「あほリズム」(70)~(72)

2010-10-17 17:07:20 | アフォリズム(箴言)ではありません
           「あほリズム」


          (70)

 民主主義を重んじ主権者の代表を任ずる菅総理は、国民が閉塞感

に苛立つように、国民の苛立ちを代表してなのか彼もまた同じよう

に煮え切らない言動が目立つ。ただ、主権者には無くて代表の彼だ

けに与えられているのは、民主主義の外にあるリーダーシップであ

る。彼は未だ国民の方をばかり見て、外へ踏み出す「決断」が出来

ない。


          (71)

 生成と滅亡は一本の糸で繋がっている。我々は滅亡するから新し

い命を繋ぐのか、それとも新しい命を繋ぐから滅亡しなければなら

ないのか。例えば、経済は消費されなければ生産されなくなり循環

は滞る。循環が滞ると経済成長が止み、やがて破綻する。経済破綻

も一つの滅亡だとすれば、我々は滅亡する前に大きな意味での生成、

つまり、生きる為の何か新しい糧、新しい技術や新しい文化、或は

何か新しい時代の萌芽を生まなければならない。何故なら、自ら招

いた環境破壊によって近代文明は滅亡しようとしているからだ。近

代文明を不完全な過程の文明と捉えれば、我々の進む道は未だ残さ

れている。ただ、経済合理主義は滅亡するだろうが。



                (72)


 近代文明は直線的な文明である。時間や論理性といった思考にし

ろ、道路や高層ビルといった構造物、或はものを創る時にも二点を

結ぶ最短の線分が用いられる。経済的合理性を求めれば直線的にな

らざるを得ないからだ。しかし、我々の求める合理性とは一義的な

視点から得た合理性に過ぎない。ところが、自然は直線では出来て

いない。ただ、光線と重力が存在するだけだ。二点を結ぶ「最短で

は無い」線分は無数に存在するのだ。我々の文明はその無数に存在

する線分を直線で斬り捨ててきた。このまま続けば何れ地球は正四

方形になるに違いない。自然破壊は我々の直線的な思考が齎したの

だ。直線の両端は他とは繋がらないからだ。斬り捨てられた無数の

自然な線分が我々の直線的な思考に対して報復しているのだ。我々

は直線的な思考を改めて、せめて円を描くように循環させなければ

ならない。ただ、我々は合理的思考を捨てなければならない。しかし、

それは意外と簡単なことである。何故なら我々の存在そのものに合

理性などないのだから。


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