「あほリズム」49~57

2010-09-08 05:17:31 | アフォリズム(箴言)ではありません
           「あほリズム」


             (49)


 我々が「思想」と言ってるそのほとんどは「生い立ち」から得た

観念に過ぎない。

つまり、我々は「思想」を語っているつもりで、実は自分の「生

い立ち」を語っているのだ。



             (50)

 この国ではまず人間である前に社会人でなければならない。

つまり、いくら人間の心に語っても社会人の胸には響かない。


                      
              (51)


 我々の対立の主なものは、例えば何を食べるかといったテーマのよ

うなものでなく、同じものを食べていてもその味付けに対する「好み」の

相違から生まれる。

 そして、それぞれの「好み」は「生い立ち」から生まれる。

           (52)


 我々は古い言葉で未来を語っている。

 だから、何時まで経っても新しいものが見つからない。


              (53)

 生きることとは、世界の果てまで探し訪ねて「生きる意味など無い」

という結論を得ても、「それじゃあ、生きるのを止めよう」とはなら

ない論理の外の現象である、今のところ。


          
              (54)

 ただ虚しく生きていても、

「明日になれば世界が変わるかもしれない」

或は、

「何時か何か契機が見つかるかもしれない」

と、たとえ無為であっても、生きていれば未来へ投企されている。

 つまり、肝心なのはその認識を見失わないことだ。

  
               (55)

 言い古された言葉は迷わずに語られるが、ただ迷わず語ってい

るだけに過ぎない。

 つまり、新しいことは何一つ語られていない。



              (56)


 最近なるほどと感心したのは、ネット上でだと思ったが、日本人

が中国人の模倣を非難すると、彼等が、

「お前達の漢字だってパクリじゃねーか!」って。

中国では漢字表記の日本の地名が商標登録されて我が国で問題にな

っているが、その裏には彼等のそんな思いがあるのかもしれない。

彼等は決して「NewYork」や「Chicago」は扱わない。

「そもそも漢字はおれ達の国の言葉だ」

もちろん公共の言語はその所有を認められないのは常識であるが、

さて、我々はそれをどう説明できるか?母国語を広めようとする国

は数多あれど、勝手に使うなという国は珍しい。もう漢字は鬱陶し

いのでひらがなとカタカナ表記の英語にしちゃうか。「ルー語」みた

いに「チェンジ」しちゃおうか。


         

             (56)

 先に中国のことを書いたが、彼等は「NewYork」や「Chi

cago」などと言わずとも、「東京」や「京都」さえ登録しようと

はしない。何故かと言えばそれらは世界に知られた都市であるからだ。

つまり、彼等はいくら自らの正当性を主張しても、世界からの批判は

受けたくないのだ。そこで知られていない地方を狙う。それは、土地

購入に於いて地方が狙われているのと同じことだ。中国兵法にそんな

記述がされているのかどうか知らないが、力のない弱い地方が狙われ

ている。ただ、法律は相手との相互主義が原則でなければならない。

果たして、中国の法律は日本の個人が中国の土地を勝手に売買するこ

とを認めているのだろうか?我々は法律を相手国との相互主義の原則

に改めるべきだ。つまり、相手国が日本で許されることは、また我々

も相手国で許されなければならない。


           
            (57)

 13億人を越える人々が蠢く中国は国内を安定させる為には覇権主

義に向かわざるを得ない。国際社会の論理よりも国内の論理が優先

される。遅れてきた近代帝国主義国家である。ただ、13億人が近代的

な生活を享受するには余りにも地球は小さすぎる。やがて、覇権主義は

世界との対立が避けられなくなる。その時、日本は、アジア全体主義に

呑み込まれているのか、それとも民主主義世界の一員として世界最終

戦争を・・・。

 否、あまり物騒なことを載せるのは止めよう。 


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