狼さんと羊さん

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京都の旅2020 その3

2025-02-01 10:24:02 | その他・・・おでかけ

   2020年3月21日

  
      朝早くホテルをチェックアウトして、京都駅からバスに乗り


           京都を代表するお寺を目指します。

      
       
           法観寺(ほうかんじ)(八坂塔)

   
           (京都市東山区八坂鳥居前下河原町東入ル)
          八坂塔として知られる臨済宗建仁寺派の寺院です。
   歴史の古さは京都でも屈指で、聖徳太子によって建立されたとも伝えられています。
   八坂塔は、永享12年(1440)に足利義教によって再建されたものです。他の伽藍は
   応仁の乱で全て焼失してしまいました。


          産寧坂から清水坂の方へ歩いていくと見えてきました。
               清水寺(きよみずでら)
 
    
            (京都市東山区清水一丁目294)

   北法相宗の総本山(一寺一宗)です。清水寺の開創は宝亀9(778年)。観音様の霊場として
  古くから庶民に開かれ幅広い層からら親しまれてきました。音羽山の中腹に広がる13万㎡の境内
  に30以上の堂塔伽藍が建ち並びます。創建以来、10度を超える大火災にあいそのたびに堂塔を焼失
  しましたが、篤い信仰によって何度も再建されました。現在の伽藍はそのほとんど徳川家光の寄進
  により寛永10(1633)年に再建されたものです。
   平成6(1994)年にはユネスコ世界文化遺産「古都京都の文化財」のひとつとして登録されました。

 


   
                    仁王門     

   
           桜が咲いていました。

    
          奥  三十塔        手前  経堂
    
  
            世界遺産登録を示す説明版

  
               本堂の舞台  


  
                 本堂

  
             阿弥陀堂

   
           地主神社 (今回は未訪問)

  
               奥之院

  
             奥之院から見た本堂

      
                  子安塔


  
     
子安塔近くにある展望スポットからみた 三十塔・経堂・本堂


  
  本堂から張り出した「舞台」の高さは約13メートル。これは4階建てのビルに相当します。
 本堂は音羽山の急峻な崖に建築されています。これは「懸造り(かけづくり)」と呼ばれる
 日本古来の伝統工法で、格子状に組まれた木材同士が支え合い建築が困難な崖などでも耐震
 性の高い構造をつくり上げることを可能にしています。
  舞台を支えているのは、床下に建てられた18本もの柱です。樹齢400年余の欅が使われて
 おり、大きいもので長さ約12メートル、周囲約2メートルの柱が整然と並んでいます。
 その縦横には何本もの貫が通されています。木材同士をたくみに接合するこの構造は「継ぎ手」
 と呼ばれ、釘を1本も使用していません。現在の舞台は1633年に再建されたものです。

  
                音羽の瀧

   寺名の由来となった瀧です。こんこんと流れ出る清水は古来「金色水」「延命水」と呼ばれ
  清めの水として尊ばれてきました。3筋に分かれて落ちる清水を柄杓に汲み、六根清浄、所願成就
  を祈願する人達が多く訪れています。


         清水寺を後にして、歩いて次の寺院へ。

  私事ですが高校時代は弓道部に所属していました。そんな弓道に関係する寺院に行きました。

  
              三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)

  天台宗妙法院の飛び地境内にある仏堂です。建物の正式名称は蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)。
 元は後白河法皇が長寛2(1165)年自身の離宮内に創建した仏堂で、蓮華王院の名称は千手観音の別称
 「蓮華王」に由来します。現在の堂は文永3(1266)年に再建されたものです。

  三十三間堂の名称は、本堂が間面記法で「三十三間四面」となることに由来し、柱間が33あるのは本堂の
 内陣(母屋・身舎)であり、建物外部から見える柱間は35あります。
  また、33は観音菩薩に縁のある数字で、法華経等に観音菩薩が33種の姿に変じて衆生を救うと説かれて
 います。
  ※「間」(けん)は長さの単位ではなく、社寺建築の柱間の数を表す建築用語だそうです
  
  
  中央に安置されている千手観音座像の圧倒的存在感と、お顔が1001体ごとに違う
 千手観音立像がとても印象的と言いますか、時間があればずっと眺めていられそうです。

  

  
  
              南側から北側を見た様子
  
  本堂西側の軒下(長さ約121m)を南から北に矢を射通す弓術の競技で、安土桃山時代に行われ始め
 江戸時代前期に各藩の弓術家により盛んに行われ、京の名物行事となりました。縁の北端に的を置き
 縁の南端から軒天井に当たらぬよう矢を射抜き、その本数を競いました。
  現在は「楊枝のお加持」(1月中旬)に本堂西側の射程60mの特設射場で矢を射る「三十三間堂大的全国大会」
 が行われ、大会参加者のうち新成人女性が振袖袴姿で行射する場面は、ニュースで取り上げられます。
  射程60mは弓道競技の「遠的」にあたります。私は射程28mの「近的」しかやったことがありません。
  

              バスに乗り、再び京都駅へ
  

      さらば京都駅 また来る日まで。
JRに乗り稲荷駅へ

              伏見稲荷大社
  
          (京都市伏見区深草薮之内町68)

  
  
  
                             楼門

  
                 本殿

  
  
               千本鳥居

  
           
奥社奉拝所 (奥之院)

 
 この先、稲荷山の上の方にもお社がありますが、この後の予定があるため引き返しました。
  
 

  
  京阪電鉄 伏見稲荷神社駅前にあった 麺好坊 蓮(現在閉店)
でラーメンを食べました。
       わざわざ京都に行ってラーメンを食べる第二弾(笑)

  
  
  チャーシューがたくさん載ってて嬉しかったんですけど、もう食べれないんですね…。

           京阪電車に乗って、藤森駅で下車
  
  

  
          都(みやこ)エコロジーセンター
           (京都府京都市伏見区深草池ノ内町13)

  
   地球規模での環境問題から、京都ならではのエコロジーの知恵を学べる展示や
  図書コーナーや屋上にはビオトープがあります。
   建物全体がエコな展示となっており、太陽光発電、雨水利用、地中熱利用、高断熱外壁など
  省エネルギー、自然素材の活用など様々な工夫を見学することができます。

  
  
  

  ここは寺院じゃないですけど、と言うツッコミがありそうですが、こちらは時間調整の為に
 立ち寄りました。

        と、言うのも、高速バス乗り場に近かったのです。
  

  
             高速深草 バス停
   
      大阪~東京間を走る グラン昼急行号に乗車
  (※ 2023年10月28日に豊田東JCT~御殿場JCT間は東名高速から新東名高速を走行する経路に変更されました
  
  
          西日本ジェイアールバスの車両でした。

  
                                    浜名湖サービスエリアで休憩
  (※ 現在は、大阪~東京間を走る高速バスは停車しません)
    
                浜名湖

  
           東名静岡 で下車 (東名高速・静岡ICにあるバス停)
        (※ 現在は、大阪~東京間を走る高速バスは停車しません)

   静岡インターチェンジ近くのバス停から静岡駅前行きのバスに乗車

  
            静岡駅前から、妻の実家近くのバス停へ。

         何も言わずに、妻の実家に八つ橋を手土産に訪問。
    義父母が大変びっくりしていましたが、私の突然の訪問を喜んでくれました。

   

  2020年3月22日

 
  
   義父母に富士山静岡空港まで送っていただき、新千歳行きのANA便に搭乗
 

  
          富士山はこの日は照れ屋さんでした(姿見えず)

  
               新千歳空港に到着


  高校時代を思い出して京都のお寺を巡って、静岡(妻の実家)に立ち寄るという突飛な旅でした。

    4年経つと、お店が無くなっていたり、高速バスの経路も変わっちゃうんですね…。

          最新情報ではない記事となってしましました。


  
    おわり

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2020京都の旅 その2

2025-01-24 22:37:53 | その他・・・おでかけ

 2020年3月20日 続き

 

                                     銀閣寺を後にし、再びバスに乗り八坂神社へ。
    
                八坂神社(やさかじんじゃ)
        
               (京都府京都市東山区祇園町北側625)

  八坂神社の創祀は平安京遷都以前まで遡り、斉明天皇2年(656)に高麗より来朝した伊利之(いりし)が
 新羅国の牛頭山(ごずさん)に座した素戔嗚尊を当地に奉斎したことにはじまり、古来より都の疫病除けの
 神社として信仰されてきました。
  千年以上続く「祇園祭」は、信仰の念が篤き町衆達によって守られ、幾多の苦難を乗り越えながら人々
 の安寧を願い続けています。

         
                             南楼門
  
       
                                                              舞殿

      
                    本殿


       
                   南楼門

       
                 梅が咲いていました。


       
       
              四条通を歩いて四条大橋へ

       
                    鴨川

       
          阪急の京都河原町駅から烏丸で地下鉄に乗り換えて京都駅へ移動
  
      
     
          京都駅前の京都新阪急ホテル にチェックイン
       
         
          (京都府京都市下京区東塩小路町579)

       
       JR京都駅が眩く輝いていたので、ふらふら~と吸い寄せられました。

       
      今年1月3日に亡くなった、建築家の原広司氏の設計(札幌ドームも設計)
       
       
        和と伝統の古都・京都の玄関口として圧倒的かつ斬新なデザイン

         
   アーチ状の屋根のコンコースにあるエスカレーターをひたすら上がると一直線に繋がっていました。
    
         
      最上部は空中径路と呼ばれる展望スポットになっていました(地上45m)

     
    
  高校の修学旅行で最後に立ち寄った京都タワー、この日は臨時休館だったため、この場所から眺めました。


        
         次回、京都に行った際は上るぞっ!

        京都駅の中を1時間半程、散策していました。

    夕食は、京都駅ビル10階にある「京都拉麺小路」(きょうとらーめんこうじ)

   
                彩色ラーメンきんせい 京都拉麺小路店
         現在の店名・中村商店 京都拉麺小路店

           (京都府京都市下京区東塩小路町901)
      
                  金の塩 (だったはず…)

            大阪府高槻市に本店があるお店だそうです。
     
                       平打麺です。
 
      わざわざ京都に行って、大阪のラーメンを食べる。
       そんなラーメン好き札幌人です(笑)




    つづく


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2020京都への旅 その1

2025-01-20 18:16:56 | その他・・・おでかけ

 お蔵入りしてしまったネタを掘り出しました。


2020年3月20日


 

 ANA772便で 新千歳空港から伊丹空港へ

 

 


 
           機窓から見えた 花博記念公園鶴見緑地

 
            大阪 伊丹空港に着陸

 
 
            大阪モノレールに乗り

 
        阪急電車に乗り換えて京都へ

 
        阪急 烏丸駅に到着

 
           四条烏丸にある、大丸京都店

  「そう言えば、この近くに高校の修学旅行で泊った旅館があったはず!」
 と思い出し、Googleマップを頼りに歩くと


                ありました!
         
            旅館 平新(ひらしん)

      
           (京都府京都市中京区蛸薬師通高倉西入ル)

       ちょっと覗いただけですが、ロビーは改装されて和風な感じになっていました。
  大浴場と、味の無い謎味のすき焼きを食べた思い出が個人の感想です・自分で醤油を足して味付けしました)
  
 高校の修学旅行の班行動では、広隆寺→東映映画村→金閣→銀閣→八坂神社→京都タワーの順で回ったようです。

      
              旅館の近くにあった八百屋さん

        そんな高校の修学旅行の順路を一部巡ってみました。    

        四条烏丸のバス停で金閣寺行きのバスを待っていた所
 「金閣寺に行く路線バスは混むし遅れるから、地下鉄で北大路まで行って、そこからバスに乗った方が早く行けるよ」
     と、ボランティアさんに声掛けされて、大人しく地下鉄へ
   
   
   
 北大路駅まで地下鉄に乗り、北大路バスターミナルでバスに乗ったものの、いつまで経っても金閣寺に着かない。

     間違って循環便に乗ったらしく、また北大路バスターミナルに戻ってきました・・・。

        バスの行先表示を確認し、再びバスに乗車。

  
      京都市バス「金閣寺道」で下車し歩くこと数分。
  

    臨済宗相国寺派 鹿苑寺(ろくおんじ) (通称)金閣寺

       (京都府京都市北区金閣寺町1)

  
  
               総門

            鏡湖池の向こうにあるのが
  

                金閣舎利殿
  
  
  
  

   元は鎌倉時代の公卿、西園寺公経の別荘を室町幕府三代将軍の足利義満が譲り受け、山荘北山殿を
  造ったのが始まりとされています。金閣を中心とした庭園・建築は極楽浄土をこの世にあらわしたと
  言われ、有名な一休禅師の父である後小松天皇を招いたり、中国との貿易を盛んにして文化の発展に
  貢献した舞台で、この時代の文化を特に北山文化といいます。
   義満の死後、遺言によりお寺となり、夢窓国師を開山とし、義満の法号鹿苑院殿から二字をとって
  鹿苑寺と名づけられました。
  
    
          
  
           安民沢 (真ん中の塔は白蛇塚)

  
             不動堂

    御朱印をいただき、金閣寺を後にし銀閣へ

   京都市バス(204系統)1本で行けましたが、車内は混雑し50分位立ちっぱなしでした。

            銀閣寺道で下車

  
    
          白川疎水沿いを歩き、銀閣寺参道へ

  
   臨済宗相国寺派  慈照寺(じしょうじ) (通称)銀閣寺

            (京都府京都市左京区銀閣寺町2)
  

  銀閣寺の名の由来は江戸時代、金閣寺に対し、銀閣寺と称せられることとなったといわれています。
 室町幕府八代将軍の足利義政によって造営された山荘東山殿を起原とし、義政の没後、臨済宗の寺院となり義政
 の法号慈照院にちなんで慈照寺と名付けられました。

 九歳にして家督を、十五歳にして将軍職を継いだ義政は、生涯をかけ自らの美意識のすべてを投影し、東山文化
 の真髄たる簡素枯淡の美を映す一大山荘を作り上げました。銀閣寺は美の求道者ともいえる義政の精神のドラマ
 を五百年後の現代にも脈々と伝えています。

  
                 総門

  
                 中門

  
                 庫裏・大玄関

  
         銀閣の後ろ側から回り込んで

   
                   方丈

         方丈の前から見た 観音殿銀閣
    
     特徴的な 銀沙灘(ぎんじゃだん)と 向月台(こうげつだい)

  
      
  
             庭園内を歩き、展望所へ  

   

  
      
      わびさびを感じさせる落ち着いた雰囲気に心落ち着きますね。
   
  
  
                 参道


    次は八坂神社へ。




     つづく   さあ、いつ更新されるでしょうか?

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無線免許取得・大坂の旅

2024-04-14 21:43:59 | その他・・・おでかけ

  3月初旬、航空特殊無線技士(無線免許)取得の為に、日本無線協会近畿支部主催の養成課程講習へ
 参加するために大阪に行った際の記録です。

  講習前日 (2024年3月4日)

 
             ANA774便で 伊丹空港へ

 
           これは大阪城ですね

 
             伊丹空港に到着

  
            バスで 難波まで移動。

 
 
 
           近鉄とJRを乗り継いで玉造駅へ。


  今回は大坂冬の陣で真田繁信(幸村)が構築した出城
              真田丸跡周辺を散策する事にしました。



   駅から歩くこと5分。

         三光神社(さんこうじんじゃ)
   
       (大阪市天王寺区玉造本町14ー90)

  創建は仁徳天皇~半正天皇時代(5世紀前半)と伝えられており、宰相山公園の脇にあります。
 一帯は、真田山とも呼ばれます。

  御祭神  天照大神 月読尊 素戔嗚尊
   
 

   
                 真田幸村像
   
   
                真田の抜け道

     大阪城からここに至るまで地下に暗道を設けたと言い伝えられている

   
               高台にあることが判ります。
   
   歩くこと5分
   


              心眼寺(しんがんじ)
   
        (大阪市天王寺区餌差町2−22)

     浄土宗のお寺で、山号は真田山で、寺門は六文銭(真田家と同じ)です。
   文禄年間(1592-1596)に創建されましたが、大坂冬の陣の際に付近一帯を真田繁信が真田丸を
  構築する際に取り込まれてしまい、冬の陣の終結後に真田丸が破却された際に一緒に破壊されて
  しまいました。元和8(1622)に繁信と子の幸昌の菩提を弔うために再建されました。

   
            まんなおし地蔵尊


   運の悪い時に祈願すると不運を直して幸運に変えるご利益があると言われています。

    
                真田幸村の墓

 江戸時代から繁信の菩提を弔われており、信繁の400回忌(2014年10月)にあわせて新しく作られました。

    
             真田幸村 出丸城跡の碑



   
       写真の准提観音は興徳寺の境内(心眼寺の隣)にあります。

   
              道路を挟んだ場所

      大阪明星学園 明星中学校・高等学校のグラウンド脇にある   
                真田丸顕彰碑
  
  
      (大阪市天王寺区餌差町5−44)

  大阪城の石垣にも使われている岡山県犬島産の自然石花崗岩を使用しています

   
   さらに歩いて5分ほど

  
       鎌八幡(圓珠庵)(かまはちまん・えんじゅいん)

  
          (大阪市天王寺区空清町4−2)

                真言宗のお寺です。
  この地には古くから鎌八幡と呼ばれる霊木があり、人々の信仰を集めていました。大坂冬の陣の時に
 真田幸村が榎の木に鎌を打付けて、鎌八幡大菩薩と称して祈念したところ戦勝をあげたと伝えられてい
 ます。
           境内は撮影禁止となっています。


        鶴橋駅まで歩き、大阪城公園駅で下車。

  駅に隣接するJR西日本 森ノ宮運転区に佇んでいたある車両に激しく反応。
  
  
         クモヤ145じゃないですか~!
      (車両基地内での入替作業等に使用する電車です)
  北海道では車両入替にディーゼル機関車や気動車が使われるので私にとっては珍しい車両なのです。

      と、いう事で真田丸の後は大阪城公園

  
       駅に展示してあったジオラマ模型

  
           大阪城ホールだそうです。


  
               堀がでかい

  
                                           大阪城 青屋門

  
                                        大阪城 梅林

  
   
     ちょうど梅の開花時期で多くの人が見物に来ていました。

  
            堀に浮かぶこれは?

     御座船(ござぶね)と呼ばれる大名や高貴な人が乗る豪華な船です。
   内堀を20分ほど周回するそうです。 (料金・大人1500円)


            豊国神社(ほうこくじんじゃ)
   
        御祭神  豊臣秀吉公  豊臣秀頼公  豊臣秀長卿

   
    明治元年(1868)に明治天皇が大阪に行幸なさった際に秀吉公を祀る「豊國神社」建立の御沙汰があり

  明治6年に京都を本社として社殿を造営し、明治12年に豊國神社の別社として現在の中央公会堂の辺りに
  建立されました。大阪市からの要望で昭和36年1月に大阪城二の丸に遷座しました。


     
                   桜門

               本丸の中にある
    
            ミライザ大阪城(旧第四師団司令部庁舎)

    
           天守閣への入城時間が過ぎていたので入城できず。

    
                  姫門跡

         天守から一段下ったところは山里丸と呼ばれています。

    
                  刻印石広場

    
              秀頼・淀殿ら自刃の地


                内堀の脇に 
    
           聖観世音菩薩 (淀殿並殉死者三十ニ名忠霊塔)

    
            大手門から大阪城を出ました。

    

            すぐ向かいにある、大阪府庁


               東横INN天満橋大手前
         
          (大阪市中央区大手通1-4-15)

     
           ホテルにチェックイン


  と、観光気分はこの日だけで
  
     翌日、いよいよ航空特殊無線技士 養成課程の講義がスタートです。
   
          日本無線協会近畿支部 (大阪市中央区谷町一丁目3番5号 アンフィニィ・天満橋ビル10F)

  1日目・2日目は9:00~17:40まで講習を受けて、ホテルに戻って通信術の特訓を。

   アルファベットの頭文字だけですと聞き間違え等や通信状況によっては正確に伝達されない
  恐れがあるため Aはアルファ Bはブラボー Cはチャーリー Dはデルタ Eはエコー・・・
  と、航空全般と国際通信ではこの様なフォネティックコードと言う欧文通話表による発声が
  行われます。
   


   送話(アルファベットの読み上げ)は何とかなるだろうと踏んで(後ほど痛い目に)
    

   主に、受話(アルファベットの書き取り)を練習しました。
   
 シャープペンシルだと、芯が折れてしまうと書き取れなくなってしまうので、天満橋駅にある無印良品に
 行き鉛筆を買いついでに食事を取りホテルに戻って練習をしました。


  講師の方が「録音して練習していいよ」と仰ってくれたのでスマホに練習問題を5つほど録音し、ランダムで
 再生し、2日間で練習用の用紙をすべて使い切りました…。
 

  講習3日目

   
   9:00~15:20まで講義を受け、15:30から修了試験を受けます。
  筆記問題(法規・無線工学)は何とかなったものの、問題の通信術の実技試験が。

  受話は1字ほど飛ばしてしまったものの、何とかなりましたが、送話(アルファベットの読み上げ)は緊張して
 しまい、二度ほど間違ってしまい、訂正を行いました。なんとか合格基準以上で合格しました。


  修了試験終了後、燃え尽きました…。
 コンビニで弁当を買い、部屋に引きこもりました。


  講習翌日(3月8日)


      札幌へ帰ります。
朝一番の便が空いていたので変更。

  
  
        地下鉄で天王寺駅まで行き、特急はるかに乗車。

  
  
  
          乗車した車両がキティちゃん使用でした。

  
                連絡橋を渡り

  
  
              関西国際空港に到着

  
   妻に、551蓬莱の肉まんを買ってきてほしいと言われていたので購入。

  
  
 8:20 関西空港発のANA1711便でしたが、機体整備のために1時間ほど延期となり離陸。

  
      これは、十和田湖でしょうか?

  
      新千歳空港に到着


   
      今回取得した免許証は近畿総合通信局長発行になっています。

  なんとかかんとか通信術をクリアして大阪で取得した記憶を思い出すものとなりました。


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いつの日かの沖縄旅行(波照間島)

2024-02-03 20:33:47 | その他・・・おでかけ

      gooブロガーのホルマリンさんが人が住む最南端と最西端の島に行かれたとの事。
   
    と、いう事で、16年前の私の沖縄県の波照間島についての記事を改めて。

      最新事情については、ホルマリンさんのブログを見てください。
             勝手にコラボ宣言(笑)


   2008年2月21日

  
            石垣港離島ターミナル


   8:30頃    安栄観光の波照間航路、高速船  第1あんえい号に乗船
  

   2008年当時、石垣
~波照間航路は波照間海運が定期便(高速船)とフェリーの運行を行っていました。
  安栄観光は、不定期便(旅客定員を12名に制限)として運行されていました。
           え?12人以上写真に写ってますよねって? さあ?どうなんでしょう?
     離島に住む方にとっては、安栄は少しぐらいのシケでも船を出してくれると頼りにされていたようです。
   安栄観光は2011年に定期便運行の許可を取得しました。これにより離島航路補助制度の対象から外れ
  経営が悪化した波照間海運は2012年6月に運航停止し、安栄観光がフェリーの運航を受け継ぎました。


  
  
      石垣港を出ると、徐々に船が上下し始め、
  

           外洋に出ると物凄い揺れ。
         窓の外を覗くと、波がザッパ~ン!
  
  
      約60分の乗船時間を耐えきれるのか?
  と思いつつ、腕時計の針が早く進めと思うのと早く着いてくれ~とひたすら祈る。
  
      あ~こんな感じで船がバウンドしてるから揺れるのね…

          
        窓から波を見たら酔いそうなので、空をひたすら眺める。
 
 
   船に波が垂直に当たらないように、波の合間を選んで必死に舵を切っている様子
      (ガラケーの動画を掘り出しました。解像度が悪いのはご容赦ください)

      過去最高に揺れた船旅でした(帰りに再び乗るんですが)

  
         こ、これが波照間島ですか? 

  
   
         ようやく波照間港に入港。

  
                            第1あんえい号  (小さっ!)

  
       有人島で日本最南端の波照間島に上陸です。


    オプションツアーで島内を一周後、レンタサイクルで再度1周。

  
  
  
       
        島内の様子

   
  島内には生活に最低限必要な日用雑貨や食料品などを売っている共同売店が5店と個人商店が数店あります。


    
                 コート盛  

      見晴台のことで、珊瑚石をらせん状に積み上げられたものです。
  波照間島は標高が低いため、約4mもの高さのものを当時村番所(今で言う役所)に併設して築かれました。
  17世紀半ば頃に八重山諸島全域に作られたと言われている遺構ですが、目的としては不審船などの通行を
  発見した場合、烽火によってすみやかに通報がされたと言われています。

              
                シムスケー

       シムスケーとは旧シムス村跡にある古井戸です。
   その昔、7カ月にも及ぶ大干ばつの際、1頭の牛がこの地を前足で掘り水を飲んでいた。
   それを見た人々はここに井戸を掘り、水を得て、命を救われたと伝えられている。
           
   
   
                 ニシ浜

    八重山でも指折りの美しい浜ですが、この日は曇天。ニシとは方言で「北」のこと。

   
   
                  高那崎

   日本最南端の岬です。1kmほど続く断崖絶壁に、打ち寄せる波が迫力満点です。
  日本最南端の碑がある場所です。
  写真にもチラッと写っていますが、星空観測タワーが近くにあります(現在休館中)。

       
                星空観測タワー (休館中)

   天体観測の障害となる気流の影響が少なく大気が安定しているため、星がくっきりと見えるそうです。
  12月~6月には南十字星が観測できるとか。



   
      海底が隆起してできた場所のようで、サンゴの化石がありました。
 
         
      
              日本最南端之碑

   有人島としては、日本最南端の波照間島です。沖縄返還前の1970年にこの地を旅した
  学生が建立したものです。

           日本最南端之碑の近くには
   
   
         47都道府県から集められた石がちりばめられています。

   
              日本最南端平和の碑

    竹富町が1995年(平成7年)に戦後50年の節目を迎えるにあたって建立しました。
 
   


   
        
                波照間之碑

         沖縄返還を記念して1972年に建てられました。

         モニュメントがたくさんある高那崎です。

   
                  牛さん

   
   
                ヤギさん
   
   
   
          サトウキビ畑とサトウキビの収穫の様子


  



     それでは、日本最南端シリーズを紹介


     日本で一番南にある交番 (八重山警察署 波照間駐在所)
   
       当時のパトカーが スズキ カルタス 


     日本で一番南にある小学校 (竹富町立波照間小学校)
  
  
  
   日本で一番南にある郵便局(昭和基地内郵便局を除く) 波照間郵便局 
   
    
   
  
   
     2023年7月24日に東に160m移転し新築したようです。 画像:NHKニュースwebより


      日本一南にあるコカ・コーラの自動販売機
     
  
  (当時は集落の仲底商店にある自販機でしたが、現在は仲底商店は閉店しています)

    現在の日本一南にあるコカ・コーラの自動販売機はこの辺りにあります。
   


       日本一南にあるNTTドコモの基地局
     
  
              ロゴが古い・・・
         
     
  こちらは日本一南にあるソフトバンクの携帯基地局です(auは撮ってませんでした)


     日本で2番目に南にある灯台
 
 波照間灯台
   
  (2008年3月に沖ノ鳥島に沖ノ島灯台が設置され、日本一南の灯台の座を譲りました)

   
  波照間島最標高地点の三角点(59.5m)は、カッチンヌブヤムリ(遠見台)の上に
 設置されています。
     波照間島灯台は島の真ん中にあり、海岸線は見えません。


     日本一南にある製糖所 波照間製糖 (2014年に工場が建て替えられました)
  
      
      黒糖を買ってきたようですが、味は・・・忘れてしまいました。

             日本一南の酒造所  波照間酒造所

       
      泡波という泡盛を島内で生産していますが、9割が島内で消費され
     幻の酒と呼ばれていました。下戸ですが、ミニボトル(360ml)を買ってきて
     沖縄好きの先輩にあげたところ大変喜ばれました。
 

        日本最南端の空港   波照間空港
      
   2007年11月30日までは琉球エアコミューターが、2007年12月28日~2008年10月迄は
  エアードルフィンが
石垣~波照間間を運航していましたが、エアードルフィンが経営破綻し
  就航路線が無かったのですが、第一航空が
今年の1月22日から週3往復(月・水・土)就航しました。

  
          エアドルフィン機 (石垣空港(旧空港)で撮影)


  



           島内観光を終えて再び波照間港へ 
           そして悪夢が・・・。
  
  
   船客ターミナルにあった売店で買い物をした際に、船酔いしにくい席ってどのあたりですか?
  と、尋ねたところ、売店の方が「1階の後ろ側がいいよ」と教えてくださいました。

   
           第78あんえい号で石垣島へ戻ります

         往路で乗った第1あんえい号よりは新しそうです。

    アドバイス通り、船内の一番後ろ側の席へ着席。
   隣に、半そで短パンで釣竿を持ちクーラーボックスを抱えた釣り人が座りました。

   「気分が悪くなった方は座席前のポケットに入っているビニール袋を使ってください」との船内アナウンス。

   波照間港を出ると、船は出力を上げて速度が速くなっていき、やはり波で船が縦に揺れます。
  すると
 「オえ~~~っ」 

   まさかの、隣の釣り人がビニール袋の中にリバース。

           これはヤバい! 
  中身を服に
かけられてしまうと思い、別な席に移動しようと立ち上がろうとするも
       船が揺れて立ち上がれない。

    同行者と私がなんとか席を変わって、同行者が窓側に、私が釣り人の横に座ったものの
  同行者がリバース物体の臭いにつられてリバースしそうになっていました。

   私  「そっちじゃなく、外を見て!空!空!」

   同行者「えっ?どこ?何? ちょっと無理?我慢できない!ちょっと無理かも・・・自主規制」  

     こんな地獄絵図の中、60分間も耐えなければならないのか!?
      私もヤバいぞこれは。両側でこんなになってるの。

      耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、耐え抜きました。

              石垣港に入港。

   釣り人さんは 「すいませんでした」 と蚊の鳴くような声を残し消えていきました。

  

    ※ちなみにこの時乗船した、第78あんえい号ですが、2008年1月16日に悪天候の中
     波照間港から出航し、乗客3人が腰椎圧迫骨折等の重傷を負うという事故がありました。


      詳しい背景はこちらを参考にしてください        こちらは海難審判庁の資料です
  
        疲れ具合MAXで石垣島のホテルに帰った記憶があります。
        上記の様子だった為、帰りの船の中の写真はありません。

 


   そういえば、帰りの高速船は地獄絵図だったわ~と記憶を思い出しながら記事にしました。
   同行者は誰なんだ?とか詮索しちゃだめです。大人の事情があるんです
             
   ホルマリンさんのブログを拝見し、飛行機でも行けるようになったようなので
  いつかまた行ってみたいなという思いが湧き出てきました。


   それにしても、懐かしい思い出です。
     
                                     ほんのちょっと続きます。

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(*^-^*)(*^-^*)