開拓の村の旧島歌郵便局の前にあった、丸型ポスト。
郵便物を投函は出来ませんが…とても珍しいものでした。
これは、現在の丸型ポスト(差出箱1号)の祖先ともいうべきもので、回転式ポストと呼ばれています。
明治41(1908)年10月、鋳鉄製赤色円筒形ポストのひな型が正式に定められ、このポストが全国に設置されました。
この「回転式ポスト」は、回転盤上部のつまみを左右のどちらかに半回転させると、回転盤の切り口が上部に移動して
差入口が現われ郵便物を投函することができるようになります。
差入口の中には受棚があり、郵便物を差し入れると郵便物はその受棚の上に載ります。
手を離すと回転盤は自動的に元に戻り、差入口は閉じますが、同時に郵便物が載った受棚も回転するので、郵便物は落下して
内部に収納されます。
丸型ポストのご先祖様です。
昨日の記事の続きです。
北海道開拓の村
(札幌市厚別区厚別町小野幌50-1)
漁村群
旧青山家漁家住宅 (小樽)
青山家は、安政6年(1859)山形県から渡道し、小樽沿岸を中心に鰊建網などを経営した漁家です。
建網経営には番屋をはじめ網倉、船倉のほか海産干場、船入澗など多くの施設、設備を必要としました。
鰊漁場の建物が、このように集約的に保存されているところは少なく、貴重な遺構の一つです。
文庫倉
石倉
板倉
米倉
網倉
旧土屋家はねだし (八雲)
はねだしは、鰊漁家の付属施設として海岸の地形に合わせ海側へ跳ね出す形で建てられた倉です。
床には開口部が設けられており、直接荷物の出し入れを行うこともできます。
この倉は漁具、漁穫物、魚粕・身欠鰊・数の子などの加工品を収納するために使用されました。
廊下
廊下は、陸揚げしたニシンを一時収蔵するための施設ですが、漁期後は船・櫂・櫓などの大型の漁労具や加工用具を
収納する倉としても利用されました。
旧秋山家漁家住宅 (羽幌)
秋田県男鹿半島から明治末期に移住した秋山嘉七が、ニシン漁で繁栄していた時期に建てた住宅です。
同家では三代にわたり、ニシン刺網漁のほか磯廻り漁などを続けながら、昭和53年(1978)まで住んでいたものです。
農村群
旧山本消防番屋 (札幌)
水田農村であった山本地区の消防用具の格納庫です。消防組織は、大正8年(1919)頃からの地区の自衛団を前身とし
のち山本消防組となりました。昭和45年(1970)まで消防活動を続けた建物を再現しています。
旧若狭家たたみ倉 (上ノ国)
たたみ倉は主に道南の上ノ国町周辺においてみられます。倉は長方体の角材を積み重ねて外壁を作り、屋根をかけたセイロウ倉
と呼ばれる構造で、北海道の建物としては特殊なものです。
旧ソーケシュオマベツ駅逓所 (喜茂別)
喜茂別村と徳舜瞥村(現在の大滝村)の中間地点で、明治42年(1909)から昭和9年(1934)まで営業していた官設駅逓所です。
駅逓は、明治・大正・昭和にかけて、荷物の搬送や郵便・宿泊などの業務を行い、北海道の開拓に大きな役割を果たしました。
旧ソーケシュオマベツ駅逓所厩舎
旧田村家北誠館蚕種製造所 (浦臼)
絹(糸)の原料になる蚕の卵(蚕種)をとる建物で、浦臼村養蚕伝習所教師であった田村忠誠が、当時模範とされた
東京蚕業試験場の蚕室を参考に、明治34年(1901)から同38年にかけて建築したものです。
ここでは蚕種の製造販売を行うかたわら、多くの養蚕技術者を養成しました。
旧農商務省滝川種羊場機械庫 (滝川)
この建物は農商務省の技師が北欧の建築様式を取り入れて設計した農業機械庫で、大正中期に建築された種羊場の代表的な
施設です。基礎には自然石を積み、小屋組は洋風構造のキングポスト・トラス組で、建物の正面と左右には下屋が設けられています。
旧納内屯田兵屋 (深川)
納内に屯田兵が入地したのは、明治28・29年です。明治8年(1875)に始まった北海道の屯田兵は、家族とともに兵村で暮し
北辺の警備と農業開拓に従事しました。当初は士族から募集しましたが、明治23年からは主力を平民に移し、空知・上川・北見地方
など北方内陸部に屯田兵村が作られていきました。
旧岩間家農家住宅 (伊達)
岩間家は旧仙台藩亘理領(宮城県亘理町)の士族移民団の一員として、明治4年(1871)2月に入植した畑作農家です。
この建物は明治15年(1882)に郷里の大工によって建築され、構造・間取り共に仙台地方の特徴を受け継いでいます。
旧山田家養蚕板倉 (札幌)
開拓使は、屯田兵の授産事業として養蚕を奨励し、琴似兵村ではその成果が実って、屯田兵のなかに独自の養蚕施設を
持つ人も現れました。この板倉は、屯田兵として入植した山田家のもので、草創期の暮らしぶりを伝える数少ない遺構の一つです。
旧河西家米倉 (札幌)
厚別地区での米作は、明治16年(1883)長野県からの移住者によって始められました。水田は付近の低湿地に造られ
明治20年代になり本格的に耕作されるようになりました。この米倉は最初の移住者の一人である河西由蔵が建てたものを
再現しています。
旧信濃神社 (札幌)
間口が2本の柱で構成される「一間社流れ造り」という様式で、神社建築によく用いられます。
旧所在地は、長野県諏訪地方の出身者が中心となって開拓されたので信州開墾地とも呼ばれました。
神社には信濃国一ノ宮諏訪大社の祭神である建御名方命を祀り、信濃神社と命名されました。
旧樋口家農家住宅 (札幌)
樋口家は富山県から移住した水田農家で、明治26年(1893)に入植し5年目にこの家を建てました。富山出身の棟梁に
建築を依頼し郷里の建築様式であるワクノウチ造りを取り入れ、材料は近くの原始林から切り出したそうです。
復元に際し、同じ建築様式の山口家の解体材もあわせて使用しました。
旧小川家酪農住宅 (札幌)
この畜舎は、大正末期に札幌農学校出身の小川三策がアメリカから取り寄せた設計図を参考に建築したもので、19世紀の
アメリカで発達したバルーンフレーム構造が特徴です。また、軟石サイロはのちに厚別の農家より譲りうけて移築したものです。
見学時、ルーンフレーム構造の屋根が抜けてしまっていました。
旧菊田家農家住宅 (札幌)
明治19年(1886)新潟県長岡の有力者であった大橋一蔵や関矢孫左衛門などは北越植民者を組織し、野幌原野開拓を計画しました。
この建物は、その一員の新潟県魚沼郡出身者が、移住直後の明治26年(1893)頃に建築し、後に同じく南浦原郡出身の初代菊田常吉が
買い受けて移築したものです。
開拓小屋
開拓小屋は開墾小屋とも称し、移住者が最初に建てた住居です。丸太を埋め立てて柱とし、桁・梁・垂木をわたし、笹・茅などで
屋根や壁を葺き、出入り口・窓にはむしろを下げました。屋内は一部が土間で、他は笹・枯草を重ねたむしろを敷いて居間とし
炉を設けました。明治期のものを再現しています。
と、言うことで三回に分けて紹介しました。
建物内部も見学でき、北海道開拓の歴史についてみて学ぶことができる場所です。
夏季は馬車鉄道が走っていますが、冬季は馬そりが村内を走っています。
料金 大人(15歳以上) 270円 ・子供(3歳以上15歳未満) 130円
夏にはまた違った風景が見れると思います。
開村時間 5/1~9/30 9:00~17:00 入場は16:30まで 無休
4/14/30 ・10/13/31 9:00~16:30 入場は16:00まで 毎週月曜日休み(月曜が祝日・振替休日の場合は翌日)
年末年始(12/29~1/3)休み・さっぽろ雪まつり期間は無休
入場料 夏季(4月~11月) 一般 830円 高校・大学生 610円 中学生以下・65歳以上 無料
冬季(12月~3月) 一般 680円 高校・大学生 550円 中学生以下・65歳以上 無料
昨日の記事の続きです。
北海道開拓の村
(札幌市厚別区厚別町小野幌50-1)
山村群
森林鉄道機関庫
北海道庁は、大正8年度から拓殖計画に国有林の直営伐採事業を加え、木材搬出のための森林鉄道の敷設に着手しました。
その後、道内各地で建設が進められ、昭和初期には従来の流送にかわって鉄道運材が主流となり、機関車や貨車のほか、
機関庫、貯木場も整備されました。この建物の中には、大正末期に置戸町に建てられた機関庫の写真資料や聞き取り調査を
基に、復元されたものです。
夕張岳森林鉄道で活躍した機関車が展示されています。
旧平造材部飯場 (下川)
この建物は、大正後期に下川村奥名寄の御料林内に建てられた造材飯場を再現しました。
造材飯場は、伐木・造材に携わった山子や集・運材作業に従事した藪出し、馬追いなどが山中で寝泊まりした小屋です。
この飯場には山子と藪出しが生活し、馬追い飯場は別棟になっていました。
炭焼小屋
明治・大正期の北海道では、角窯が多く使われていました。
一般に専業の炭焼きは大型の窯を、副業では小型の窯を使用していました。この炭窯は大正末期の副業製炭業者の角窯を
再現しました。 冬期間は見学不可能です。
市街地群
旧広瀬写真館 (岩見沢)
この建物は、大正末期から昭和33年(1958)まで岩見沢市街で営業した写真館を再現しました。
外観は洋風であるが、内部の多くは和風で、和洋折衷の建物です。撮影には自然光を用いたため、写場は2階に設け
北側の屋根をシングルスラントと呼ばれた斜めのガラス張りとしています。
旧札幌拓殖倉庫 (札幌)
札幌軟石を使用したこの倉庫は、五十嵐倉庫合名会社より明治45年創立の札幌拓殖倉庫株式会社に引き継がれました。
この建物は札幌駅北側に隣接し、線路に直角に位置していた6棟の内の一番西側の棟です。
旧本庄鉄工所 (石狩)
明治30年から2代にわたって営業した本庄鉄工場の仕事場として、大正14年(1925)から昭和50年代まで使用されていました。
石狩川河口にひらけた旧市街にあって、漁具や漁船の付属品のほか、農具などを作っていました。
旧藤原車橇製作所 (妹背牛)
明治31年(1898)、兵庫県出身の宮大工藤原信吉が深川に入植し、同36年(1903)には妹背牛で車橇製造を開業しました。
以後3代にわたり営業を続けました。この建物は、開業以来使われてきた車橇製作所を再現したものです。
旧太田装蹄所 (札幌)
大正13年(1924)から昭和20年(1945)まで、札幌市街の江別方面に通じる幹線道路(今の国道12号)沿いで営業していた
装蹄所を再現しました。蹄鉄屋の名で親しまれていた装蹄所は、馬が物資運搬や農耕の主役であった時代にはどこの町や村にもみられ
馬蹄の保護には欠かせない職種でした。
旧大石三省堂支店 (帯広)
札幌で家業である菓子製造の技術を習得した大石泰三が、大正14年(1925)帯広町の繁華街電信通りに店舗を求め、菓子の
製造販売を始めた建物です。親子二代にわたり、昭和30年まで続きました。
旧武岡商店 (新ひだか)
武岡家は、旧徳島藩家老稲田邦植に従い明治4年(1871)に淡路島から静内郡に移住し、明治15年(1882)から米穀、雑貨
荒物などを扱ってきた商家です。町の発展に伴い本格的な店舗兼住宅を新築し、明治34年(1901)には郵便局を開設するなど
この地方の商業の中心的役割を果たしました。
旧札幌警察署南一条巡査派出所 (札幌)
明治18年(1885)、札幌創成橋の脇に最初に建てられた交番は木造で、札幌創成橋交番所と呼ばれていました。
同じ木造で一度改築されましたが、その後個人の篤志寄付で建てかえられたのがこの建物です。
旧島歌郵便局 (せたな)
北海道で近代郵便の取り扱いが始まるのは明治5年(1872)で、島歌には明治19年(1886)に郵便局が設置されました。
明治26年(1893)には畑野清治が2代目局長として就任し業務を取り扱いました。以後この局は畑野家により引き継がれてました。
この建物は業務用だけで、局長や職員の住居は別棟でした。
旧山本理髪店 (札幌)
傾斜の急な切妻屋根、妻軒の棟折れマンサード、玄関の雨よけアーチなど、大正期の洋風建築の特徴を残したスマートな外観は
理髪業とよくなじみ、北海道神宮裏参道沿いの「床屋さん」として長く親しまれてきました。
旧渡辺商店 (中頓別)
明治30年代には砂金掘りでにぎわい、大正5年の鉄道開通後は交通の要所として発達した中頓別市街に建てられた雑貨店です。
漆喰仕上げの土蔵造りは、石造やレンガ造とともに耐火・耐寒を目的とした構造ですが、北海道では建築例が少ない建物です。
旧浦河公会堂教会 (浦河)
明治13年(1880)、神戸において北海道開拓会社「赤心社」が設立され、翌14年から西舎村や荻伏村に結社移民として入植
しました。「赤心社」の指導者の多くはキリスト教徒で、明治19年「浦河公会」が組織されました。この会堂は、2代目の礼拝・
集会所として明治27年(1894)に建てられたものです。
旧龍雲寺 (札幌)
篠路山龍雲寺は明治19年(1886)頃、村民の努力によって創建された浄土宗のお寺です。
この建造物は、明治28年(1893)頃に新築落成した本堂で、開拓期の農村の寺院建築の様式をよく表しています。
正面入り口の向拝部分は大正年間に増築されたものです。
現在の龍雲寺
旧北海中学校 (札幌)
この校舎は、明治41年(1908)から翌年にわたって建築された本館部分です。創立は明治38年(1905)で、前身は
札幌農学校第三期生らが中心となり明治18年(1885)に設立した私立北海英語学校です(現・北海高等学校)。
外観の意匠は、明治半ばから大正期の官庁や学校の木造建築によく見られる様式です。
続きます
開村時間 5/1~9/30 9:00~17:00 入場は16:30まで 無休
4/14/30 ・10/13/31 9:00~16:30 入場は16:00まで 毎週月曜日休み(月曜が祝日・振替休日の場合は翌日)
年末年始(12/29~1/3)休み・さっぽろ雪まつり期間は無休
入場料 夏季(4月~11月) 一般 830円 高校・大学生 610円 中学生以下・65歳以上 無料
冬季(12月~3月) 一般 680円 高校・大学生 550円 中学生以下・65歳以上 無料
何回か行ったことがあるのですが、なぜかブログには載せていなかったようで…。
改めて行ってきました。
北海道開拓の村
(札幌市厚別区厚別町小野幌50-1)
明治から昭和初期にかけて建築された北海道各地の建造物を移築復元した野外博物館です。
52の建物が54.2ヘクタールの敷地に建っています。
何回かに分けて紹介します。
市街地群
開拓の村の入り口は
旧札幌停車場 (札幌)
明治41年(1908)に建てられた札幌停車場(札幌駅)の正面外観を縮小再現したもので、昭和27年(1952)まで使われました。
旧開拓使札幌本庁舎 (札幌)
外観は明治6年(1873)に建てられた開拓使札幌本庁舎を再現したものです
(現在の道庁赤レンガ庁舎の横の辺りに建てられました)
建築後5年目の明治12年、火災のため焼失しました。
建物の内部は総合案内・情報サービスコーナー、講堂、研修室があり、見学の事前事後の学習・休憩などに利用できます。
旧浦河支庁庁舎 (浦河)
この建物は、大正8年(1919)に地元の浦河村および道庁の費用で建築され、昭和7年(1932)日高支庁と改称しました。
昭和31年(1956)浦河町に払い下げられた後は、堺町会館や博物館として利用されていた。
旧手宮駅長官舎 (小樽)
明治13年(1880)北海道で初めての鉄道として幌内鉄道が敷設され、その職員官舎として明治17年(1884)に
建てられたのがこの建物です。
旧開拓使爾志通洋造家 (札幌)
この建物は開拓使の官舎として明治11年(1877)に建てられましたが、完成後、順次払い下げられました。
旧小樽新聞社 (小樽)
小樽新聞社は明治27年(1894)に創立され、函館毎日新聞、北海タイムスとともに道内の代表的新聞の一つでした。
この建物は、木造の骨組みに札幌近郊で産出する札幌軟石を外壁に積み上げた構造で、明治期石造建築の特徴を示しています。
旧開拓使工業局庁舎 (札幌)
明治6年(1873)に設置された開拓使工業局は、道路・橋梁・官庁・学校などの施設をはじめ、家財、機械・農具・車両などの
製造事業を行い北海道開拓の発展に大きな業績を残しました。
この建物は明治初期の洋風事務所建築の特徴を示し、開拓使関係庁舎としては現存する唯一のものです。
旧福士家住宅 (札幌)
幕末から明治期にかけて、造船・通訳・気象観測・測量など広い分野で活躍し、北海道開拓に貢献した福士成豊が
明治半ばから大正11年まで居住した建物です。
旧松橋家住宅 (札幌)
明治・大正・昭和にわたる都市生活者の住宅で、大正7年(1918)以来松橋家が居住していた建物です。
大正時代の状態に復元されています。
旧有島家住宅 (札幌)
日本近代文学史上の代表作家の一人である有島武郎が明治43年(1910)5月から翌年7月頃まで住んだ建物です。
旧来正旅館 (旭川)
永山兵村に屯田兵として入植した来正策馬は、明治31年(1898)退役後、開通直後の宗谷本線の永山駅前に移り
待合所を開業しました。大正7年(1918)に大水の被害を受けたため、翌年に旅館兼待合所を新築し営業を再開しました。
当時は、旅人の宿泊や汽車の待合などに利用されて賑わったそうです。
旧三ます河本そば屋 (小樽)
この建物は、明治18年(1885)頃に石川県から小樽へ移住した河本徳松(当時18歳)が、そば屋の修行を積み
三ますそば屋ののれんを継いで新築した店です。
旧武井商店酒造部 (泊)
この建物は、泊村茅沼で石炭荷役、回船業を営んでいた武井家が、明治19年(1886)頃建てたものです。
酒造業は9年後の明治28年(1895)頃から始められ、永く親しまれた清酒「松の露」や「玉の川」の製造は
戦時下の統制で酒造中止命令が出された昭和19年(1944)まで続けられました。
旧近藤医院 (古平)
この建物は、明治33年(1900)に函館病院から古平病院長として招かれ同35年に古平町で開業した近藤清吉が建てた病院で
昭和33年(1958)まで使われました。
旧近藤染舗 (旭川)
近藤染舗は、明治31年(1898)に創業された旭川で最も古い染物店です。
この建物は、店の繁盛に伴い大正2年(1913)に地元の建築業者によって新築された店舗兼住宅です。
旧札幌農学校寄宿舎(恵迪寮・けいてきりょう) (札幌)
開拓使仮学校に始まる札幌農学校(現北海道大学)は、明治9年(1876)現在の札幌時計台付近に開学しました。
明治36年に現在の大学の位置へと移転して寄宿舎も新築され、同40年に“恵迪寮”と命名された。
当時は玄関棟と2棟36室および厨房棟がありましたが、ここでは玄関棟と2棟12室を復元しました。
現在の北海道大学 恵迪寮(北大構内)
旧札幌師範学校武道場 (札幌)
この建物は、北海道教育大学札幌校の前身である北海道札幌師範学校の武道場として昭和4年(1929)に建設されました。
剣道、柔道場として使用されましたが、戦後の昭和24年(1949)からは一時図書館、ついで第二体育館として利用されました。
続きます
開村時間 5/1~9/30 9:00~17:00 入場は16:30まで 無休
4/14/30 ・10/13/31 9:00~16:30 入場は16:00まで 毎週月曜日休み(月曜が祝日・振替休日の場合は翌日)
年末年始(12/29~1/3)休み・さっぽろ雪まつり期間は無休
入場料 夏季(4月~11月) 一般 830円 高校・大学生 610円 中学生以下・65歳以上 無料
冬季(12月~3月) 一般 680円 高校・大学生 550円 中学生以下・65歳以上 無料
すっかりサボってました。
と、言ってもどこにも行っていないのでネタがないんですが…。
正月休み中の話を。
お昼を食べようと外出したのは良いものの、さすがに何処も混んでいました。
こうゆう日に空いている所は…頭の中に浮かんだのが
地下鉄駅直結の 札幌市交通局ひばりが丘食堂
(札幌市厚別区厚別南1丁目8-7 ひばりが丘駅(東西線乗務庁舎) B1F)
東西線 ひばりヶ丘駅 2番出口へ向かうと案内看板が出ています。
以前の記事です。
交通局の職員食堂ですが、市民も利用できます。
ザンタレ定食
450円
ザンタレの「ザン」は、鶏肉のから揚げの事を北海道では「ザンギ」と呼びます。ザンギのザンですね。
(醤油やしょうが・ニンニクなどで鶏肉に下味を付けます)
こんなにザンギをおなか一杯食べて450円 安い!
ちなみに、営業時間が
2013年11月1日より営業時間が 11:00~13:30に短縮になってしまいました。
ですので、朝食定食は無くなってしまいました。
多分、ザンギをおなか一杯食べたい気分の時にまた行ってしまうと思います。
営業時間 11:00~13:30
定休日 なし
駐車場 なし
残念ながら、2014年3月20日に閉店しました。