「二元論」
(17)をまとめるための試稿の改稿のつづき
「存在とは何か?」を問う形而上学は、プラトン・アリストテレ
スによって存在を永遠不変の真理である「本質存在」と、生成変化
する仮象である「事実存在」に二分され、ソクラテスの弟子プラト
ンは「本質存在」こそが真の存在であるとする「イデア論」を説い
たが、それはのちに中世ヨーロッパではキリスト的世界観である神
の世界へ受け継がれ、そして近代では形而上学的思考は「理性」と
して、そこで「事実存在」としての自然(ピュシス)は制作(世界を作
り変える)のための単なる資料・材料として扱われる。それでは形而
上学以前の思想家たち、つまり「フォアゾクラティカー」と呼ばれ
る思想家たちは、名前が残っているのはアナクシマンドロス、ヘラク
レイトス、パルメニデスたちだが、彼らはいったい〈存在〉をどのよ
うに考えていたのだろうか?彼らはもちろん世界が存在することの不
思議に驚いたが、しかし「存在とは何であるか?」、つまり「存在の
〈真理〉」など追い求めたりはしなかった。
(つづく)