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gooブロガーのホルマリンさんが人が住む最南端と最西端の島に行かれたようです。
私は、最南端の島にしかいった事がないので一回で両方制覇してうらやましいです。
そういえば私の旅はどうだったかな?と自分のブログ内検索するも
出てこない・・・。
大人の事情があった際に、消してしまったようです。
CD-ROMを探し出して、改めて写真を見直すと、今となっては貴重な写真がありました。
16年前に行った沖縄の旅の記事を改めて(ダイジェスト)。
最新事情については、ホルマリンさんのブログを見てください。と、勝手にコラボ(笑)
2008年2月18日
新千歳空港→中部空港→那覇空港と乗り継いで、沖縄に上陸。
その後、レンタカーで那覇市内観光に行ったようです。
Sクラスを予約したのですが、Aクラスにアップグレードしてくれました。
ホンダ シビックフェリオ
まずは、首里城へ。
守礼門
「守礼」とは「礼節を守る」という意味で、門に掲げられている扁額(へんがく)には
「守礼之邦(しゅれいのくに)」と書かれている。「琉球は礼節を重んずる国である」という意味です。
1527~55年(第二尚氏4代目尚清王代)にはじめて建立され、1933年(昭和8)に国宝に指定されたが
沖縄戦で破壊された。現在の門は1958年(昭和33)に復元されたものです。
歓会門(かんかいもん)と那覇市街
瑞泉門(ずいせんもん)
奉神門(ほうしんもん)
「神をうやまう門」という意味で、首里城正殿のある「御庭(うなー)」へ入る最後の門です。
1562年には石造欄干(せきぞうらんかん)が完成したという記録があることから創建はそれ以前です。
その後1754年に中国の制に倣い改修した。建物は明治末期頃に撤去されたが、1992年(平成4)に
外観が復元され、現在は公園管理のための施設として利用されています。
正殿(せいでん)
木造の三階建で、一階は「下庫理(しちゃぐい)」と呼ばれ、主に国王自ら政治や儀式を執り行う場
二階は「大庫理(うふぐい)」と呼ばれ、国王と親族・女官らが儀式を行う場でした。三階は通気を目的
とした屋根裏部屋になっています。
創建年は、復元に先立って実施された発掘調査から14世紀末頃と見られています。その後ほぼ同位置で
数度の焼失・再建を繰り返してきました。1992(平成4)年に復元した建物は18世紀初めに再建され
沖縄戦で焼失するまで残っていた正殿をモデルに建てられたものでした。
正殿一階
正殿一階は「下庫理(しちゃぐい)」と呼ばれ、主に国王自ら政治や儀式を執り行う場でした。
中央に、御差床(うさすか) 国王が座る玉座があります。
ブログ読んで頂き、また宣伝までして頂きありがとうございます(笑)
焼失前の首里城に行かれていたのですね!あれも復元とはいえ、2000円札でお馴染みの風景が失われてしまったのは寂しいですね…
美ら海と共に、いつか行きたい場所なので羨ましいです。
石垣島は今回少し観光できたので、続きが楽しみです♫
随分前の話なんですけど、CD-ROMに記録されていた写真が意外と少なくてびっくりでした、昔は大人しかったのね〜。
そして八重山に渡ったら天気に恵まれませんでした…。
波照間島も変わったんでしょうね〜。