「あほリズム」(60)~(63)

2010-09-21 20:39:36 | アフォリズム(箴言)ではありません
          「あほリズム」


             (60)


 「生きる意義など無い」という認識にこそ逆説的ではあるが大きな

意味が在るのではないだろうか。

つまり、「生きる意義など無い」から生きる意味があるのだ。




             (62)


 例えば、絶対者が現れて我々に生きる意義をお与え下されたとした

ら、果たして人間はその道を疑わずに生きるだろうか。つまり、我々

は「生きる意味など無い」から生きる意味を求めているに過ぎない。


             (63)


 大地は人間の社会が生まれる以前から存在した。領土や或は国境

などという概念は近代になってから国家主義の発生によって齎され

たものだ。従って「国家固有の領土」などというのは実は存在しな

い。それ以前の領土というのは曖昧で都市から外れた辺境のことな

どどうでもよかった。人口が増え交通が発達し国家が成立して領土

が定められた。そして領土を巡る争いはその結果によって決められ

た。もし仮に中国が「日本列島はかつて中国固有の領土であった」

と宣言して武力侵略してきたとしても、軍事力に劣る我が国は為す

術なく、ただアメリカに縋るしかない。しかし、かつて中国が欧米

列強の植民化から守ってくれる友好国として日本に頼った結果、反

対に支配されてしまった恨みから日本侵略を企てたとしても、世界

は経済成長する中国の言い分に理解を示すことだってあるかもしれ

ない。つまり国家主義に於いて、領土というのは戦争の結果によっ

て定められてきた。アメリカを始め英国領の植民地、或は近年では

イスラエルもそうやって建国されたことを忘れてはならない。

 ただ、グローバル経済の下では国家の枠はすでにその意義を失う

だろう。我々は国家を超えたポスト近代の枠組みを模索しなければ

ならない。


               (64)


 世界は無意味だ!故に存在することに意味が在る。

我々は「無」に内包されて存在しているのではなく、「無」と対峙

しているから存在している。

つまり、「存在」とは「無」への抗いである。


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