「価値とは何だ」

2012-12-14 03:20:25 | 「存在とは何だ?」



         「価値とは何だ」


 そもそも、お金そのものには何の価値もない。嘘だと言うなら大

金を奪って無人島へ逃げてみればいい、いくらお金をばら撒いても

小魚一匹寄って来ないだろう。お金が価値を持つのは人間社会の中

だけのことである。つまり、お金の価値とは社会的価値である。何

も今さらそんなことを言われなくても分っていると思うかもしれな

いが、どうも最近の経済論争をそれこそ金も払わずにただ聞きして

いると、何かその大前提が忘れられているように思えてならない。

断っておきますが、私は金融にも経済学にもまったく興味のない無

学者でありますから、多分、これから述べることは何もわざわざ言

わなくてもその世界の常識であったり、或いはとんでもない誤りを

述べることになるかもしれませんし、また、自分が感じている矛盾

を上手く説明できる自信さえありませんが、ただ、生理に馴染まぬ

思想を排出もせずに身体に抱えていると健康に良くないので、素人

であるが故に臆せずその納得いかないことを吐き出します。

 今や世間はデフレ経済からの脱却を図るための様々な情報や

意見がマス・メディアを通して伝えられていますが、先にも述べたよ

うに、私自身は経済学などまったくの素人で所詮は家計簿程度の

知識しかないので、借金が給料の20倍あると言われればとても穏

やかではいられない。ところが、デフレ経済からの脱却こそを優先

しなければならないと訴えるリフレ派の専門家たちは挙って金融緩

和とそれに伴う積極財政を求めている。給料が下がり続ける限りい

くら切り詰めても借金は返せないので、そこで借金をしてでも給料を

上げろと言う。多分、それから先は家計簿と国家財政の違いから、

我が家ではお金が足らないからといって紙幣を刷ることができない

ので、煙に巻かれるしかないのだが、どうも納得できない。そこで、

そもそも価値とは何かと思った。

 「お金そのものには何の価値もない」とすれば、それでは我々は

何に価値を認めているのだろうか。近代社会は我々が創り出した技

術製品で溢れ返っているから何も答えに窮しませんが、例えば、こ

の記述を大袈裟に言えば世界中の人々に発信できるインターネット

の価値は、それが存在しなかった時代から見れば驚くべき価値の創

造であることは言を俟たないでしょう。しかし、パソコンなど触っ

たことのない者にとってはインターネットは直接的には何の価値も

もたらさない道具かもしれません。つまり、モノ自体にもその価値

の有る無しがあって、それは、その価値はそれに関わる主体から生

まれる。ピカソの抽象絵画はそれまでの具象に拘った伝統的な絵

画を一変させた価値ある芸術で何十億の値が付くが、絵に巧みさを

求める人にとっては子どもの絵以下の1円の価値すらない。価値と

はそれを認める人によって生み出される。そして、その価値の認識

を共有する人々によって社会的価値が創り出される。お金とは社会

的価値を共有するための社会的手段に過ぎない。だとすれば、いく

ら金をばら撒いたとしても、社会的価値が創生されることはない。


                                  (つづく)