「あほリズム」 (252)

2012-09-08 07:16:04 | アフォリズム(箴言)ではありません



                  「あほリズム」


                   (252)


 かつては憧れの乗り物だった自動車も、二酸化炭素による地球温

暖化で気兼ねせずに走り回ることも憚られ、便利な電化生活さえ原

発依存の不安から電気に頼る暮らしに一抹の疚しささえ覚える。何

よりも、そのエネルギーを物質を形づくるの原子核を破壊してまで

まかなっていることに驚くが、それらは科学技術が生み出した近代

文明の象徴だった。「今日より明日はきっと良くなる」社会の実現

に何の陰りも見えなかった。近代科学は「楽して生きるため」の理

想の手段であった、はずだった。

 しかし、行き過ぎた文明は、今や資源を求めて地底だけでは事足

りず海底にまで及び、遂には、その領有を巡って争いにまで発展し

かねない事態である。果たして、血を流してまで奪い取った資源に

よる豊かさに正義はあるのだろうか。早晩、それも底の底を突き、

やがては地球温暖化がもたらす天変地異と、どちらが先に終焉をも

たらすかを競い合う時が近づいているというのに。

 つまり、近代文明は、正義と理想を失い始めている。


「あほリズム」 (243)

2012-09-04 22:15:23 | アフォリズム(箴言)ではありません



                「あほリズム」


                  (243)


 序列秩序にこだわる儒教思想の下では、既得権益に与る

アンシャン・レジームを絶やすことができない。

 つまり、新しい時代が生まれない。




                  (244)


 何故なら、儒教思想とは、先人の教えを遡って道を求める、

つまり、後ろ向きに歩くことを強いるからだ。我々は過去の道

を確かめながら進むべき道に背を向けて歩いてる。新しい道

が見つけられるわけがない。

 ほら、朝鮮民族を見ろ!彼らは祖先(過去) しか見ようとし

ないではないか。
                 

                   (245)


 従って、彼らは新しいことを学んでもせいぜい模倣することしか

できない。弁証法による発展は儒教道徳 (先人の道) を否定する

ことになるからアウフヘーベン(止揚)できないのだ。



                 (246)


 彼らが創るSF未来小説を一度は読んでみたいものだ。

 彼らは 「人類の」 未来にはまったく関心がない。




                         (247)

 
「すべては始まりに在り」、これこそが儒教思想のすべてである。



                  (248)


 かつて、孫文はこう言った、「中国に於いてはただ家族主義、

宗族主義あるのみで国族主義がない」 と。つまり、宗族主義の

儒教社会では国家意識は育たない。昨今、彼らが過激に愛国

心を訴えるのは、我が国の維新後のように、近代文明によって

宗族社会が破壊され、寄る辺を失った個人主義が縋るべきもの

が国家しか残されていないからではないか。芽生えたばかりの

国家意識は、かつての我が国のように、利己的な国家主義へと

暴走する危険性がないとはいえない。歴史は繰り返すと言うが、

我が国が辿った歴史を、次は我が国ではなく彼国で繰り返される

のかもしれない。過去の仕返しとして。



                   (249)


  儒教思想の説く序列秩序は宗族主義(蛸壺社会)を生み、個人

にとって、宗族は国家に先行するので、儒教文化の下では国家

主義は広まらない。福沢諭吉が「一身独立して一国独立す」と言

ったように、国家主義とは宗族という繋がりを失った個人から生

まれる理念である。昨今の大陸の愛国心ブームは、宗族社会か

ら弾き出された個人が、国家という帰属(アイデンティティー)を求

めて行動しているのだ。




                 (250)


 もう少し我々は相手の立場に立って考えてみてもいいのではな

いか。大陸の人々にとって我が国とは虐げられた「悪の国家」

であったことを、我々は忘れ過ぎていないだろうか。例えば、日本

軍による列強との戦いによって、アジア諸国を欧米の植民地支配

から解放させ独立することができた、などという自分勝手な功績に

話をすり替えるのは、たとえそれが国民を自虐史観から抜け出さ

せ誇りを取り戻させるためであったとしても、事実を隠ぺいしようと

していると疑われるだけで、その罪を免れることにはならないし、

いったいそれが虐げられた国の人々にとって何の償いになるのだ

ろう、否、それどころか尚一層卑怯な言い逃れにしか聞こえないの

ではないだろうか?だって、そんな功績ならヒットラーだって残して

いるのだから。



                (251)


 我が国は、「アジアはひとつ」と呼び掛けながら、近隣の同胞を裏

切った非は認めざるを得ないが、とはいえ、アジアに進出した欧米

列強に抵抗して植民地支配から同胞を解放し、我が国によって主

権を回復したそれらの国々は今や目を見張る成長を成し遂げてい

る。ただ、惜しむらくは、多くの犠牲を払った我が国だけが国土の

一部を米軍に基地として占領され未だに主権を奪われていること

は、何たる歴史の皮肉であるか。

「先生、それって日本だけが未だにアメリカの植民地ってことじゃな

いですか?」

「そうじゃない、我が国は自らの主権で、アメリカにお金を『あげて』

国土を好き勝手に使って頂いてるだけなんだ」

「つまり、ヤクザに衛ってやるからと脅されてビルの一室を占拠され

て、おまけに光熱費や生活費まで集られてるようなもんですよね」

「ま、そうかもしれんが、

「それって、『自虐的』とは言わないんですか?」

アメリカに対して我々が言いなりになっていても、何故か、それを

自虐的と言わないんだ」

「要するに、弱い者ならバカにしてもいいが、強い者には逆らうなっ

てことですね、先生」

「んんーっ、こんな教育でほんとにいいんだろうか・・・





「無題」 (六)―②

2012-09-04 03:48:48 | 小説「無題」 (六) ― (十)



                「無題」


                 (六)―②


 生まれ出でた子がこの世界で生きるために自己を形成しようとす

るように、自らの死期を悟りこの世界から去ろうとする者は、成長

とは反対に自己へと回帰する。やがて関心を失くした社会は徐々に

遠ざかっていき、これまで拡散していた意識は収束して主体として

の自分だけが残る。間もなく自分は存在しなくなる。その絶対性は

揺るがない。その絶対的な孤独の死点から逆に自分自身を見詰め直

そうと思った。それは、子どもたちが世界に可能性を探る視線とは

逆である。死点からの視線を私は死線と呼ぶ。死線によって見た自

分は果たして自分自身を生きてきただろうか?成功だとか失敗だと

か社会的な結果はどうだっていい。そんなものに拘るのは社会に魂

を売り渡した阿諛者が思い煩うことだ。売上が前月比0.何%増えた

かなど消え去る者にとって何の意味があるだろう。それは、あたか

もマラソンランナーが競争すら忘れて自分自身と向き合いひたすら

ゴールだけを目指すように、もはや自分が何位だとか周りのことな

どどうだってよくなってしまうのだ。そもそも社会などいうのは私

の死とともに消え去るのだ。否、社会だけでなく一切が消滅するの

だ。残された人生をどう生きるかは私自身に託された問題である。


                                 (つづく)


「愛国心」

2012-09-04 00:25:32 | 従って、本来の「ブログ」


 ◎ 先日ブログをいらった時に誤まって消去した記事を再び載せます。

    「2012年8月13日」に掲載した記事です。


 

             「愛国心」


 この春ごろ、たまたまネットで出版社の投稿募集の記事が目に止

まり、その出版社とは、主に自費出版を請け負う出版社であるが、

ところが、私は400字詰め原稿用紙一枚「以上」を「まで」と読

み間違いをしてしまい、(大概の募集は「何枚まで」だったので、

それにしても「一枚以上」っておかしくない?)、400字「まで」

ならと気軽に投稿したあとで間違いに気付いてすっかり諦めていた

ら、何と、数日して「入賞しました」と封書が届いて驚きました。

その中には延び縮みするボールペンが一本だけ同封されていました。

ショボイなと思いながらも嬉しくて、ところが文書をよく読むと名

前が私のものではありません。封書の宛名は私宛てでしたからたぶ

ん文書を入れ間違ったのでしょう。それでも封書に私の名前を手書

きではなく印字したシールが貼られていたので選考に残るくらいま

では行ったのかもしれないなどと自分を慰めながら、メールで確か

めようともしましたがホームページには電話番号もメールアドレス

も掲載されていなかったので、更に、送られてきた封筒の何処にも

それらがなかったので何もせずに投げていると、間もなく再び封書

が送られてきて、それには、「先日の入賞は当方の手違いでした」

と詫びていました。どんな手違いが「行われた」のか知る由もない

が、そこにも謝罪のつもりなのか同じボールペンが一本添えられて

ました。

 その400字「まで」に拘った私の記事を以下に記します。とい

うのも、ロンドンオリンピックの男子サッカーで日本に勝った韓国

チームの選手のひとりが、スポーツマン精神の如何なるかも知らず

に政治的なアピールを行なったことが問題になっています。奇しく

も、私は前の記事で、「どうせ彼らは純粋にサッカーの戦いだけを

挑んでくるわけではないのだから。」と記しましたが、スポーツ競

技とは本来国力を競い合うものではありません。それどころか選手

同士の友好関係から国同士の争いを回避するためにスポーツマン精

神が生まれたのです。オリンピックが本来の意義を見失って久しい

ですが、それでも、オリンピックが原因で対立が深まるのは全くの

本末転倒と言うほかありません。簡単に言ってしまえば、どこの国

にも本分を勘違いしたこの手のバカは居ます。そんなバカを相手に

して目を色を変えて非難しても仕方の無い事だと思います。況して、

そんなバカを持て囃す人々は狭い視野でしか物事が見れない愛国心

を履き違えた人々に違いありません。ただ、彼国もそんなバカばか

りが居るのではないはずですから、数多居る常識のある関係者が然

るべき謝罪をして済む話しでしょう。


      *       *        *



            「愛国心」

 どこの国にもいわゆる愛国主義者という人々は存在する。たとえ

ば、「我が国バンザイ、隣国怪しからん」と唱える者はたまたまこ

の国で生まれ育ったからそう信じるだけで、例えば、物心がつく前

の幼少の頃に、何かの偶然でその嫌国を祖国として育ち恩恵を受け

れば、恐らく立場を違えて、その国の愛国者として「祖国バンザイ、

日本怪しからん」と叫んでいたことだろう。生まれた国を愛するの

に他国を蔑まなければならないとすれば、私はそんな偏狭な愛国心

には共感できない。もしも、愛するという感情が憎しみの相対でし

か確かめられないとすれば、対象が人であれ国であれその愛は絶対

的なものとは言えない。私は、マスメディア等で隣国を罵倒する発

言を繰り返す自称愛国主義者を見聞する度に、彼らが隣国で生を授

かっていれば、きっと、先頭に立って日本を侮辱するに違いないと

冷めた目で見てしまう。



        *      *        *



 私は、彼国の愛国者を散々バカ者呼ばわりしましたが、実は、同

じような偏狭なバカ者が、それも公の立場に在るにもかかわらず進

んで隣国を蔑むバカ者がこの国にも居るということが言いたかった

のです。対立する国の姿とは、鏡に映った自分たちの姿ではないだ

ろうか。侮辱するから侮辱されるのです。


                               (つづく)


「無題」 (六)―③

2012-09-03 20:02:18 | 小説「無題」 (六) ― (十)



                     「無題」


                      (六)―③


 会社を辞めることに決めた。身体を壊してからは、パート主婦で

も出来るやり甲斐のない仕事しかできなかった。自分としてはこう

するべきだという考えはあったが後継ぎ息子とは悉く意見が合わな

かった。そもそも、会社がお客さんからの信用を失ってダメになっ

たのは、世襲社長の指示によって外国産ウナギを国内産と偽装した

ことがバレて摘発され、それを納品した会社の実の弟と共に逮捕さ

れたことがきっかけだった。次男は主に兄のスーパーに納品する下

請け会社の社長だったが、その会社で働いていた元従業員に密告さ

れてあろうことか兄弟揃って逮捕された。それは、消費者の信用だ

けに支えられた小売業にとって致命的な不信感を与えた。バカ息子

は、マス・メディアの前では反省の素振りを見せたが、釈放される

とそんなことは何処の店でもやっていることだと放言して憚らなか

った。しかし、彼の父親が成功したのは何処の店もやっていないこ

とを始めたからだった。顧客相手の商売では経営者一族への不信感

は店の売上にすぐに影響して、創業者が営々と築き上げた信用は一

夜にして崩壊した。ただ、創業者が何も知らずに逝ったことだけが

せめてもの救いだった。そもそも接客商売でオーナーが堂々と客の

前に顔をさらすこともできないで、たとえ他人を立てて後ろで操っ

ても、客の信頼を取り戻すことはできなかった。それに、彼は気が

多くて、新しいビジネスに手を出しては思い通りに行かなくなると

すぐ投げ出してものにならなかった。ああ、もうどうだっていいや、

辞めることに決めたんだ。たとえ私が辞めなくても彼が間もなく会

社を終わらせてくれるに違いないだろう。ただ、心残りは、私を拾

ってくれた創業者に何一つ恩返しができなかったことだけだった。

もちろん、将来への不安はあったが辞めると決めたら緊張が解けて

気が軽くなった。しかし、自分のこともそうだが、やっぱり、娘の美

咲のことが気にかかった。


                                 (つづく)