「ストレステスト」

2011-07-10 10:47:12 | 「パラダイムシフト」
         「ストレステスト」

 
 
 政治はもうウンザリだと言いながら、やっぱりシカトする訳には

いかないので気になったことを記します。

 先の見えない時代転換を迎えて、これまでの判断や対応が機能し

なくなった時、朝決めたことを暮に改めなければならないことだっ

て起こります。もしも、人は過ちを犯すものだとすれば、過ちその

ものをいくら非難してもどうにもならない。それではどうすれば過

ちを無くすことが出来るだろうか。そこで、孔子は「過ちを改めざ

るこれを過ちと謂う」と仰った。即ち、朝令暮改は過ちを犯さない

為の有効な手段なのだ。これまでの前例に従って事を収めようとし

てもその前提が破綻してしまったのだ。「フクシマ」原発事故はこ

れまでの社会システムを根底から瓦解させた。迷走する政治に、時

として我々はこの苦境から救ってくれる強いリーダーを待望するが、

果たして如何なる人物が新しい社会のビジョンを持っているだろう

か?否、こんな時に有無を言わさぬ権力で政治を執り行うリーダー

こそ、実は「過ちを改めざる」者であることを我々は過去の歴史か

ら厭と言うほど知らされた筈ではなかったか。「決めたことは何が

あっても覆さない」という強固な意志はその責任を自らが負う限り

一個の人格として認めることが出来ても、国家の存亡を掌るリーダ

ーが「過ちを改める」ことに頑(かたく)なでは心許ない。確かに、

菅総理は決断力に欠けるが、それでも少なくとも「過ちを改めざる」

過ちを犯すことはないのではないか。もちろん、彼には政治判断を

説明する責任があり、決定を翻した理由を正しく説明しなければな

らないし怠っていると思う。ただ、新しい社会が複雑な選択支の中

に在るとすれば、我々は一つ一つ「過ちを改めながら」、時には決

定を翻して後戻りして選択し直すしか道はないではないだろうか。

 鎖国を解いて開国をもたらした明治維新は、幕末の攘夷派の志士

たちによって成し遂げられた。彼らは欧米列強の近代文明に圧倒さ

れ止むを得ず、攘夷の決意を翻した。時代転換とはそれまでの前提

が覆される時代である。旧い序列秩序に縛られて面子や立場を弁え

「過ちを改める」機会を見過ごすことほど悲惨なものはない。疑念

を持つ者を組織から締め出し、従う者だけの序列秩序によって原発

の安全神話は形作られた。しかし、今や旧い秩序の絶対性は崩壊し

た。我々は一人の県知事や経済界のリーダー、或いは総理大臣と謂

えども原発政策の判断を委ねるわけにはいかない。何故なら、万が

一の事故による放射能被害の責任を如何なる権力と謂えども負える

筈がないからだ。ただ、被爆に曝されるリスクを負う国民一人一人

がその責任を負わなければならない。

 さて、一度は安全確保を認めて玄海原発の再稼動を認めておきな

がら、唐突に「ストレステスト」という新たな規制を持ち出したこ

とに再稼動を待ち望んで動き始めていた人々の非難が凄まじいが、

私は少しでも過ちに気付いたら改めることを躊躇うべきではないと

思う。もちろん、過ちのない決定を下すことに越した事はないが、

上でも記したように、いま、我々は大きな時代転換の節目に在る。

朝議の決議が暮に覆されて面目を失う者も居るだろうが、ただ立場

や面目を保つために「過ちを改めざる」過ちだけは何としても避け

なければならない。そして、忘れてはいけないのは今我々の社

会こそが「ストレステスト」されているということだ。






(独り言) 「やっぱりパソコンのもんよ 〈広島弁〉」










                                  (おわり)


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