「あほリズム」(897)(898)

2022-04-08 03:43:35 | アフォリズム(箴言)ではありません

       「あほリズム」

 

         (897)

 

 ふと思ったんだけど、ロシアによるウクライナ侵攻によって、

ウクライナは世界有数の小麦の生産国で今年は世界的な食糧危機

が避けられないと予測されているが、おそらく主食である小麦不

足は当然コメ不足へと連鎖して米価の値上がりが予想される。こ

れまで米価安から減反を強いられてきたコメ農家は局面の変化を

見極めて作れるだけ作った方がいいと思うのだが、責任は持てな

いけど。だって小麦の収穫不足が分ってから(6月~8月)ではコ

メの作付けは間に合わないんだから。

 

           (898)

 

 前回(2022年4月8日)『「あほリズム」(897)』で、ロシ

アによるウクライナ侵攻によって小麦不足による食糧危機が起こり

、コメの需要が連鎖的に増えて米価が高騰すると思うと記したら、

前日付の日本農業新聞に次の見出しの記事が載っていた。記事その

ものは有料なので記載できないが、見出しは「営農集落・農業法人

の53%が米価下落予想 資材高騰の影響96%が実感 本紙景況

感調査」「ええっ!」、ほとんど投稿して直ぐだったのと私の予

想とは全く逆だったので驚いた。まあ、彼らはその道のプロなので

逆らうつもりはないけれど、ただ、彼らが農業新聞の調査に回答し

た時点でロシア軍によるウクライナ侵攻(2022年2月24日)が

起こっていたかどうか、更には起こっていてもウクライナが世界有

数の小麦生産国であることを知っていたかどうかなど、不明な点が

幾つかあるので、私はこのまま自分の意見を撤回せずに「今年の米

価は間違いなく上がる」と怖れながら主張します。


仮題「心なき身にもあわれは知られけり」 (6)のつづきの続き

2022-04-06 08:13:35 | 「死ぬことは文化である」

      仮題「心なき身にもあわれは知られけり」

 

         (6)のつづきの続き

 


 かつて、弱冠十六才の平岡公威、のちの三島由紀夫の文才を見い

出した文学者蓮田善明(1904年生)は、鬼畜英米との大戦前夜に

徴兵に応召のかたわら論文「青春の詩宗――大津皇子論」(1938

年11月)を発表した。そこで彼は、戦火が拡大する時代の自らの生

い立ちと重ね合わせて「此の詩人(大津皇子)は今日死ぬことが自分の

文化であると知つてゐるかの如くである。(中略)予は、かゝる時代の

人は若くして死なねばならないのではないかと思ふ。」と語る。彼が

大津皇子を「詩宗」とまで称えるのは『懐風藻(かいふうそう)』に「

詩賦の興るは大津より始まれり」と記されているからにほかならない

 

                        (つづく)


「あほリズム」(896)

2022-04-04 23:12:02 | アフォリズム(箴言)ではありません

        「あほリズム」

 

         (896)

 

 かつて三島由紀夫は全共闘の学生との討論の場でこう言った、

 「ぼくらは戦争中に生れた人間でね、こういうところに陛下が坐っ

ておられて、三時間全然微動もしない姿を見ている。とにかく三時間

、全然木像のごとく微動もしない。卒業式で。そういう天皇から私は

時計をもらった。そういう個人的な恩顧があるんだな。こんなこと言

いたくないよ、おれは。(笑)言いたくないけれどね、人間の個人的

な歴史の中でそんなことがあるんだ。そして、それがどうしてもおれ

の中で否定できないのだ。それはとてもご立派だった、そのときの天

皇は。― 三島由紀夫「討論 三島由紀夫 vs. 東大全共闘」(1969年5月

13東京大学900番教室壇上において)[ウィキペディア「三島由

紀夫」より]

 私は未だに「三時間全然微動もしない姿」の何が立派なのかがさ

ぱり分らない。


仮題「心なき身にもあわれは知られけり」

2022-04-04 03:57:36 | 「死ぬことは文化である」

    仮題「心なき身にもあわれは知られけり」

 

         (6)のつづき


 王位を巡る権力争いは卑弥呼が統治した邪馬台国の時代から幾度

も繰り返されてきた。やがて中国より文字が伝来して編纂された「

日本書紀」(720年) が伝えるところによると、聖徳太子の皇子山

背大兄王(やましろおうえのおう)は皇位継承を巡る争いから蘇我入

鹿に攻められて一族もろとも自害して上宮王家(聖徳太子の一族)は

滅んだ(643年)。そして、皇子を討った蘇我入鹿は中大兄皇子と

中臣鎌足によって宮中で殺害される「乙巳の変(いっしのへん)」が

起こり、また、実権を握る中大兄皇子に謀反を企てたとして孝徳天

皇の皇子有馬皇子が絞首刑に処された。やがて中大兄皇子が天智天

皇として即位して僅か四年足らずで死ぬと皇位継承を巡って皇太子

大友皇子と弟の大海人皇子が争う「壬申の乱」が起こり、敗れた大

友皇子は二十五歳で自ら頸を縊って死んだ。大海人皇子は即位して

天武天皇と号し、のちに皇后のほかに九人の妃が生んだ十人の皇子

と七人の皇女があり皇位継承問題を複雑にした。天武天皇の後継者

は皇后の皇子草壁皇子と既に母(天智天皇の娘大田皇女)を失った大

津皇子に絞られたが、天武天皇が心を許す皇后鸕野讚良(うののさら

ら)の皇子草壁皇子が皇太子に決まった。しかし、天武天皇の死とと

もに大津皇子の悲劇が始まる。天皇の死後わずか一ヶ月後に大津皇

子の謀反が発覚し、もちろんそれは皇后が謀った罠だが、間もなく

皇子は死刑に処された。こうして現人神たちによる皇位継承を巡る

権力争いは讒言(ざんげん)と陰謀が渦巻く魑魅魍魎(私欲のために悪

だくみをする者のたとえ [三省堂新解明四字熟語辞典より])の世界で

あった。


                        (つづく)