仮題「心なき身にもあわれは知られけり」
(6)のつづきの続き
かつて、弱冠十六才の平岡公威、のちの三島由紀夫の文才を見い
出した文学者蓮田善明(1904年生)は、鬼畜英米との大戦前夜に
徴兵に応召のかたわら論文「青春の詩宗――大津皇子論」(1938
年11月)を発表した。そこで彼は、戦火が拡大する時代の自らの生
い立ちと重ね合わせて「此の詩人(大津皇子)は今日死ぬことが自分の
文化であると知つてゐるかの如くである。(中略)予は、かゝる時代の
人は若くして死なねばならないのではないかと思ふ。」と語る。彼が
大津皇子を「詩宗」とまで称えるのは『懐風藻(かいふうそう)』に「
詩賦の興るは大津より始まれり」と記されているからにほかならない
。
(つづく)