◎ 先日ブログをいらった時に誤まって消去した記事を再び載せます。
「2012年8月13日」に掲載した記事です。
「愛国心」
この春ごろ、たまたまネットで出版社の投稿募集の記事が目に止
まり、その出版社とは、主に自費出版を請け負う出版社であるが、
ところが、私は400字詰め原稿用紙一枚「以上」を「まで」と読
み間違いをしてしまい、(大概の募集は「何枚まで」だったので、
それにしても「一枚以上」っておかしくない?)、400字「まで」
ならと気軽に投稿したあとで間違いに気付いてすっかり諦めていた
ら、何と、数日して「入賞しました」と封書が届いて驚きました。
その中には延び縮みするボールペンが一本だけ同封されていました。
ショボイなと思いながらも嬉しくて、ところが文書をよく読むと名
前が私のものではありません。封書の宛名は私宛てでしたからたぶ
ん文書を入れ間違ったのでしょう。それでも封書に私の名前を手書
きではなく印字したシールが貼られていたので選考に残るくらいま
では行ったのかもしれないなどと自分を慰めながら、メールで確か
めようともしましたがホームページには電話番号もメールアドレス
も掲載されていなかったので、更に、送られてきた封筒の何処にも
それらがなかったので何もせずに投げていると、間もなく再び封書
が送られてきて、それには、「先日の入賞は当方の手違いでした」
と詫びていました。どんな手違いが「行われた」のか知る由もない
が、そこにも謝罪のつもりなのか同じボールペンが一本添えられて
ました。
その400字「まで」に拘った私の記事を以下に記します。とい
うのも、ロンドンオリンピックの男子サッカーで日本に勝った韓国
チームの選手のひとりが、スポーツマン精神の如何なるかも知らず
に政治的なアピールを行なったことが問題になっています。奇しく
も、私は前の記事で、「どうせ彼らは純粋にサッカーの戦いだけを
挑んでくるわけではないのだから。」と記しましたが、スポーツ競
技とは本来国力を競い合うものではありません。それどころか選手
同士の友好関係から国同士の争いを回避するためにスポーツマン精
神が生まれたのです。オリンピックが本来の意義を見失って久しい
ですが、それでも、オリンピックが原因で対立が深まるのは全くの
本末転倒と言うほかありません。簡単に言ってしまえば、どこの国
にも本分を勘違いしたこの手のバカは居ます。そんなバカを相手に
して目を色を変えて非難しても仕方の無い事だと思います。況して、
そんなバカを持て囃す人々は狭い視野でしか物事が見れない愛国心
を履き違えた人々に違いありません。ただ、彼国もそんなバカばか
りが居るのではないはずですから、数多居る常識のある関係者が然
るべき謝罪をして済む話しでしょう。
* * *
「愛国心」
どこの国にもいわゆる愛国主義者という人々は存在する。たとえ
ば、「我が国バンザイ、隣国怪しからん」と唱える者はたまたまこ
の国で生まれ育ったからそう信じるだけで、例えば、物心がつく前
の幼少の頃に、何かの偶然でその嫌国を祖国として育ち恩恵を受け
れば、恐らく立場を違えて、その国の愛国者として「祖国バンザイ、
日本怪しからん」と叫んでいたことだろう。生まれた国を愛するの
に他国を蔑まなければならないとすれば、私はそんな偏狭な愛国心
には共感できない。もしも、愛するという感情が憎しみの相対でし
か確かめられないとすれば、対象が人であれ国であれその愛は絶対
的なものとは言えない。私は、マスメディア等で隣国を罵倒する発
言を繰り返す自称愛国主義者を見聞する度に、彼らが隣国で生を授
かっていれば、きっと、先頭に立って日本を侮辱するに違いないと
冷めた目で見てしまう。
* * *
私は、彼国の愛国者を散々バカ者呼ばわりしましたが、実は、同
じような偏狭なバカ者が、それも公の立場に在るにもかかわらず進
んで隣国を蔑むバカ者がこの国にも居るということが言いたかった
のです。対立する国の姿とは、鏡に映った自分たちの姿ではないだ
ろうか。侮辱するから侮辱されるのです。
(つづく)