仮題「心なき身にもあわれは知られけり」 (6)のつづきの続き

2022-04-06 08:13:35 | 「死ぬことは文化である」

      仮題「心なき身にもあわれは知られけり」

 

         (6)のつづきの続き

 


 かつて、弱冠十六才の平岡公威、のちの三島由紀夫の文才を見い

出した文学者蓮田善明(1904年生)は、鬼畜英米との大戦前夜に

徴兵に応召のかたわら論文「青春の詩宗――大津皇子論」(1938

年11月)を発表した。そこで彼は、戦火が拡大する時代の自らの生

い立ちと重ね合わせて「此の詩人(大津皇子)は今日死ぬことが自分の

文化であると知つてゐるかの如くである。(中略)予は、かゝる時代の

人は若くして死なねばならないのではないかと思ふ。」と語る。彼が

大津皇子を「詩宗」とまで称えるのは『懐風藻(かいふうそう)』に「

詩賦の興るは大津より始まれり」と記されているからにほかならない

 

                        (つづく)