「あほリズム」
(137)
「我思う」とは社会認識である。
(138)
世界が失せて我独りのみが存在するならば、「我」という認識は
生まれない。
(139)
ところが、デカルトは懐疑によって世界を消滅させたにもかかわ
らず、運よく我独り存在できたにせよ、他者の存在しない世界で
「我」という自意識も消滅するなどとは思はなかった。
(140)
Aに内在するaを、Aだけを消滅させてaをそのままの状態で取り
出すことなど出来ない。
(141)
我々は全体との連関性を無視して個々を取り上げるが、むしろ、
個々は全体との連関性から個性を得る。つまり、個性とは全体が
なければ生まれない。
だから 「我思う」とは社会認識である。
(142)
従って、世界を懐疑によって消滅させたにもかかわらず、
尚も「我」だけが世界に留まって思惟を許されるなどというこ
とはまずは起こり得ない。
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