東京駅丸の内口にある、東京中央郵便局。
(東京都千代田区丸の内2丁目7-2)
赤レンガの東京駅と、戦前に建てられた歴史ある郵便局舎の重厚さが
私は好きです。
東京駅に降り立ち、丸の内口から見えた東京中央郵便局・・・。
「ここが日本を代表する郵便局なんだ~」 ←郵便局マニアなので。
と思ったものです。
郵便局も民営化されて、いろいろな事業拡大をしているんですね。
その一環として、不動産事業があるようです。
確かに、東京駅のまん前の一等地に立っているので、オフィスビルに
したら、かなりの需要があると思います。ですが、あの建物が取り壊されて
近代的なビルに生まれ変わるのは、寂しいと思っていました。
6月25日に郵便局株式会社のHPで、東京中央郵便局の再開発計画が
発表されました。
現在の局舎を保存・再現して、地下4階地上38階建ての
JPタワー(仮称)に改築するそうです。
予想図では、今の局舎の上にガラス張りのビルが乗っかった様な形に
見えます。
↑ 新丸の内ビルディングのテラスより撮影 (5月の東京出張の際に撮影)
でも、あの外観が残してくれただけでも嬉しいかな~。
郵便局も粋ですね。
先月、資格取得の為の研修で東京に出張してきました。
部長や同じ係の人が・・・「さいたま行って来たの?」と質問してきました。
「さいたま・・・? もしかしてあそこ・・・?」
合格後の研修が今月の上旬にまた東京であったので、研修終了後に
皆様の期待に応えて行って来ました。
鉄道ファンの聖地?
「鉄道博物館」
(埼玉県さいたま市大宮区大成町3丁目47)
JR大宮駅で、ニューシャトルという新交通に乗って1駅。
「鉄道博物館駅」で下車
タイルが、新幹線の時刻表に・・・。
エントランスからヒストリーゾーンに入ると・・・。
1号機関車
明治5(1872)年に新橋~横浜間の鉄道開業の際に、イギリスから輸入
された機関車10両のうちの1両です。
当時使われていた客車も復元されて展示されています。
9850型蒸気機関車
蒸気機関車のしくみも見られます。
ご存知 東海道新幹線 0系
今でも現役 EF66型 電気機関車
クモハ40系
昭和11年製造の電車 中央線などで活躍したそうです。
クハ181系
特急列車として活躍した車両
ED75型 電気機関車
1号御料車
明治天皇専用の日本初の御料車
写真で紹介した他にも、たくさんの車両が展示されていて
1Fの真ん中に転車台があります。この上に載っているのが・・・
C57-135号機 です。
昭和50(1975)年12月14日に室蘭本線の室蘭駅~岩見沢駅間で
国鉄最後の蒸気機関車が牽引した旅客列車を担当した蒸気機関車です。
昭和5(1930)年12月に、愛知県の岡崎~多治見間を走った国産の国鉄バス
ヒストリーゾーン2Fは 鉄道の歴史年表が
この他にも、台車の分解・組み立てが体験できる車両工場ラボ
電車のシュミレーターなどがあります。SLのシュミレーターもあります。
屋上からは、東北新幹線が走行しているのが見ることが出来ます。
屋外にはミニ運転列車などがあります。
あれ? ずいぶんあっさり終了とお思いですよね?
はい。
マナーというものを知らない鉄道ファンがたくさんいて途中で写真を
撮る気を失くしました。
私がカメラを構えて撮影しようとしているのに、平気で私の前に立ち撮影し
終わっても前に立ちはだかり、立ち話をする他人の迷惑を考えない人達に
がっかりしました。
「写真撮りたいんだけど!」
と言いましたが無視されました。
マナーを守ってください。
お子さん連れで楽しみに来ている人達が大勢います。
これでは鉄道ファンのモラルが問われます。
交通アクセス
JR大宮駅より埼玉新都市交通ニューシャトルにて「鉄道博物館駅」下車1分
開館時間 : 10:00~18:00 入館は17:30まで
休館日 : 毎週 火曜日 および年末年始(12/29~1/2)
入館料 : 一般 1000円 小中高生 500円 幼児(3歳以上)200円
おまけ・・・ 札幌に帰る際に乗った、東京モノレールの最後部から
サミットまであと11日。
特別警戒の為に、全国から警察官が応援に来ているんですね。
今日、JR札幌駅のタクシープールで見かけた、警察車両(機動隊のバス)
「静岡県警察」 の文字が・・・。
遠路はるばるお疲れ様です・・・。
札幌駅周辺の警戒 頑張ってください!
札幌から洞爺湖方面に抜ける道路 国道230号線
(札幌~久遠郡せたな町 間)
その国道230号線の札幌市南区と虻田郡喜茂別町の(間)境界になっている
峠があります。
中山峠 (標高831m)
道の駅 望羊中山 があるので、トイレ休憩や名物の「あげいも」を買いに
多くの方が、立ち寄った事があるかもしれません。
そんな中山峠に、銅像があります。
(望羊中山の駐車場を喜茂別側へ下りてすぐ 左側にあります)
「現如上人銅像」
この中山峠、現在の国道230号線の元となる道を作ったお坊さんです。
明治2(1869)年に明治政府は、札幌に蝦夷地(北海道)の本府を置く事を
決定しました。それ伴い、函館と札幌を結ぶ新道が必要になりました。
ですが、新政府には財源がありませんでした。
そこで新政府は、東本願寺に懇願しました。
東本願寺は、世界の平和と仏法弘通のため新政府の懇願を了承して北海道
の開発事業に着手しました。
「本願寺道路」は、現在の伊達市から札幌市までに及びました。
明治3(1870)年2月、19歳の現如新門主が総責任者として京都を出発。
僧侶百数十名と亘理藩(宮城県)の武士約50名やアイヌの人達が工事に従事。
その人数は、延べ5万5千人。翌年の明治4年7月に完成しました。
その工事費用は、1万8057両 (現在の貨幣価値ですと 約2億円)
馬も通行できる当時としては、本格的な道路だったようです。
現在は、崩落したり、獣道化したり、あるいは田畑にされ、人家が建ったり
国道拡張工事などで99%道路の跡は残っていません。
一部、札幌市南区簾舞に道路跡が保存されています。
この銅像は、現如上人が来道100年にあたる、昭和44(1969)年に
東本願寺が当時の工事に携わった人達の労苦に感謝し、功績を顕彰する
為につくられたそうです。
先人の苦労のおかげで、今は快適に峠越えが
できるのですね・・・。
この日も、チャリダー(自転車での旅行者)を見ましたが、さすがに私は
中山峠を自転車で越えようという考えが思いつかないです。
行けても、定山渓が体力の限界の限界でしょうね・・・。