3月16日 (木) 鎌倉観光の続きです。
円覚寺・東慶寺と回り、北鎌倉駅から隣の鎌倉駅へ。
鎌倉駅から、若宮大路を歩きます。15分ほど歩くと・・・
「鶴岡八幡宮」(つるがおか はちまんぐう)
鎌倉市雪ノ下2-1-31
鶴岡八幡宮の歴史は、康平6(1063)年に源頼義が京都の岩清水八幡宮を
鎌倉の材木座に鶴岡若宮として勧請したのが始まりです。
源頼朝が現在の場所に遷しました。
源氏の氏神として、鎌倉幕府の中枢となる施設を整備されていきました。
源平池にかかる橋のたもとに咲いていた桜です。
舞殿です。
頼朝に捕らわれた静御前が、義経を想い舞ったと言われている
場所ですが、当時はまだ建立されていなかったとの説も・・・。
大階段(中央)と大銀杏(左)と本宮(中央上)
大銀杏は、3代将軍の源実朝を殺害した公暁が、この銀杏の木に隠れて
待ち伏せをしたと言われています。
本殿
流鏑馬馬場に咲いていた桜。
歴史の舞台を実際に眺められて、改めて行ってよかったな~と。
若宮大路より一本線路よりの道、小町通りを駅方向へ向かう。
小町通りの両側にはびっちりとお店が立ち並んでいます。商店街なんですね。
小町通りから、踏切を渡り・・・立派な住宅街の中を進みます。
この辺りは鎌倉の高級住宅地なんでしょうね。本当に大きな家ばかりです。
道を行くにつれ、傾斜が厳しくなって行きます。
佐助トンネルというトンネルを越えて・・・
トンネルを抜けると、また住宅街です。住宅街の中をズンズン進みます。
住宅街の突き当たりにありました。
佐助稲荷神社 (さすけいなりじんじゃ)
鎌倉市佐助2-22-12
源頼朝が、伊豆の蛭ケ小島に流されていた時に、稲荷神が夢枕に現れ
平家討伐の時期を告げたと言う由緒があります。
「佐殿」(すけどの)と呼ばれていた頼朝を、助けたという事で、佐助と
呼ばれているという説があります。
朱色の鳥居と真っ赤な奉納旗が・・・圧巻です。
本宮です
奥宮です
境内には、たくさんリスがいました。
スナック菓子をあげた男子中学生が、指を噛まれて大騒ぎしていました
みなさんもご注意ください!
階段を下っていく様子ですが、独特の雰囲気がありますね・・・。
鎌倉駅から、徒歩でおおよそ30分くらいです。
佐助稲荷神社を後にして・・・。
次に向かったのは、ここから5~6分のところにあります・・・。
「銭洗弁財天への近道」なる案内が・・・。階段がきついです
裏側から着いちゃいました。
銭洗弁財天 宇賀福神社
(ぜにあらいべんざいてん うがふくじんじゃ)
鎌倉市佐助2-25-16
文治元年(1185)巳年・巳の月・巳の日、源頼朝の夢の中に宇賀福神(蛇の化身)が現れ、この水を汲んで神仏を供養すれば天下は平和に栄えるだろうとお告げが
あったのが、由緒です。
お金を洗うようになったのは、北条時頼が一家繁栄を願ったのが始まりだとか。
『銭洗水で金円を洗うことは、心を清め不浄の金を洗うことにより、寿福幸運が
授けられる尊い信仰である。』(境内解説による)
との事なので、私も清めて来ました
本宮です。
境内にある3ヶ所の社を蝋燭と線香を持ってお参りし、洞窟の中の霊水で
ざるの中に入れたお金をお清めをしました。
社務所で、お参りセットが売っています(値段失念)。
この洞窟の中に奥宮があり、水が湧いています。
本当は、こっちが入り口? トンネルを抜けると銭洗弁財天です。
ここから、大仏さまへ歩いていく事も出来たのですが、一旦鎌倉駅方向へ歩いて
戻ります。
山坂がキツい地域を歩いて、ふくらはぎがちょっと張ってきました・・・。
ご覧の皆様も、飽きてきたかもしれませんが・・・
まだ、鎌倉の旅は続きます!
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