸せ。

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ノスタルジック東京56~台東区根岸・旧陸奥宗光邸、矢島写真館他~

2023年09月16日 | ノスタルジック東京

前回、次回は台東区下谷を投稿と予告しましたが、根岸がまだありました
2019年撮影分と2021年撮影分です。
2020年もやたらと台東区へ行っていますが、また別のエリアになるので順番に投稿します。



こちらは通り沿いにある銅板建築。長屋かな?
中華屋さんは現在は閉業しているようです。

そして旧陸奥宗光邸(西宮邸)



最後に撮影したのが2021年3月。
現状は不明です。



明治の外務大臣として有名な陸奥宗光の邸宅といえば旧古川庭園ですが、こちらはそれ以前に家族と住まわれていたそうです。

和館もあったそうですが、洋館部分のみ残されています。



この説明板によると、

『西宮邸(陸奥宗光邸)と「ちりめん本」
陸奥宗光とその家族が住んだ屋敷
明治期の外務大臣として日清戦争の講和条約締結や欧米列強との条約改正など日本の外交史上に大きな足跡を残した陸奥宗光(一八四四~一八九七)の最後の住まいは、現在の西ケ原の旧古河庭園です。
しかしそんな華々しいスポットライトが当たる前の雌伏時代に、宗光はこの邸宅に住んでいました。
陸奥宗光は、西南戦争時に反政府的な行動をとったとして禁錮五年の刑を受け、一八八三(明治十六)年一月に出獄したあと、同年九月に「一邸地を獲得した」のがこの邸宅です。まだここ根岸が、東京府北豊島郡金杉村という地名で、上野の山の下を鉄道が開通したばかりのころです。
一八八四(明治十七)年四月から一八八六(明治十九)年二月まで宗光はロンドンに留学しますが、その留守中、後年「鹿鳴館の華」と称される妻の亮子と子供たちがこの家に暮らしました。そして宗光は留学から帰国して一八八七(明治二十)年四月に六本木に転居するまでここで過ごしました。
この建物は住宅建築として建てられた洋館の現存例としては都内で最も古いもののひとつです。もともとは現存の洋館に和風(内部は洋式)の建物が付属した接客部と、母屋に付属した離れと土蔵二つを持つ生活部とからなる和様館並列型住宅でした。現存する洋館部分はコロニアル様式で建築されており、正面側の一、二階に大きな開口が連続して配置され、各部屋には暖炉が備えつけてあります。陸奥家とのかかわりという点からいうと、玄関を入るとすぐ階段があり、その階段の手摺の親柱には陸奥家の家紋である「逆さ牡丹」が彫刻されています。
一八八八(明治二十一)年、宗光は借金返済と息子・廣吉のロンドン留学費用の捻出のため、この家を売却します。
その後一九○七(明治四十一)年ごろ、「ちりめん本」を出版していた長谷川武次郎が、自らの住まいと社屋(長谷川弘文社)として買い取ります。
長谷川弘文社による出版事業は、大正、昭和と引き継がれました。現在も、この家には長谷川武次郎のご子孫の西宮氏ご家族がお住まいです。建物内への立ち入りはできません。静かに敷地外部からご見学ください。
(略)
 二○一七年三月 掲示:根岸子規会(地域の皆さんのご寄付により掲示しました)
 敷地内への立ち入りはできません。静かに敷地外部からご見学ください。』


この説明版を読むと、ここに住まわれた期間は短いですね・・!
2階の大広間は20畳くらいあって、外国人外交官を招いてパーティーもされたそうな。
外相ですもんね。

















夏はモジャがすごそう。
(この時は確か3月)

2019年に初めて根岸を歩いた時は知らなくて、後日友人から聞いて見に行きました。
2021年にはインスタ友達とも。

以下の住宅は2021年散策の際に撮影。
旧陸奥宗光邸の手前にあります。


シンプルな丸窓がある和風住宅。
玄関も風情があります。







こちらの表札は、ほとんど見えないのですが、、、

うっすら右書きで「下谷區」と読めます。
下谷區は、かつて東京府東京市だった時代に存在した区。
1878(明治11年)から1947(昭和22年)迄の、東京15区と35区の時代。

同行のインスタ散歩友達が発見!
かなり貴重な表札だと思います。


そしてここから追記分。
この投稿の後、また根岸の画像が見付かりました^^;
2021年4月撮影分です。



金杉通りにある「矢島写真館」
2013年6月に閉店。
大震災や戦火にも耐え抜いた大正7年建築の写真館。
(上野経済新聞より)








屋号は銅板製かな?
スクラッチタイルに銅板の屋号、カッコいい!






窓は型板ガラス。
種類は「のみち」だろうか。





元々は板張りの建物を、昭和5年頃にこのスクラッチタイル張りに改装したそうです。
(上野経済新聞より)


玄関は大正期のままだとか。
この、下の方が金属製の板が張ってある木製のドア、戦前の建物によく見ますがオシャレですよね。


戦前の証マイナスネジも見られます。
(戦後の建物にもあるにはあります)


こちらは同じ金杉通りの柳通り交差点にある「雄飛堂薬局」と閉業?店舗。




冬仕様のサトコちゃんが見える!



何気に豆タイルが各所にあります。



かなり古そうな豆タイル。


閉業店舗2軒長屋。横から見ると看板建築でした。

どちらもサビ具合がいい感じですが、いつ頃閉業したのかな・・


右側はヘアーモードサロンカワサキとあります。
よく見るとこちらも・・・


豆タイル!


ちょっとわかりにくいですが細かい豆タイルです。


さて、次回は記念日投稿のあとに今度こそ台東区下谷!
2年分画像あるのでかなりの枚数になります・・

※根岸散策の時に入った純喫茶
グラパンが有名な喫茶店☆デン(鶯谷)


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