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札幌のホップ園を辿る その6

2023-08-09 19:26:14 | 札幌・歴史探訪

        札幌のホップ園を辿るきっかけとなった場所です。


           サッポロビール ホップ園跡地
   
          
           (札幌市豊平区西岡3条8丁目13)
    
        
   
   跡地は現在、住宅街になっており、その一角にサッポロビール(株)から寄贈されたモニュメントと
  ホップがアーチに添って植えられています。

    
    

          この場所は、月寒ホップ園と呼ばれていました。

      昭和36(1961)年に日本麦酒の直営のホップ園として開設されました。

      7月下旬、私がこの場所を訪れた時にはホップの花が咲いていました。
    
         
    ビールの原料になるのは球花(きゅうか)と呼ばれる雌株の花のみで、収穫時期の8月から9月になると
   丈さとした松かさ状の球高く支柱に巻き付いたつるを切り落とし、ふさふさとした松かさ状の球花を摘み
   取ります。収穫作業には主婦や学生がアルバイトにやって来たそうです。
   
    昭和40年代に入ると西岡の宅地化が進み、ホップ園は昭和48年に閉園となり、開拓使時代から続いた
   札幌でのホップ栽培にピリオドが打たれました。
         

               いかがでしたでしょうか?
         札幌の街の成長と共に移転を繰り返し消えてしまったホップ園。
   山鼻で生まれた品種が日本を代表する品種だったという事も判り、記事を作りながら大変勉強になりました。


   おわり



資料 サッポロビールホームページ・サッポロビール120年史・物語サッポロビール・広報さっぽろ豊平区版2017.09

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札幌のホップ園を辿る その5

2023-08-08 23:56:24 | 札幌・歴史探訪

    昭和27(1952)年、日本麦酒の山鼻ホップ園は閉園し、札幌市内のこの場所に移転します。

              豊平区平岸(ひらぎし)です。
     
     
     
                

           (札幌市豊平区平岸1条5丁目・6丁目付近)
      
       
            現在は、平岸スターハイツというマンション群になっています。

  こちらのマンションはサッポロビールの関連会社、星北興産(株)が昭和45年に分譲を開始していることから
 昭和40年代前半まで存在したものと思われます(調べきれませんでした)。

  平岸スターハイツに隣接する新木の花団地ですが、こちらはまだ、札幌市と合併前の豊平町だった頃にリンゴ畑の
 中に木の花団地として昭和33年に日本住宅公団によって管理が開始されています。平成7~15年にかけて建て替えを
 されて、新木の花団地として(一部は分譲住宅地として販売)生まれ変わっています。
 (※木の花とはりんごの花の別名です)
           
    

 分譲住宅地になった木の花団地の跡地のなかに、名前の公園が平岸でのホップ栽培の歴史を伝えています。

          平岸木の花ホップ公園(ひらぎしこのはなほっぷこうえん)
    
       
             (札幌市豊平区平岸1条2丁目)

   
   つづく(次回最終回)

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札幌のホップ園を辿る その4

2023-08-06 20:20:01 | 札幌・歴史探訪

          明治41(1908)年に、苗穂から別な場所にホップ園は移転します。

        その場所とは、山鼻。現在の陸上自衛隊札幌駐屯地付近です。
     
      
   (一部、資料によると啓北商業高校付近とありますが、昭和31年に南23条西10丁目に校舎が完成し
      昭和55年に現在の南区石山に移転しています。高校跡地は現在、札幌市中央消防署山鼻出張所などになっています)
 
   山鼻ホップ園では、矢木久太郎から送られてきたホップを10種に分類し、その中で優秀な2種があることを
  精麦係の
篠原武雄が発見します。アメリカ種のホワイトバインの雄株と、ドイツ種のザーツの雌株を交配しました。
  それを育て
優良な株を選抜し育成します。
         
                昭和10(1935)年頃の山鼻ホップ園

   大正2(1913)年に、長野県農事試験場において試作した結果、長野の気候に適した品種であることがわかりました。
  大正6(1917)年、大日本麦酒はこの品種を「信州忽布」(しんしゅうほっぷ)と名付けられ、長野県穂積村で試作を行い
  ます。大正8(1919)年
大日本麦酒の「信州忽布」「信州早生」(しんしゅうわせと改名され、長野県をはじめ
  山梨県など周辺の農家でも信州早生が栽培
されはじめます。

        この信州早生が現在まで続く、国産ホップの中で最大の品種となっています。
         札幌の山鼻地区で生まれた品種が国産ホップの代表品種であったとは。

   
   信州早生を100%使った缶ビール「サッポロ NIPPON HOP 始まりのホップ 信州早生(シンシュウワセ)」
  が2023年1月31日に全国で数量限定発売されていました(現在は終売)
            
   そう言えば、このビールをコンビニで見かけて妻の為に買ってあげたような…(私は下戸です)。


    昭和24(1949)年9月1日に大日本麦酒は過度経済力集中排除法により日本麦酒と朝日麦酒に分割されます。

   昭和27(1952)年、日本麦酒の山鼻ホップ園は閉園し、札幌市内のある場所に移転します。




   つづく
   

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札幌のホップ園を辿る その3

2023-08-04 21:47:22 | 札幌・歴史探訪

  一度途絶えてしまった国産ホップですが、ポールマンの後任として醸造責任者に就任したのが金井嘉五郎でした。
 国産の素材で国産のビールを作るという会社の信念の実現を目指します。


  金井の元で醸造技師として修業をしていた矢木久太郎は札幌麦酒として、初のヨーロッパ留学を果たします。
 明治31(1898)年にドイツに留学中の矢木からミュンヘンの種子商から購入したホップの種子が一袋送られてきます。


 同じく技師の藤田昌らがこの種を工場の周辺に播種し、肥培管理を続けたところ、多くの一代雑種の中に優秀なものが
 あることがわかりました。
     
      明治25年に建てられたレンガ造りの札幌麦酒の工場跡(現・サッポロファクトリー)
              (札幌市中央区北2条東4丁目)


   優秀な苗を選りすぐり、明治37(1904)年に札幌区北6条東3丁目に1500株のホップ園を設けました。

      
      
      (現在の札幌市東区北6条東3丁目の様子・タワーマンションと病院を建設中でした)


  同年秋に苗穂村第3御料地(現・札幌市東区北8条東9丁目付近)に移して、苗穂ホップ園としました。
      
        苗穂ホップ園の跡には、ホップ公園という名前の公園があります。

      
      
        ホップは植えられていませんが、サッポロビール園のすぐ近くです。

      
      
      
            サッポロビール園 (サッポロビール博物館)
               (札幌市東区7条東9丁目1-1)

        明治23年に札幌製糖(株)の工場として建てられたものを明治36年に買収。
      明治38年から札幌第2精麦所として稼働。昭和41年まで精麦工場(麦芽を作る工場)
      として使用され、昭和41年7月1日よりビール園として開業しました。

      
      
          ビール園の脇にホップが植えられていました。
           アサ科のつる性の多年生植物だそうです。


                      明治39(1906)年に、札幌麦酒、日本麦酒、大阪麦酒が合併し大日本麦酒株式会社が
     設立されます。

        明治41(1908)年に、苗穂から別な場所にホップ園は移転します。

        説明文が次回以降の記事のネタバレになりますが…。
 


     つづく

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札幌のホップ園を辿る その2

2023-08-02 21:18:24 | 札幌・歴史探訪

        道庁正門前にあった、札幌葎花園(ホップえん)

    前回の記事の通り、明治15(1882)年2月に開拓使が廃止されホップ園は農商務省農業事務所に移管されま
   した。明治18年に札幌育種場と合併され、明治19(1886)年に札幌ホップ園は廃止されます。

    開拓使に勤務していた菊亭脩季(きくていゆきすえ)は農商務省に移り、札幌農業事務所副長となって
   いましたが、明治19年に退職し札幌郡上白石村(現・札幌市白石区菊水元町1条1丁目付近)の桑園約5町歩
   (約4万9,600㎡)を3年間の条件で無償貸与され、明治20年春に道庁の所管となっていた旧札幌ホップ園の
   ホップ苗を移植しました。

     
              (現在の白石区菊水元町1条1丁目付近)

    麦酒醸造所は明治19年に大倉組商会が払い下げを受け、明治20年に大倉財閥・渋沢財閥・浅野財閥らが
   札幌麦酒株式会社を設立。ドイツ人醸造技師マックス・ポールマン
が製造責任者に就きました。


    しかしこのポールマンは国産ホップは品質上問題ありとして使用を拒否します。菊亭のホップ園は経営が
   立ち行かなくなり明治22(1889)年には栽培を断念してしまいます。

    アセンチルが野生のホップを発見し、原料の自給を目指して設立された麦酒醸造所ですが、明治27年に
   ポールマンが帰国し、ビール製造量が急増する中で、札幌麦酒は再びホップ自給の道を選びます。

    明治30年頃にヨーロッパから苗の輸入を試みますが、輸送途中に洋上で枯死して失敗に終わります。


      つづく


   追記
 
    札幌市白石区の菊水(きくすい)という地名の由来ですが、菊亭脩季の「菊」と豊平川の「水」に因み
   昭和29(1954)年に地名が菊水に改称されました。
        
         菊水いちい幼稚園の敷地に 菊亭脩季入植地跡 という看板がありました。

        
           菊亭脩季が植えたとされる、黒松が現在も立派な姿を保っています。


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