仮題「心なき身にもあわれは知られけり」(7)のつづき

2022-04-29 12:00:40 | 「死ぬことは文化である」

      仮題「心なき身にもあわれは知られけり」

 

           (7)のつづき


 ニーチェは「ニヒリズム」とは「最高の諸価値が無価値になると

いうこと」と言い、では、最高の諸価値とは何かと言えば、そもそ

もニーチェの父はルター派の裕福な牧師で元教師で、ニーチェが5

歳の時に亡くなり、ニーチェ自身も母の願いから父の後を継いで牧

師になるために神学部に籍を置いていたこと、そして、ニーチェか

ら大きな影響を受けたハイデガ―の父もまたカトリック教会の堂守

(寺男)として教会の関係者であったことから、彼らにとって最高の

価値とは「神」のほかになかった。そこで「最高の諸価値が無価値

になるということ」とは、「神」が存在しなくなること、つまり「

神が死ぬこと」であり、「神の死」とはニーチェ哲学の根幹をなす

思想にほかならない。

 ところで「神が死んだ」後の世界で最高の価値を有する存在とは

人間しかない。しかし「生成」としての人間もまた必ず「死ぬ」。

「ニヒリズム」とは「最高の諸価値が無価値になるということ」だ

とすれば、必ず死ぬ人間は「ニヒリズム」から逃れることができな

い。つまり、人間中心主義的世界とは、つまり近代社会とは「人間

の死」が常在化した「ニヒリズム」の時代に違いない。そして何よ

りも「ニヒリスティック(虚無的)」なことは、「神の死」によって

「神による救いの世界」の門も閉ざされてしまったことである。

                        (つづく)