「我が国のふくろうたちは『たそかれ』に経済を見誤る」
デフレ経済からの脱却だとか、インフレターゲットだとか、金融
緩和だとか、様々な景気拡大のための政策が議論されているが、法
に則って近代国家を営む民主国家であれば、凡その国は合理主義経
済の下で経済成長を目指していることは言を俟たない。何れの国の
政府も何よりもまず経済発展によって国家の繁栄を図ろうとしてい
るのだ。つまり、どこの国も経済成長しようとしているのだ。そし
て、そのための経済理論が築かれ様々な情報が与えられているにも
拘らず、反して、債務に苦しむ多くの国が存在し、また、かつては
世界が羨むほどの経済発展を成し遂げながらも今なおその夢から覚
め得ず、実際は世界が哀れむほどの負債を抱えて停滞する国さえあ
る。では、金をばら撒けば経済が良くなると言うなら、何もギリシ
ャにしろスペインにしろこれほど債務に苦しまなくてすむはずでは
ないか。多分、それらの国は「斯く行えば斯く成る」という経済命
題とは異なる「斯く行えぬ」理由によって経済合理主義を破綻させ
てしまったからで、それは経済合理主義とは別の主義、文化がもた
らす不公平な待遇差別であったり、変化する経済への対応を怠り現
実の収支に基づかない既得権を改められない社会構造から生まれる。
そこで、金をばら撒けば経済が回復すると言うなら、ギリシャにし
ろスペインにしろ何も緊縮財政などを行わずに富裕国から金を借り
て来てばら撒き、景気が良くなれば返せば済むだけのことではない
か。ところが、我が国のレフレーションを求める専門家たちは、ギ
リシャについては金をばら撒いて景気を良くしろとは決して思わな
い。もちろん各国によって事情が異なるが、ギリシャには財政改革
を求めても、我が国にはその必要はないといえるのだろうか?ただ
金融政策を改めるだけで経済が回復するのだろうか。巨額債務を抱
えた国とは思えないほど既得権益に与る茹でガエルで溢れ返ってい
るではないか。そんな国がデフレから脱却するだけで一千兆円を超
える債務を返済することができるのだろうか?恐らく我が国は、何
もかも失って再び何もないところから始めればまた奇跡の復活を果
たすに違いないと信じるが、如何せん過去に縛られた制度を改革す
ることさえもできずにこのまま立ち枯れてしまうに違いない。私は、
大胆な改革を行うと言うなら、握り締めた富を手放す覚悟がなけれ
ば新しいものを掴むことなど出来ないと思う。成長期に決めた制度
が収縮期の負担になっているのだ。つまり、財政緩和の前に既得権
益に与るアンシャン・レジームを一掃するほどの大胆な構造改革を
行なわなくては如何なる景気対策もがん細胞を肥やす結果に終わっ
てしまうだろう。近代社会へ転換させる明治維新は武家制度を温存
させたままでは為し得なかった。改革とは過去の約束を反古にする
ことなのだ。健全な財政は健全な社会構造に宿るとすれば、財政が
偏っているのは社会制度が歪つな証拠ではないか。かつての先進各
国は何れもグローバル経済の下で新興国に生産を奪われて経済の収
縮に悩まされている。そのしわ寄せは弱者に向けられて、若者は定
職にも就けづ親の年金や福祉に縋りネットで憂さを晴らしている。
かつては100取れたものが今では70しか取れないとなれば、個
々への分配が3割減るのは小学生でも分る理屈だが、利益が3割減
っても報酬を3割削ることができないのであれば、他所より借りて
くる他ない。こうして経済の変化に対応できなくなった社会は過去
の遺産を食い潰し、それどころか未来に負債を付け回す。そんな過
去と未来を食い潰す国家に文化も夢も育たない。では、果たして金
融緩和や公共投資によって3割減った収穫を回復させることなどで
きるのだろうか?しかし、いくら皿を大きくしてもパイは大きくは
ならないだろう。景気は社会から生まれるものであって決して国家
が作り出せるものではない。いくら政治家が景気という馬の手綱を
引っ張って水飲み場へ連れて行こうとしても、馬が不信に思ったら
頑なに四肢を曲げない。この国の経済学者や専門家たちは、馬を水
飲み場にさえ連れて行けば馬は勝手に水を飲むものと思っている。
更に人間となれば、たとえ餓死しようとも自らの信念に悖る経済活
動ならば拒むことさえあるなど一顧だにもせずに、景気は金さえば
ら撒けば勝手に良くなるものと思い込んでいる。例えば、脱原発を
訴える人々は文明を後戻りさせても自然環境だけは守るべきだと思
っている。自然環境の中でしか生存できない人間にとって、自然が
文明に先行するのは自明の理なのだ。恐らく、近代文明に洗脳され
た専門家たちは肝心なことを見落としている。彼らは社会の「景」
が見えても人間の「気」が読めない。経済が生きものとしての人間
の営みであるなら、時々刻々変化する人々の関心や不安を捉え切れ
ていない。チケットが完売すれば幕が開く前から興行は成功したも
のと勘違いしてしまっている。つまり、我が国のふくろうたちは、
生命が萌え出るその端緒をもって結果となし、生成の表象だけを見
て、たそかれ(黄昏)に人の営みを見誤る。
(おわり)