狼さんと羊さん

写真付きで札幌の日記や乗り物の趣味を書くならgooブログ

一人旅 その7

2007-03-31 16:54:37 | 鈍行列車の旅


      3月17日(金)     静岡県沼津市

  
  富士山と駿河湾が見えるかな~?と、カーテンを開けると・・・・・。

      曇ってました・・・   駿河湾は見えましたけど。
       

      ホテルの朝食バイキングでお腹を満たして・・・。


          プチ沼津観光開始です。

        ホテルを出て、外をブラブラ・・・。
     近くにあった神社浅間神社 (せんげんじんじゃ)
                                                                         
に桜が咲いていました。
           (沼津市浅間町4)
             

  沼津市内を流れる狩野」。土日には、渡し舟が運行されているそうです。
      

  沼津市内中心部の郵便局を3局回ったのですが・・・印象的な局がありました。
           
              沼津本町郵便局
              (沼津市下元町4)
     外見は、変わり映えのしない普通の特定郵便局です。

 中に入ると・・・狭い!とにかく狭い! 
                   それなのに局長さんも入れて職員が5人。

      狭すぎてATMが付いていません・・・。
     窮屈そうで、職員さんが可哀相でした。



     沼津駅から歩いて5分くらいのところにある
   
           中央公園
         (沼津市大手町3)
  公園を含む、この一帯は「沼津城」の跡だそうです。
         
 天正7(1579)年、武田信玄の子の勝頼が三枚橋城を築城しました。関が原の戦い以降は、
大久保冶右衛門忠佐が城主となりましたが、世継がいなかった為に忠佐の死後、大久保家は
断絶となりお城も廃城になってしまいました(慶長19(1614)年)。
 以後、160年間お城がなかったそうですが、後の老中水野忠友が沼津城を安永6(1777)年
に、三枚橋城の北半分に築城したそうです。
        
  お堀も石垣もなく、お城があったという面影となるものは、石碑以外に
 ありません・・・。
                    
  



     沼津駅前から、伊豆箱根バスに乗車。向かった先は・・・。
               


       約15分くらいバスに乗ったところにあります。
 
    沼津御用邸記念公園 
      (沼津市下香貫島郷2802-1)  入場料 大人400円
       
    御用邸とは・・・一言で言うと、天皇家や皇族の別荘です。

  沼津御用邸は、明治26(1893)年に大正天皇(当時・皇太子)のご静養の為に造られました。

  明治36(1903)年に、赤坂離宮東宮太夫官舎を移築し東付属邸を設置。主に後の昭和天皇・
 秩父宮様・高松宮様・三笠宮様の学問所として設置されました。

  明治38(1905)年には、川村純義伯爵の別荘を買い上げ、西付属邸としました。その後数回
 増築が行われています。

    昭和20(1945)年7月16日の沼津大空襲で、本邸は焼失してしまいました。
 現在は、西付属邸と東付属邸のみです。本邸の焼失により、西付属邸が御用邸
 として利用されるようになりました。


               本邸正門
      

                           西付属邸 (内部を見学できます)
  
                   

                調理室
     

                御食堂
     

                謁見所
         

                御座所
    
 
               御玉突所
    

   内部には、昭和天皇が描かれた絵も飾られています。
    


           東付属邸 (貸し間として、お稽古事などに利用されています)
 
        
                 
              
                                      
              旧厩舎
      

         御用邸の敷地から眺めた海です。
      

   明治時代の宮廷木造建築として貴重な建物です。
       お庭を散策するのもいいですよ。

           
       御用邸記念公園を出て、沼津駅行きのバスへ再び乗り・・・。

        沼津駅から東京方面へ1駅・・・三島駅へ。



   すいません・・・10000字になってしまいそうなので・・・・。


                             続きます・・・。
  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬の富良野・美瑛

2007-03-29 21:18:46 | 札幌からドライブ...
  今回は、高速で札幌から滝川ICまで走り、国道452号線で富良野へ。


       私の富良野は・・・麓郷地区でして・・・。

 テレビドラマ「北の国から」の舞台を必ず見に行きます(何度も行ってるのですが)。

   02放送の「遺言」に登場する、「拾った来た家」です。
    (劇中では、雪子おばさん(竹下景子)の家として登場します)
     

     スキー場のゴンドラのキャビンは落ちているのかは・・・?
     

     家の中にも入れますよ。 右側の棚は、冷蔵庫ですよね?
     


        五郎さんの家(4番目)もあります。
   この家は、「92’巣立ち」の時に住んで(設定)いた家です。
     
 屋根の雪下ろしをしていて足を滑らせ、吹雪の中で意識がもうろうとなっている中
 愛犬のアキナが助けに来る回です。
      「誠意とはいったい何かね?」の回でもあります。 


 「北の国から」をご覧になってなかった方達には、さっぱりわからない話題で
すいません・・・




       富良野から、国道237号線で美瑛へ。

       美瑛といえば、丘の街です。

  夏の間に行った丘の道は、ほとんどが農道です。冬季間は通行止めになって
います・・・。

   ですが、「セブンスターの木」付近までは行きました。
      
          雪原の上に模様があります。
    これは、スノーモビルなどで、灰を撒いているからです。
         なぜ灰をまくかと言いますと畑に積もった雪を早く溶かすためです。
      白より黒いものの方が熱を吸収しますよね?簡単に言うとそうゆうことです。
             (間違っていましたら農家の方、ご指摘ください)
    
    

    

    
        左の木がセブンスターの木です。
 
    


       冬の美瑛もいいですね~。


     冬の景色を楽しんで旭川から高速で札幌へ帰りました

 
                         
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一人旅 その6

2007-03-28 23:05:00 | 鈍行列車の旅

     飽き飽きかもしれませんが・・・お付き合いください


      3月15日 (木)     鎌倉観光編

 
           バスで鎌倉駅に戻ってきて・・・。
     

     江ノ電に乗車して、遂にあの場所へ・・・。
    
  江ノ電って、本当に家と家の間のギリギリのところを走っているんですね・・・

     
   長谷駅で下車して・・・。一緒に下車する人がかなりいました。

 
長谷通りと呼ばれる大仏様へ向かう道には、両脇に飲食店やお土産屋さんが
びっちり立ち並んでいます。 ですが、歩道が狭い!


  長谷駅から5~6分歩いたところにあるのが
 
       「長谷寺」 (はせでら)  (浄土宗)  
      鎌倉市長谷3-11-2   拝観料 300円
    
     
     このお寺の歴史は古く、天平8(736)年まで遡ります。
  鎌倉幕府が開府した頃には、既に存在していたと言うことです。

  ご本尊の十一面観音菩薩像は、養老5(721)年に奈良県の長谷寺の徳道上人
の本願により、楠の巨大な霊木から二体の観音像が二人の仏師によって造顕され
ました。そのうちの一体が奈良県の長谷寺の本尊となり、もう一体は請願の上で
海に流されました。15年後の、天平8年に相模国の長井浦(横須賀市長井)に流れ
着きました。この菩薩像が鎌倉に安置されたのが、長谷寺の由来です。

               観音堂  
     大きな観音様(高さ9.18m)が納められています。
    

              阿弥陀堂
  源頼朝が厄除けの為に建立させた阿弥陀様が納められています。
    

      見晴台と呼ばれるビューポイントもあります。
           相模湾と厨子方面
    

              弁天窟
    洞窟の側面に、弁天様と十六童子が刻出されています。
    

  庭園もあるのですが、境内の中にたくさんの木々や花々が咲いていました。
    
    
    
   
  
     駅からも近く、大仏様も拝観に行く人が多いと思います。

  観音様も阿弥陀様も荘厳な雰囲気があって見にいって良かったな~と
 思いましたが、弁天窟はすごいです!皆様にも是非ご覧いただきたいです。
  
  

        そして・・・やっと着きました・・・。
  長谷寺から5~6分。長谷駅から約10分位で着きます。

        「高徳院」  (こうとくいん)  (浄土宗)
       
  鎌倉市長谷4-2-28    拝観料200円
    

  高徳院のご本尊が「鎌倉大仏」と呼ばれている阿弥陀如来です。
 
 大仏様は、暦仁元年(1238)に木造の大仏の造像が始まり、5年後の寛元元年
(1243)に完成したそうですが、宝治元年(1247)の大風で、仏像も殿舎も破壊されて
しまいました。
   建長4(1252)年に、青銅を鋳造し大仏建立が始まりました。
当時は、金箔が施されて、殿舎の中に安置されていたそうですが、度重なる台風と
地震の津波で大仏殿が倒壊してしまい、露座となりました。
    

  台座を含めた大仏様の高さは  13.35m
  青銅の大仏様だけの高さは   11.312m  
  大仏様の重量は            121トン 
  目の長さは                  1m   だそうです。
                 

   
     なんと、大仏様の中にも入れるんです! (胎内拝観 20円) 
     ですが、同時に30人以上入れませんのでご注意を!
      


      ちなみに、鎌倉の大仏様は国宝です。

  
奈良の大仏様は、高校の修学旅行で拝観したことはあったのですが
 鎌倉の大仏様は初めてでした。
     
   

        大仏様で私の鎌倉観光は終了です。
          いや~回りに回った~! 
     まだ見たいところがあったのですが・・・。
     それはこの次のお楽しみということで

  お土産屋さんで大仏焼を買って、高徳院の近くの鎌倉長谷郵便局から小包で
 お土産とその他の荷物を自宅に送りました。
  リュック一つで旅行をしているので、お土産を持ち歩いて、あと1日観光するのは
無理なので・・・。


       長谷通りを戻り、江ノ電の長谷駅へ。
 
                         藤沢駅行き電車に乗車。
     

   稲村ケ崎駅から腰越駅までの間は、海沿いを走るんですね~
         夏は、すごい人なんでしょうね。
 
          藤沢駅に到着。
      
  江ノ電にも乗ってみたかったので、また一つ目標達成です!

  江ノ電からJRに乗り換えて、この日の宿、沼津を目指します。

     藤沢駅から1時間14分・・・静岡県の沼津駅に到着。
     
     

          初めて静岡県に来ました。

   今日も駅弁を夕食にと思い、弁当売り場に行くと・・・。
  「売り切れちゃった~、ごめんね。」 と売り子のおばちゃん・・・。


  駅を出て、ホテル近くのローソンでコンビニ弁当を買い、ホテルへ。
     


       この日の宿は、 沼津東急ホテル
   さすがにシティーホテル、部屋まで案内してくれました。

 晴れていたら、部屋から富士山と駿河湾が見えるという最上階11Fのシングルを
用意していただきました。
     

    晴れるといいな~と願い、眠りに就きました

                          旅レポも残るは、あと2回位かな? 

                         もうちょっと続きます。

  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一人旅 その5

2007-03-25 21:53:29 | 鈍行列車の旅


    3月15日     まだまだ・・・鎌倉観光編


   銭洗弁財天から約30分程をかけて、鎌倉駅まで戻り西口から東口へ・・・。

     駅からすぐ、若宮大路に面しているお寺
     「大巧寺」 (だいぎょうじ)  (日蓮宗)
        鎌倉市小町1-9-28

  もともとは、「大行寺」という名前で、金沢街道沿いの十二所(じゅうにそ)に
あったそうですが、源頼朝が合戦の前にここで軍議をここで開いて大勝したこと
から、「大巧寺」と改められたそうです。現在の場所には元応2(1320)年に移った
そうです。
      
        
      
        安産祈願のお寺として有名だそうです。

  五代目の住職日棟上人が、難産で無くなった産婦の霊を鎮めたことから
  「おんめさま」と呼ばれているそうです。

      庭の木々・花々が丁寧に手入れされていています。
   拝観料を納めなくても見学できるお寺は、庭の手入れが本当に大変だと思う
   のですが・・・。

            椿が咲いていました
      

                 寒桜
      
       



     大巧寺からすぐのところにあるのが
       「本覚寺」 (ほんがくじ)  (日蓮宗)
        鎌倉市小町1-12-12
      

  佐渡に流罪になっていた日蓮が、赦免されて鎌倉に戻ってきて、甲斐の身延山に移るまで、この地にあった夷堂(えびすどう)に滞在したと言われています。

  日蓮ゆかりのこの地に、永享8(1436)年、日出(にっしゅつ)が創建したのが
 このお寺です。日出の弟子の日朝(にっちょう)が、日蓮の遺骨を身延山から分骨
 し納めた為、「東身延」とも呼ばれているそうです。
       
       
       

        
      本覚寺と滑川に架かる夷橋を隔てて向かい側に参道が延びています。
     「妙本寺」  (みょうほんじ)  (日蓮宗)
           鎌倉市大町1-15-1
      

   もともとこの辺りは、鎌倉時代の御家人「比企能員」(ひきよしかず)一族の
 屋敷があった場所でした。
 比企氏は、建仁3(1203)年、対立していた北条氏によって滅ぼされてしまいます。
 生き残った能員の末子の「比企能本」(よしもと)が、一族の菩提を弔うために
 日蓮に帰依し、文応元(1260)年に屋敷の跡に建てたのがこのお寺です。

      
      
             緑豊かなお寺です。

          日蓮像  穏かな表情です
          




   妙本寺から歩いて3~4分、比企谷幼稚園横の住宅街の道を進むと

  「常栄寺」 (じょうえいじ) (日蓮宗) 「ぼたもち寺」とも呼ばれています
         鎌倉市大町1-12-11

  文永8(1271)年、幕府や他宗派を批判したとして、幕府に捕らえられ片瀬の
 龍ノ口刑場に引き立てられる日蓮に、この地に住んだ桟敷(さじき)の尼・妙常日栄
 が、仏の加護を願いごまのぼた餅を差し上げたことに由来します。
   この後、日蓮は刑場に連れて行かれ、処刑されかかったのですが、刀が段々
 に折れるという奇跡が起こり死罪を免れ、佐渡に流罪となりました。

     
       小さなお寺ですが、由緒あるお寺です。 



    
    同じ道沿いにあるのが
         「八雲神社」  (やぐもじんじゃ)
      鎌倉市大町1-11-22

   疫病が流行した時に、源義光が京都の祇園神社から祭神を勧請したのが
 由緒です。鎌倉で一番古い厄除開運の神社だそうです。
     
   
 
  
    常栄寺・八雲神社が並ぶ小道が大きい道にぶつかります。
 辻子方面に歩いていくと、対向車線側にお寺がありました。

       「上行寺」 (じょうぎょうじ)  (日蓮宗)
       鎌倉市大町2-8-17
     
  「身がわり鬼子母神」「薬師瘡守稲荷」「癌除」「水子供養の寺」と看板が出て
 いて、ちょっとあやしいお寺?と思ったのですが、日蓮上人の孫弟子の日範上人
 が開院したお寺です。
  すべての病に御利益があるという瘡守稲荷(かさもりいなり)と身代り鬼子母神
 が祀られています。


     そして、そのほぼ向かい側にあるお寺が

     「安養院」  (あんよういん)  (浄土宗)
     鎌倉市大町3-1-22    拝観料100円
     
 北条政子が夫の源頼朝の菩提を弔う為に、長楽寺というお寺を建立したのですが
焼失してしまった為、この場所に移し寺の名も政子の法名の「安養院」と改めたのが
このお寺の由来です。
     
 また、このお寺には阿弥陀如来と田代観音が祀られており、田代観音を祈ったことで、頼朝と政子は結ばれたと言われています。



    安養院から歩いて5~6分ほどの所にあるのが・・・

   「安国論寺」 (あんこくろんじ)  (日蓮宗)
    鎌倉市大町4-4-18    拝観料 100円
     
 このお寺は、日蓮聖人が32歳からおおよそ20年間の間、鎌倉での宣教活動の
中心として建てた庵が前身です。
 文応元年(1260)に「立正安国論」を書かれた場所でもあります。
        
 
         境内はかなりの広さです。
     

      境内の富士見台と呼ばれる高台からの眺め。
     

  境内霊場案内と言うのを、御札所でもらったのですが、この通りに回ると・・・。
 ちょっとしたハイキング気分を味わえます。
      

     焼討ちに遭った時に避難した洞窟が残っています。
     
 
 

  
  安国論寺からすぐの所に、苔寺とも呼ばれている妙法寺があるのですが、
 今回はちょっと・・・。足がパンパンになって歩けなく寸前にまで衰弱してしまい


    もよりのバス停 「名越」(なごえ)からバスに乗り、鎌倉駅へ。
         

           一旦休憩して・・・江ノ電乗り場へ。

 
                           って、まだ終わりません。

  

                 鎌倉観光、まだ続きます・・・。


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一人旅 その4

2007-03-23 22:19:38 | 鈍行列車の旅


   3月16日 (木)  鎌倉観光の続きです。

 
     円覚寺・東慶寺と回り、北鎌倉駅から隣の鎌倉駅へ。
  
               

    鎌倉駅から、若宮大路を歩きます。15分ほど歩くと・・・

       鶴岡八幡宮」(つるがおか はちまんぐう)
           鎌倉市雪ノ下2-1-31

   鶴岡八幡宮の歴史は、康平6(1063)年に源頼義が京都の岩清水八幡宮を
 鎌倉の材木座に鶴岡若宮として勧請したのが始まりです。
   源頼朝が現在の場所に遷しました。
  源氏の氏神として、鎌倉幕府の中枢となる施設を整備されていきました。

     

     
     源平池にかかる橋のたもとに咲いていた桜です。
     

     

     
              舞殿です。 
     頼朝に捕らわれた静御前が、義経を想い舞ったと言われている
   場所ですが、当時はまだ建立されていなかったとの説も・・・。

    
      大階段(中央)と大銀杏(左)と本宮(中央上)
  大銀杏は、3代将軍の源実朝を殺害した公暁が、この銀杏の木に隠れて
 待ち伏せをしたと言われています。

      
                    本殿

        
           流鏑馬馬場に咲いていた桜。

   歴史の舞台を実際に眺められて、改めて行ってよかったな~と。
  
 

   若宮大路より一本線路よりの道、小町通りを駅方向へ向かう。
 小町通りの両側にはびっちりとお店が立ち並んでいます。商店街なんですね。

   小町通りから、踏切を渡り・・・立派な住宅街の中を進みます。
 この辺りは鎌倉の高級住宅地なんでしょうね。本当に大きな家ばかりです。  

       道を行くにつれ、傾斜が厳しくなって行きます。

         佐助トンネルというトンネルを越えて・・・
          
   トンネルを抜けると、また住宅街です。住宅街の中をズンズン進みます。
          住宅街の突き当たりにありました。        
  


        佐助稲荷神社  (さすけいなりじんじゃ)
        鎌倉市佐助2-22-12
      
   源頼朝が、伊豆の蛭ケ小島に流されていた時に、稲荷神が夢枕に現れ
 平家討伐の時期を告げたと言う由緒があります。

   「殿」(すけどの)と呼ばれていた頼朝を、けたという事で、佐助
呼ばれているという説があります。

  
     朱色の鳥居と真っ赤な奉納旗が・・・圧巻です。
          

             本宮です
     

               奥宮です
     

         境内には、たくさんリスがいました。
     
 スナック菓子をあげた男子中学生が、指を噛まれて大騒ぎしていました
 みなさんもご注意ください!



    階段を下っていく様子ですが、独特の雰囲気がありますね・・・。
     

         鎌倉駅から、徒歩でおおよそ30分くらいです。


         佐助稲荷神社を後にして・・・。
  次に向かったのは、ここから5~6分のところにあります・・・。
  「銭洗弁財天への近道」なる案内が・・・。階段がきついです
   裏側から着いちゃいました。



       銭洗弁財天 宇賀福神社 
           
(ぜにあらいべんざいてん うがふくじんじゃ)
         
鎌倉市佐助2-25-16

 文治元年(1185)巳年・巳の月・巳の日、源頼朝の夢の中に宇賀福神(蛇の化身)が現れ、
この水を汲んで神仏を供養すれば天下は平和に栄えるだろうとお告げが
あったのが、由緒です。

 お金を洗うようになったのは、北条時頼が一家繁栄を願ったのが始まりだとか。

  『銭洗水で金円を洗うことは、心を清め不浄の金を洗うことにより、寿福幸運が
授けられる尊い信仰である。』(境内解説による)
  
      との事なので、私も清めて来ました


              本宮です。
     

   境内にある3ヶ所の社を蝋燭と線香を持ってお参りし、洞窟の中の霊水で
 ざるの中に入れたお金をお清めをしました。

  社務所で、お参りセットが売っています(値段失念)。

  
      この洞窟の中に奥宮があり、水が湧いています。 
     

    本当は、こっちが入り口?  トンネルを抜けると銭洗弁財天です。
    
    

  ここから、大仏さまへ歩いていく事も出来たのですが、一旦鎌倉駅方向へ歩いて
 戻ります。

   山坂がキツい地域を歩いて、ふくらはぎがちょっと張ってきました・・・。
 


    
ご覧の皆様も、飽きてきたかもしれませんが・・・

                    まだ、鎌倉の旅は続きます!


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(*^-^*)(*^-^*)