「価値とは何だ」 ②

2012-12-16 22:18:16 | 「存在とは何だ?」

         「価値とは何だ」 ②

 以下のコラムは、素人の私が抱えている「ぼんやりとした不安」を、

専門家が的確に指摘していますので、ロイターのコラムより全文転

載します。


           *       *        *

Reuters JP
   

コラム:

日本経済を蝕む「モルヒネ中毒」

=河野龍太郎氏 2012年 12月 14日 19:02 JST

                            河野龍太郎パリバ証券 経済調査本部長
[ http://jp.reuters.com/article/mostViewedNews/idJPTYE8BD05D20121214 ] 
              
 [東京 14日 ロイター]

 わずかな例外を除き、日本では過去20年にわたって、財政政策
も金融政策も緩和方向に偏った極端な政策運営が続けられている。
軽微な景気減速の際にも追加財政や金融緩和が発動され、さらに
最近では日本銀行による財政赤字のファイナンス(マネタイゼーシ
ョン)を可能とすべく、財政制度や中央銀行制度を変更すべきだと
の前代未聞の提案まで聞かれるようになった。残念ながら、日本経
済が患う「モルヒネ中毒」は悪化するばかりである。
 筆者が常々指摘していることだが、財政政策や金融政策など裁量的
なマクロ安定化政策そのものに、新たな付加価値を生み出す力はな
い。マクロ安定化政策が企図するところは経済変動の平準化であり、
消費水準のボラティリティを抑えることで家計部門の効用を高める
ことである。消費水準そのものを高めることが企図されているわけ
ではない。マクロ安定化政策だけで潜在成長率を引き上げ、消費水
準を恒常的に高めることは不可能である。もしも、そうした政策だ
けで潜在成長率を高めることが可能だとすれば、古今東西、あらゆ
る国がすでに豊かになっていたはずである。
 マクロ安定化政策が一見して経済成長率を高めるように映るのは、
財政政策を通じて「将来の所得の先食い」が、金融政策を通じて「
将来の需要の前倒し」が可能になるからだ。無から有は生み出せな
い。上がった分だけ、将来、所得や支出は落ち込み、時間を通して
見れば、効果はゼロになる。それどころか財政・金融政策が資源と
所得の配分の歪みを作り出すことを考えると、真の効果はマイナス
となる可能性もある。これは、財政政策だけでなく、金融政策につ
いても当てはまる。 しかし、議論はいつの間にかすり替わり、「
低成長は裁量的な財政・金融政策が足りないからであって、まずは
追加財政と金融緩和で成長率を高めることが先決」となってしまう。
マクロ安定化政策は、財政・社会保障改革を先送りするための言い
訳として体よく使われるのである。
 その際、財政政策については、有用な公共事業を選べば、弊害は
小さく、効果は大きいという「ワイズ・スペンディング」論が幅を
きかすことが多い。確かに、財政の役割は、所得再配分とともに市
場の失敗によって民間では対応できない公共サービスを提供するこ
とで、資源配分の効率性を高めることにある。だが実際には、経済
対策を短期間でまとめようとすると、費用対効果が十分に検討され
ない事業ばかりが盛り込まれる。近年の経済対策を見ても、予算策
定の際に却下された事業の復活が目立つ。ワイズ・スペンディング
論は、机上の空論だ。
 ちなみに、日本では1960年代以降、社会インフラの整備が急
速に進んだため、今後はそれらの更新時期が徐々に訪れる。維持管
理費や更新費用を賄うと、新設に振り向ける資金をねん出すること
は早晩難しくなる。20年後には、維持管理費・更新費を全てねん
出することはできなくなるため、どの資本ストックを残すのかとい
う選択を迫られる。社会インフラを新たに作ると、毎年の予算の中
で維持管理費が大きな負担となるだけでなく、将来、莫大な更新費
が必要となることは十分理解されているだろうか。大型の公共事業
など拡張的な政策を支持する政治家たちは、誰がその費用負担を強
いられるのか、十分に考え抜いて発言しているのだろうか。
 もちろん、近視眼的な財政・金融政策の大盤振る舞いが政治家に
よって志向されること自体は、何ら驚きではない。潜在成長率の低
下を認めず、必要な改革を先送りし、裁量的政策を駆使することで
目の前の経済状況の見栄えを良くするという政治手法は、欧米諸国
でも長く用いられてきた。将来世代に負担を先送りする選択がなさ
れやすいことは、洋の東西を問わず、代議制民主主義を採用してい
ることのコストだと言えよう。
 政治家は、落選すれば「ただの人」になる。低成長を前提とした
制度改革は、増税や社会保障給付のカットを通じた歳出削減など有
権者に新たな負担を強いるだけなので、回避へのインセンティブが
強く働く。だからこそ、先進国はいずこも将来世代への負担押しつ
けの結果として公的債務の山をこしらえてしまうことになるのだ。
 しかし、こうした姿勢が行き過ぎれば、財政危機を招く。特に心
配なのが、日本の一部でマネタイゼーションへの安易な期待が広が
っていることだ。
 中央銀行はマネーという特殊な負債を発行することができるため、
マネタイゼーションによって極限まで財政ファイナンスを行うこと
ができる。だが、臨界点に達すれば、財政危機、金融危機、経済危
機を招き、われわれの経済・社会制度に壊滅的な打撃を与えること
は、歴史が証明している。そして、そうした歴史的教訓から得た知
恵として、政治から相当程度独立した中央銀行制度を構築し維持し
てきた。中央銀行の独立性の目的は、広い意味では「インフレ・バ
イアスの遮断」だが、より本質的には「マネタイゼーションの誘惑
の遮断」であることを今一度思い起こすべきだ。

<歴史の知恵を軽視してはいけない>

 もしかしたら、マネタイゼーションを支持する人々は、筆者の理
解を超えた経済政策を見出しているのだろうか。たとえば、正しい
政策の目的と手段を兼ね備えた為政者が、その目的を実現するため
に、今はあえて中央銀行の独立性に制限を加え、マネタイゼーショ
ンを推進しようとしているのだろうか。しかし、百歩譲って、その
とおりだとしても、そうした行為は厳に慎むべきだと考えている。
 まず、いったん変更を加えて、マネタイゼーションが可能になれ
ば、制度を元に戻すのは容易ではない。代議制民主主義の下で選ば
れる次代の為政者たちが、健全な財政・金融政策に復するとは限ら
ない。現にわれわれは戦前にこの失敗を経験している。どのような
為政者が選ばれても、彼らがマクロ経済や社会に対して致命的な失
敗を犯すことを避けるために、われわれは中央銀行に政府からの独
立性を付与し、同時にマネタイゼーションを厳しく禁じてきた経緯
がある。歴史の知恵が生み出した社会制度の根幹に変更を加える際
には、最大限慎重であらねばならない。
 また、資産市場を通じて政策効果が広く波及することを考えれば、
マネタイゼーションは新たなバブルを生み出す恐れがある。確かに、
中央銀行のファイナンスによって、政府が支出を大規模に増やし始
めた段階では、新たな所得や支出が湧き出てくるから、消費や投資
は増え景気は活気を取り戻す。成長率も高まるだろう。しかし、繰
り返すが、それは先食いにすぎない。効果が一巡すれば、増加して
いた支出は減少し、成長率も大きく落ち込む。後に残るのは、さら
に膨らんだ公的債務と収益性の低い政府主導の過剰ストックである。
要はバブル現象と変わらない。そして、成長率の低下を避けるため
に、再び中央銀行のファイナンスによって、財政支出を増やすとい
うプロセスが継続される。あたかもモルヒネ中毒のように、マネタ
イゼーションはいったん始まれば、歯止めがきかなくなるのである。
 危機に陥る過程を想像してみよう。まず長期金利上昇を抑えるた
めに、中央銀行は市場での国債買い支えを迫られるようになる。だ
が、次第に効かなくなり、政策そのものが事態を悪化させる。国債
を買い支えるために供給するマネタリーベースの価値の裏付けが、
中央銀行が保有する国債だからだ。国債が紙くずとなれば、マネー
の価値が失われる。長期国債の市場での発行は困難となり、最終的
には短期国債ですら買い手はいなくなり、中央銀行がほとんどを引
き受けるようになる。
 国内総生産(GDP)の2倍以上の公的債務を抱えている日本経
済は、危うい均衡の上に立っている。低金利が続いているから財政
破綻が避けられているとも考えられ、長期金利が急騰すれば、その
途端に財政危機・金融危機が始まる可能性がある。そのような中で、
資産価格に相当な影響を及ぼす極端な拡張的政策に打って出ること
は、一か八かの賭けとなるのではないだろうか。
 政策を決定する際には、少なくとも社会やマクロ経済に取り返し
のつかない悪影響を与えないという、慎重な姿勢が必要である。マ
クロ経済の仕組みに関する限り、われわれが理解していないことの
ほうが、まだまだ多い。裁量的なマクロ経済政策が万能と考えるこ
との危険性、あるいは進歩主義的な介入主義への過度な信頼に対す
る反省が、2000年代の世界的な金融危機から得られた教訓では
なかったか。


 *河野龍太郎氏は、BNPパリバ証券の経済調査本部長・チーフ
エコノミスト。横浜国立大学経済学部卒業後、住友銀行(現三井住
友銀行)に入行し、大和投資顧問(現大和住銀投信投資顧問)や第
一生命経済研究所を経て、2000年より現職。

 *本稿は、ロイター日本語ニュースサイトの外国為替フォーラム
に掲載されたものです。(here) 

 *本稿は、筆者の個人的見解に基づいています。


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 大辞泉ワイズ・スペンディング( Wise spending )
 「賢い支出」という意味の英語。経済学者のケインズの言葉。
不況対策として財政支出を行う際は、将来的に利益・利便性を
生み出すことが見込まれる事業・分野に対して選択的に行うこ
とが望ましい、という意味で用いられる。

 大辞泉マネタイゼーション(Monetization)
  貨幣を発行すること。
 2 資源や資産などを現金化すること。特に、中央銀行が通貨
  増発して国債を引き受けることにより、政府の財政赤字を解消
  すること。国の財政支出拡大とマネタイゼーションを組み合わせ
  て 行うことで、景気浮揚とデフレ脱却の効果が見込めるとの意
  見もあるが、通貨の信認が低下し、極端なインフレを招くなどの
  副作用も懸念される。


「価値とは何だ」

2012-12-14 03:20:25 | 「存在とは何だ?」



         「価値とは何だ」


 そもそも、お金そのものには何の価値もない。嘘だと言うなら大

金を奪って無人島へ逃げてみればいい、いくらお金をばら撒いても

小魚一匹寄って来ないだろう。お金が価値を持つのは人間社会の中

だけのことである。つまり、お金の価値とは社会的価値である。何

も今さらそんなことを言われなくても分っていると思うかもしれな

いが、どうも最近の経済論争をそれこそ金も払わずにただ聞きして

いると、何かその大前提が忘れられているように思えてならない。

断っておきますが、私は金融にも経済学にもまったく興味のない無

学者でありますから、多分、これから述べることは何もわざわざ言

わなくてもその世界の常識であったり、或いはとんでもない誤りを

述べることになるかもしれませんし、また、自分が感じている矛盾

を上手く説明できる自信さえありませんが、ただ、生理に馴染まぬ

思想を排出もせずに身体に抱えていると健康に良くないので、素人

であるが故に臆せずその納得いかないことを吐き出します。

 今や世間はデフレ経済からの脱却を図るための様々な情報や

意見がマス・メディアを通して伝えられていますが、先にも述べたよ

うに、私自身は経済学などまったくの素人で所詮は家計簿程度の

知識しかないので、借金が給料の20倍あると言われればとても穏

やかではいられない。ところが、デフレ経済からの脱却こそを優先

しなければならないと訴えるリフレ派の専門家たちは挙って金融緩

和とそれに伴う積極財政を求めている。給料が下がり続ける限りい

くら切り詰めても借金は返せないので、そこで借金をしてでも給料を

上げろと言う。多分、それから先は家計簿と国家財政の違いから、

我が家ではお金が足らないからといって紙幣を刷ることができない

ので、煙に巻かれるしかないのだが、どうも納得できない。そこで、

そもそも価値とは何かと思った。

 「お金そのものには何の価値もない」とすれば、それでは我々は

何に価値を認めているのだろうか。近代社会は我々が創り出した技

術製品で溢れ返っているから何も答えに窮しませんが、例えば、こ

の記述を大袈裟に言えば世界中の人々に発信できるインターネット

の価値は、それが存在しなかった時代から見れば驚くべき価値の創

造であることは言を俟たないでしょう。しかし、パソコンなど触っ

たことのない者にとってはインターネットは直接的には何の価値も

もたらさない道具かもしれません。つまり、モノ自体にもその価値

の有る無しがあって、それは、その価値はそれに関わる主体から生

まれる。ピカソの抽象絵画はそれまでの具象に拘った伝統的な絵

画を一変させた価値ある芸術で何十億の値が付くが、絵に巧みさを

求める人にとっては子どもの絵以下の1円の価値すらない。価値と

はそれを認める人によって生み出される。そして、その価値の認識

を共有する人々によって社会的価値が創り出される。お金とは社会

的価値を共有するための社会的手段に過ぎない。だとすれば、いく

ら金をばら撒いたとしても、社会的価値が創生されることはない。


                                  (つづく)


「あほリズム」 (268)

2012-12-12 03:14:49 | アフォリズム(箴言)ではありません



             「あほリズム」


               (268)



 結局、民主党政権は公約にもしていなかった消費税を

上げることしかできなった。これは明らかに政治敗北であり、

その反省なしに民主党の復活はあり得ないだろう。



               

               (269)


 彼らは、政権交代に浮足立ち、守旧派に足をすくわれ、

新しい社会のビジョンを見失ってしまったのだ。



               

               (270)


 かつて、民主党が政権に就いた時に、前原前国交大臣が

民主党政策の中心である事業仕分けの最中にも関わらず、

会見で「事業の継続性は維持する」と語った時に、民主党政

権のなしくずし的な今日の低迷を予感することが出来た。





                (271)



 改革とは継続を断つことであり、がん細胞だけでなく、

それらを蘇生させる器官さえも切除しなければならないのだ。





              (272)


 彼らは、或いは我々は、改革(手術)に怖気づいたのだ。




              (273)


 最早、どこの政党も期待できないと諦めていたが、ところが、

高度成長期の夢を忘れられずブレずに成長戦略を訴える政党

があった、自民党だ。自民党こそが病んだこの国を「破綻」させ、

新たな時代を生む契機をいち早くもたらせてくれるのではないだ

ろうか?それまでは我慢するので、自民党には思い切って金を

ばら撒いてもらいたい。彼らが言うように、この国を「再生」させる

にはそうする他ないのかもしれない。



               (274)


 いっそのこと、中国とも遺恨を晴らす一戦を交えて、

また焼け野原から始めた方がいいのではないか。







「あほリズム」 (276)

2012-12-06 05:55:30 | アフォリズム(箴言)ではありません



              「あほリズム」



               (276)


 二人の相性において、大概のことは相手に委ねるしても、ただこ

れだけはどうしても譲れないということを相手が蔑むようになると亀

裂が生じ、二人の関係にとっては小さな亀裂に過ぎないが、小さな

亀裂であるが故に元には戻らない。




「あほリズム」 (270)―(275)

2012-12-04 01:10:05 | アフォリズム(箴言)ではありません



         「あほリズム」


           (270)


 いくら皿を大きくしてもパイは大きくならない。



  
           (271)



 いくら金をばら撒いても景気はよくならない。



           (273)




 みんなが一番欲しているのは、モノではなくお金だから。




           (274)



 しかし、お金とはモノを得るための手段だとしたら、

我々は目的と手段を倒錯させている。



            (274)



 かつては目的が手段を生んだが、ところが、今では

手段が目的を生む。

 

            (275)


 つまり、皿を大きくすればパイは大きくなると思っている。