仮題「心なき身にもあわれは知られけり」
(7)のつづき
ニーチェは「ニヒリズム」とは「最高の諸価値が無価値になると
いうこと」と言い、では、最高の諸価値とは何かと言えば、そもそ
もニーチェの父はルター派の裕福な牧師で元教師で、ニーチェが5
歳の時に亡くなり、ニーチェ自身も母の願いから父の後を継いで牧
師になるために神学部に籍を置いていたこと、そして、ニーチェか
ら大きな影響を受けたハイデガ―の父もまたカトリック教会の堂守
(寺男)として教会の関係者であったことから、彼らにとって最高の
価値とは「神」のほかになかった。そこで「最高の諸価値が無価値
になるということ」とは、「神」が存在しなくなること、つまり「
神が死ぬこと」であり、「神の死」とはニーチェ哲学の根幹をなす
思想にほかならない。
ところで「神が死んだ」後の世界で最高の価値を有する存在とは
人間しかない。しかし「生成」としての人間もまた必ず「死ぬ」。
「ニヒリズム」とは「最高の諸価値が無価値になるということ」だ
とすれば、必ず死ぬ人間は「ニヒリズム」から逃れることができな
い。つまり、人間中心主義的世界とは、つまり近代社会とは「人間
の死」が常在化した「ニヒリズム」の時代に違いない。そして何よ
りも「ニヒリスティック(虚無的)」なことは、「神の死」によって
「神による救いの世界」の門も閉ざされてしまったことである。
(つづく)