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今月の5日に記事にした、バナナがスーパーマーケットから消えたと言う話題。
昨日、閉店間際のスーパーに行ったら…。
たくさん売れ残ってました。
もう、ブームは過ぎ去ったようです…。
早いな~!
北大の構内を南北に走る道路の北の突き当たり、北18条門の北側に
「札幌農学校第2農場」 と呼ばれる施設があります。
現在、9棟の建物が重要文化財に指定され、保存されています。
模範家畜房と穀物庫は内部が見学できます。
この農場は、クラーク博士の構想により造られたもので、一戸の酪農家を
イメージした畜産経営の模範農場として明治10(1877)年に造られました。
当時の農場は正門付近にありましたが、農学校から帝国大学への昇格を
契機に1910(明治43)年に北18条以北に縮小され、畜舎施設群は現在の場所
に移設されました。
まず入口に
事務所
明治12(1879)年に第2農場派出所の名で新築され、1910(明治43)年に
現在地に移築した管理事務所です。現在は、文化財を守るガードマンの事務所
として使用されています。
種牛舎
明治12(1879)年に新築されました。繁殖用の種牛を飼育していたそうです。
牧牛舎
1909(明治42)年に、当時の最新技術を使って新築されました。建築当時から
避雷設備が設置されていました。
左右対称の造りになっています。左右で違う設備を設置して作業効率の比較
実験なども行われたそうです。(写真ですと解りにくいですが)
裏側には、サイロがあります。
模範家畜房 (モデルバーン)
農場の構想を立てたクラーク博士は、北海道農業の模範となる願いを込めて
「モデルバーン」と記載したことから、モデルバーンとも呼ばれています。
明治9(1876)年に新築されて、現在地には明治43(1911)年に移築されました。
1階は牛馬舎で、46頭の成牛と育成牛室、10頭の耕馬室、7つの産室が
ありました。
エルムの鐘
農場で作業する人達の為に時間を知らせるために、戦前と戦中は6時・9時・
9時15分・12時・13時・15時・15時15分・18時の一日8回、エルムの木に吊るされ
たこの鐘が鳴らされたそうです。
始まりは、はっきりしないそうですが明治の終わりからだそうで、昭和43年夏
まで鳴らされたそうです。
2階は家畜のエサとなる乾草収納庫として使われていました。現在は農機具が
展示されています。
2階に運び込まれた乾草を一階にいる家畜に与える為に投下口があります。
日本の牧舎も2階が乾草収納庫としていますが、ただ穴が開いているだけで
作業中の墜落事故が多発したそうです。
モデルバーンの投下口は作業をする人が墜落しないように、周囲が防護柵で
囲まれています。ここは模範にしてほしかったですね・・・。
穀物庫
明治10(1877)年に、とうもろこしを貯蔵する施設として建てられ、明治44(1911)
年に現在地に移設しました。
高床式と脱着ができる木製階段が付いていることから、貯蔵庫にネズミ1匹
入れない配慮がされています。
こちらも内部が見学できます。
全国の鍬が展示されていました。47都道府県でずいぶん違いがありますね。
北海道の鍬はやたらに柄が長い・・・。
所変わればで、これは面白い展示物でした。
2階の様子
収穫室と脱ぷ室
穀物庫に隣接して1880年代に建設されました。収穫室の2階が穀物庫と
渡り廊下で繋がっています。
収穫室は、稲や麦の脱穀から籾摺り迄の作業を行う部屋で、脱穀機などを
収容した作業場です。
脱ぷ室は、籾摺り部屋です。
(だっぷ~脱稃 稃~穀物の外皮や籾殻のこと)
穀物庫 収穫室と脱ぷ室
秤量所
現在地に明治44(1910)年に建物と秤を新設されました。
乾草などの積載量を絶えず計量して農場の収穫量を計測した所です。
釜場
札幌軟石造りで、建築年次は1880年代だそうです。
大きな竃(かまど)と釜を備えて豚などの餌を煮こみ、その隣の囲いのある床に
広げて混和した家畜飼料の加工場。
建物の半分は部屋になっており、ジャガイモなど飼料を貯蔵する部屋だった。
製乳所
煉瓦造りで、1911(明治45)年に新築されました。
搾乳した牛乳をバターやチーズに加工した場所です。
手前 釜場 奥 製乳所
クラーク博士の構想した大農場経営構想・・・。
北大構内にある最古の建物はモデルバーンでした。
交通アクセス
地下鉄南北線 北18条駅下車 徒歩10分 駐車場なし
公開期間 4月29日~11月3日
公開時間 10:00~16:00
休館日 毎月第4月曜日