「あほリズム」
(69)
我々は「何か」という問いに対して別の観念や概念で言い換える。
例えば、「人間は『進化した動物だ』」という様に。しかし、たとえ
言い換えたとしても本質的な答えになっていない。総ての「答え」は
「問い」に応えるものであるとすれば、「問い」そのものが誤っている
ことはないだろうか。つまり、「人間は人間である」のだ。否、そ
れすら誤りなのかもしれない。ニーチェは「木の葉」と呼ぶものは存
在しない様な事を書いているが、例えば「А=А」は「А」が二つ存
在することになってすでに誤りなのだ。記号「=」は「同じ」の意味を
表すが厳密に言えば同じものなど存在しない。先の問いに戻ると、
「進化した動物」は人間だけではない。だから、「人間とは何か?」
と問われれば、ただ「人間」としか答えられないのではないだろうか?
にほんブログ村
(69)
我々は「何か」という問いに対して別の観念や概念で言い換える。
例えば、「人間は『進化した動物だ』」という様に。しかし、たとえ
言い換えたとしても本質的な答えになっていない。総ての「答え」は
「問い」に応えるものであるとすれば、「問い」そのものが誤っている
ことはないだろうか。つまり、「人間は人間である」のだ。否、そ
れすら誤りなのかもしれない。ニーチェは「木の葉」と呼ぶものは存
在しない様な事を書いているが、例えば「А=А」は「А」が二つ存
在することになってすでに誤りなのだ。記号「=」は「同じ」の意味を
表すが厳密に言えば同じものなど存在しない。先の問いに戻ると、
「進化した動物」は人間だけではない。だから、「人間とは何か?」
と問われれば、ただ「人間」としか答えられないのではないだろうか?
にほんブログ村