先日、自転車で中島公園の中をグルグルしてきたのですが、結構オブジェがあるんですよね。
中島公園内のオブジェや彫刻像・碑を紹介したいと思います。
地下鉄 中島公園駅から菖蒲池の方向(南)へに進むとあります。
森の歌
山内壮夫 作
この彫刻は昭和34年に開かれた北海道大博覧会を記念して造られました。
当時は白色セメントで作られましたが、平成9年に再鋳造されブロンズ像となりました。
中島児童会館の横にあります。
ヨットと方向
林正美 作
制作者は元札幌市職員の方だそうです。
菖蒲池の手前(池の北側)にあります。
のびゆく子等
小野健壽 作
昭和51年、札幌市内の新一年生の記念事業の一つとして作られた記念像
制作者は当時、札幌市の小学校教諭だったそうです。
菖蒲池の西側 藤棚の手前にあります。
四翁表功之碑
建立された年は、大正七年八月 副碑もあるのですが、碑文が漢文・・・。
明治維新以来開拓の苦労を続け、札幌の地を開いて政庁も置いた。これに率先して尽力したのは
水原寅蔵・大岡助右衛門・石川正叟・対馬嘉三郎であり、その功労は白眉である
開道五十周年記念博覧会を期して、四翁の功労を称える 旨の事が書かれているようです。
ボート乗り場からもうちょっと南側にある菖蒲池の脇の木立の中にあります。
木下成太郎先生像
朝倉文夫 作
木下成太郎は、慶応元年(1865年)但馬国(現兵庫県北部)豊岡に富岡藩家老の弥八郎の長男として生まれ
東京帝国大学を卒業後、自由党の壮士に加わり、政治の世界に歩みを進め、明治33(1900)年に厚岸町会
議員・明治40年には北海道会議員・大正9(1920)年には衆議院議員に当選。
文化活動も行い、大東文化協会(現・大東文化大学)や帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)の創設にも携
わっています。
この碑は、昭和16(1941)年に木下成太郎の喜寿を記念して建立された記念像だそうです。
制作者の朝倉文夫は、東洋のロダンと称される彫刻家で、代表作として早稲田大学の大隈重信像などが
あります。
中島公園の東側にある、豊水(ほうすい)通りの脇にあります。
放送記念碑
ここは昭和3年6月5日北海道で初めて放送が開始されたゆかりの地です。
NHK札幌放送局は 当時ここにあった中島演奏所でJOIKとしてラジオの第一声を発し
それ以来昭和34年までこの地にありました
北海道における放送の歴史を末長く後世に伝えるため この放送発祥の地に放送60周年
を記念して放送記念碑を建立しました
昭和63年6月
碑文より
菖蒲池の南側にある芝生の広場に4基の彫刻像があります。
笛を吹く少女
母と子の像
鶴の舞
猫とハーモニカ
4基とも、山内壮夫 作 これらの像は昭和34(1959)年9月に設置されました。
元々は、、この場所はただの広場ではなく、百花園と呼ばれる場所で噴水を中心として周りに花壇が
ありました。
以前は、一番最初に紹介した「森の歌」もこの場所にあったそうです。
この広場には、日時計もあります。
北海道洞爺湖サミットを記念して2008年6月10日に設置されました。
札幌コンサートホール kitara の目の前にあります。
相響
安田侃 作
「音の視覚化。地に響く音が聞こえてくれたら」という作家の願いが託され、奏者と聴衆の一体感を表して
いるそうです。
4基の彫刻がある広場と、自由広場の間にあります
みどり子ちゃんファミリー
松本純一 作
完成当時は、もう一個大きい像があったようですが、現在はありません。
完成当時の画像
プランターの様に花を植えれるのですね。
最後になります 伊夜日子神社の社殿の裏側にあります。
風景の夢
小田 襄 作
ステンレスで制作されています。周りの風景が写りこみ、視点で変わる風景が楽しめます。
風景の夢は撮り忘れたので、今日撮影してきました。
いかがでしたでしょうか?
菖蒲池のボートだけではなく、芸術・歴史にも触れられる中島公園。
記事作成するに当たって、調べものをしたので私自身も勉強になりました。
まだまだ知らないことだらけですね。