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札幌懐古4 北海タイムス

2021-09-17 20:08:16 | 北海道・歴史探訪

      北海道新聞と並んで、道内地方紙として発行されていた新聞

      「北海タイムス」
   
      
      札幌市内にあった北海タイムス専売店の看板 2009年撮影       題字


   その歴史は、明治20(1887)年に札幌で創刊した「北海新聞」が始まりです。
 明治34(1901)年に他紙と合併し「北海タイムス」となります。しかし、昭和17(1942)年の新聞統制により
 「北海道新聞」に統合されてしまいます。

   戦後、昭和21(1946)年に戦前の北海タイムス社員有志が集まり「新北海」を創刊。同年に北海道新聞社が
 「夕刊北海タイムス」を創刊し対抗するも、昭和24(1949)年に「新北海」が「夕刊北海タイムス」を合併し、
  再び「北海タイムス」が復活します。明治期より慣れ親しんだ名前に愛着のある読者は多く、全盛期には札幌、
  旭川両本社の下に50か所以上の支社・支局を擁して18の地方版を製作、20万部を超える発行部数を誇りました。
  北海タイムスと北海道新聞の両社はその後も道内主力紙の地位の争奪をめぐって激しい競争を演じました。
   
   しかし、昭和34(1959)年に読売・朝日・毎日新聞が札幌での印刷を始めました。それまでは、青函連絡船経由で札幌市内に
  届くまでに1~2日遅れとなり、速報では地元紙には全く歯が立たない状態でしたが、ファクシミリの伝送技術によって地元紙有利
  の構図は崩れ、これを契機に販売戦の口火が切られました。また、印刷も活版印刷から植字に換わっていきます。販売部門だけで
  はなく、印刷部門の設備投資や人材確保など、本州紙との戦いで北海タイムスは次第に体力を奪われていき、本社ビルの売却や
  多角化を行うものの、経営陣の入れ替わりが激しくなっていきます。そして資金確保のために、外部オーナーを招き入れますが、
  役員との対立から平成10(1998)年6月に社長が休刊宣言を出し辞任、経営が急速に悪化し、社内が混迷を極めます。
  ついに平成10年9月1日に破産宣告。9月2日に休刊となりました。
  
           
                  北海タイムス 平成10年9月2日の紙面(休刊告知)

  札幌市電・中央区役所前停留所(内回り)が目の前にある「タイムスビル」に見覚えがある方もいるはず。

          
              (札幌市中央区南1条西10丁目)

             このビルは、かつて北海タイムスの本社ビルでした。

           
         印刷された新聞がまだ日が昇る前に、各販売店に向けて運ばれていた発着場跡。



   北海タイムス休刊後、かつての社員や、販売店経営者が復刊運動を起こし、北海道二十一世紀タイムス社を設立。
  平成11(1999)年6月1日に週刊「フロンティアタイムス」を創刊しました。
       7月1日には朝刊日刊紙に移行しましたが、
1ヵ月ほどで夕刊紙に移行。
         
       フロンティアタイムス 平成13年1月31日の紙面(改題前最終日)

   札幌圏の地域紙として平成13(2001)年2月1日に「札幌タイムス」に改題しますが
 資金難
により再び週刊へ移行。経費を半分に圧縮することには成功したものの、収入は1/3に悪化。
 一度も銀行融資を受けることが出来ず、広告収入の減少により負債が2億1千万となり、経営の
 目途が付かず
平成21(2009)年3月6日に休刊となりました。
  公称は3万部でしたが、実売は3000部程まで落ち込んでしまっていました。
          
               札幌タイムス 平成21年3月6日の紙面(休刊告知)

     フロンティアタイムス・札幌タイムス共に、写真の通り札幌圏の記事が一面に載っていて地域密着型の新聞でした。

          フロンティアタイムス→札幌タイムスは、なぜか職場で取っていました。
         当時、「北海タイムス」が復活したと年配の上司が喜んでいました。
         やはり北海道ではタイムスの名前は名門であったと言う事でしょう。


   私自身、祖父母が新聞販売店を経営していたので、新聞はとても身近な存在で、お手伝い程度ですが配達をしたこともあります。
  毎日、朝に新聞を
読むことが日課となっています。
   ですが、ネットニュースの普及によりスマホなどで手軽に、しかも無料でニュースを目にすることが出来てしまい
若者の新聞離れ
  は大きく、さらに苦境に立たされていると思います。


   紙面(内容)よりも、販売力・財務力が無ければ、今後も地方紙の淘汰が進んでいくのではと思った23年前の出来事でした。
  
    
   ※ 北海タイムス・フロンティアタイムス・札幌タイムスの紙面については、札幌市中央図書館にて
                        マイクロフィルム複写及びコピー保管をしてあるものを複写し、デジカメ撮影いたしました。


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NHK札幌中央放送局元野幌放送所

2021-08-20 22:36:17 | 北海道・歴史探訪
            NHK札幌放送局移転の記事でも少し触れた場所です。

  札幌放送局は、昭和3(1928)年6月5日に演奏所(スタジオ)は中島公園内、送信所は豊平町大字月寒村に設置し開局。
 昭和32(1957)年に送信所が江別市元野幌に移転します。


   当時は辺りは農地で札幌市街を一望でき、電波を送信しやすいこの地に移設したようです。
 昭和32年5月30日に工事が開始され11月30日に完成。放送開始は同年12月22日でした(ラジオ放送)。
 
           この、送信所の建物がまだ現存しています。

     
   NHK札幌中央放送局元野幌放送所(現 江別市郷土資料館文化財整理室)
      
               (江別市大麻北町520ー2)
 
      
      
       レンガが使われている建物は直径35mのドーム型屋根の円形式建物。

      
            この三角屋根の建物は、自家発電設備だったそうです

      
                  レンガ造りの倉庫

  アンテナはこの建物から約100m程離れた場所に、直径5mの円管を積み上げたもので160mの高さがあったそうです。  
 当時、道内では1番高い塔でした。
  昭和53年、全国一斉にラジオ周波数の変更が行われ、元野幌のラジオ放送所もNHK第1放送所と第2放送所に分けられ
 江別市江別太に移転します。

   
      
  その後、昭和55年に江別市が跡地を取得し、送信所の建物は昭和57年に「江別市郷土資料館 文化財整理室」となり
 送信アンテナの建っていた跡地は、
昭和56年に「はやぶさ運動広場」として野球場やテニスコートなどがある公園として
 市民が利用できる公園として利用されています。

  が、建物の老朽化や耐震化の問題があり、文化財資料室は旧角山小学校跡に移転予定。
 はやぶさ運動広場も、隣接地が住宅街や大型商業施設・福祉施設が整備され、 住宅地への飛球の飛込みや騒音・ 砂ぼこり・
 バックネットなどの施設の老朽化などの問題があり、運動広場は都市と農村の交流センターえみくるに移転する予定となり
 土地の利用予定がない為、これら元野幌NHK送信所跡の土地は売却される予定だそうです。



        この円形の建物を見ることが出来るのもあと少しの様です。



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北海道材木育種場旧庁舎

2017-09-30 23:15:23 | 北海道・歴史探訪

  何だか忙しく、ネタ作りにも行けず仕舞いです。


  野幌の総合運動公園のプールに泳ぎに行くという妻をお迎えに行くときにちょっと寄ってみたところです。


         北海道材木育種場旧庁舎
   
          (江別市文京台緑町561-2)


   内務省野幌林業試験場(当時)の庁舎として、1927(昭和2)年に建設された建物です。
  平成8年まで林木育種センター北海道育種場庁舎として使われていました。

   
            なかなか趣のある建物です。


  
  


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道内最古の木造小学校

2015-11-14 21:01:31 | 北海道・歴史探訪

   こちらも先日の黄金山登山の際に寄った場所です。


   
           当別町立弁華別小学校 (とうべつちょうりつべんけべつしょうがっこう)

       
                          (石狩郡当別町字弁華別243)


   こちらの小学校は、明治25(1892)年5月に 当別尋常小学校の弁華別分教場として開校しました。
               今年で開校123周年という歴史のある小学校です。

      
     現在の校舎は、昭和12年に建造された木造二階建ての校舎で現在、道内最古の木造校舎の小学校です。
    
       
                          体育館も木造みたいです。


                残念ながら、児童数の減少から今年度で閉校してしまうそうです。
       
                     

         地域の人々が通った思い出深い校舎、何らかの形で保存してほしいと思います。

       
         

 

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四季のみち(秋のゾーン)

2014-08-27 21:10:45 | 北海道・歴史探訪

                札幌の隣町、江別市。人口は約12万人の街です。


     今回は、江別市にある四季のみちという遊歩道を取り上げたいと思います。以前にMintさんも行っていましたが…。
        
                  (江別市牧場町45番地・若草町13番地・一番町6番地)


         かつて、函館本線から旧江別火力発電所への石炭輸送専用線がありました。 
        
        


        
                             看板の説明文を抜粋


  旧江別火力発電所は、昭和9年、当時の北海道電燈により建設され、昭和10年12月19日、社名を変更した大日本電力により1万2500KWの
  発電設備を持つ江別火力発電所として稼働を始めました。昭和29年最後の増設が行われ発電機4台、認可出力7万KWの発電所になりました。

   昭和30年代に入ると、産業復興や家庭の電化などで電力需要が高まることが予想された為、隣接して新発電所を建設することになりました。
  昭和35年に新発電所建設が着工され、昭和38(1963)年2月に新発電所の1号機が運転を開始し、その後3号機まで建設され12万5000KWの
  発電所になりました。これは昭和47年5月に苫小牧共同発電(株)2号機が運転をするまで北海道最大のものでした。

   旧発電所は老朽化の為、昭和48年に廃止・撤去されました。しかし、建設当時最新技術を誇った新発電所も
老朽化の為に、平成3(1991)年3月31日
  に廃止され、55年年間に及ぶ歴史を閉じました。

  現在跡地は北海道電力総合研究所となっています。


   石炭輸送専用線跡地は平成4(1992)年、江別市によって「四季のみち」という公園(遊歩道)として整備されました。 
 


         四季のみちは、春・夏・秋・冬のゾーンと四季をテーマに整備されています。

    当時のおもかげを残すため「みどりの景観の保全と調和」、「発電所の歴史の継承と演出」がテーマだそうです。

    各ゾーンには四季ならではの様々なオブジェやモニュメントが設置されており、楽しみながら散策できます。


                   今回は、秋のゾーンを取り上げます。



           まず目を引くのは、ディーゼル機関車と石炭貨車
        

                実際に専用線で使われていたディーゼル機関車です。
        

                        そして石炭貨車(セキ8000)
        
              貨車は一両だけではなく、最大で12~13両連結していたそうです。

        

 
                        そして、巨大な蒸気タービン
         
        
   石炭を燃やして蒸気を発生させ、パイプを通して蒸気タービンを回しこの力で発電機を回し電気を発生させていました。
                  このタービン、1分間に3000回転したそうです。


                  輸送してきた石炭を粉にする微粉炭機(ミル)
       
       
                      石炭を挽いて粉にしてから燃やしていたそうです。


                        遮断器
            
      発電所や送電線での事故や点検時に、高電圧・高電流の電気を切るスイッチの役目を果たしたそうです。



       発電所で使われていたものがオブジェとして置かれている所が面白いですね。


  
   ちなみに、春のゾーンには彫刻があります。
        夏のゾーンはヘイケボタルを育てており、7月末から8月半ばにかけて蛍の光を楽しめるそうです。
                    冬のゾーンは
時計付きのレンガ造りモニュメントがあります。




  




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