「世界内存在」(2)
哲学者ハイデガーは近代科学に対して否定的であった。彼はドイツ南西部のバ
ーデンヴュルテンベルク州にある西と南をライン渓谷に囲まれたシュヴァルツ
ヴァルト(ドイツ語:黒い森)の標高1000mの高地にあるトートナウベルク
に山荘を建てて暮らし、ラジオ放送でも「我々はなぜ田舎に留まるか」とい
う講演まで行っている。
「世界内存在」(2)
哲学者ハイデガーは近代科学に対して否定的であった。彼はドイツ南西部のバ
ーデンヴュルテンベルク州にある西と南をライン渓谷に囲まれたシュヴァルツ
ヴァルト(ドイツ語:黒い森)の標高1000mの高地にあるトートナウベルク
に山荘を建てて暮らし、ラジオ放送でも「我々はなぜ田舎に留まるか」とい
う講演まで行っている。
「人はみんないつか死ぬ」の続き のつづきの追加
1993年7月に出版され当時ベストセラーにもなった鶴見済氏の本
「完全自殺マニュアル(太田出版)によれば、その本は様々な自殺の時の痛さや
苦しさについて語られているが、西部 邁氏が選んだ入水自殺については、
「入水自殺は基本的に窒息死だ。何秒かの呼吸困難・窒息状態を味わわなけ
ればならないので、安楽自殺というわけにはいかない。」
とあり、やはり苦しいようだ。ただ、西部 邁氏が入水自殺を選んだ理由は以
下の記事にあるようにまた別にあったのかもしれない。
「西部 邁氏の自殺に影響を与えたかもしれない、ある女性の死」
「ついに世界が壊れ始めた」(5)
BBCニュースが伝えるところによると、イタリア南部で48.8度を観測して、これは欧州での観測史上最高気温になるそうです。[https://www.bbc.com/japanese/58182354]
さらに、こんな記事も
前にも記しましたが、この夏の世界的な地球温暖化は、農作物にとっては水
不足、高温障害による成長不良、そして害虫被害などなど、秋の収穫期に深
刻な結果をもたらすかもしれません。否、もうすでに不作のニュースも聴こ
えています。当然のことながら、無くてはならない食料品の不足は経済不安
を引き起こし、何故なら貨幣価値が暴落して、ハイパーインフレ、
つまり経済恐慌へと向かう可能性さ
えも否定できません。実はこの筋書きは、今よりほぼ百年前の1929年1
0月24日の
木曜日にニューヨーク株式市場で起こった、所謂「暗黒の木曜日」と呼ばれ
る世界恐慌の時代を再現しているに過ぎません。もちろん、そうならないこ
とを願ってですが、ニーチェに心酔する私とすれば、世界とは「同じものの
永遠なる回帰」であるという説に従うなら、つまり時間は無限で、ところ
が存在は有限であるなら、同じことは永遠に繰り返えされる、というニーチ
ェの説に従えば、世界は再び経済恐慌を経て、世界大戦へと向かうのではな
いかと怖れています。であるとするなら、ロシアによるウクライナ侵攻
は第三次世界大戦の序章であると思えなくもありません。何よりも、ロシア
軍によるウクライナ南部ザポロジエ原発への攻撃は、EUにとって
みればれば、未来に亘って放射能汚染の恐怖に脅えなければならない脅威で
しかありません。これは世界を破滅へと向かわせる攻撃以外の何ものでもあ
りません。ロシア軍による核施設攻撃は、かつて第二次世界大戦でアメリカ
軍が日本への原爆投下を正当化するために語った論理とまったく同じです。
つまり、「兵士の命を守るためにはそうするしかなかった」
私は、ロシア軍によるウクライナ侵攻を聴いた時に、遂に第三次世界大戦の
火蓋が切られたと思いましたが、もちろん、まだそれが間違いだったとも言
い切れませんが、いまや世界は地球温暖化がもたらす食糧危機、さらには
エネルギー危機、そして原発破壊による放射能危機、それらは何れも国家を
越えた世界規模の危機シナリオを目の当たりにしています。どれも一国のガ
バナンスではどうにもならない危機であるのに、競い合ってる場合なのでし
ょうか?
「人はみんないつか死ぬ」の続き のつづき
スイスのように医師の幇助を受けて安楽死を選ぶ以外にも、ただ
死ぬだけなら、方法は幾らでもある。にもかかわらず驚かされたのは、
評論家の西部 邁 氏が入水自殺を選んだことだ。彼は以前から自栽を公言
していて、その為に短銃を入手しようとしたが、手に入らなかったらしい。
たぶん、短銃ならそれほど苦しまずに意識を失うのかもしれないが、しかし
入水自殺は呼吸困難に陥って相当苦しまなければならないのではない
かと思ってしまう。以前、川岸に流れ着いた土左衛門を見たことがあった
が、水膨れでパンパンになった体は決して穏やか様子ではなかった。ただ、
博学である西部氏が何故入水自殺を選んだのかわからない。入水自殺って苦
しくないの?
「人はみんないつか死ぬ」の続き
そもそも近代社会はひたすら「快適で安楽な生」を追い求めてきたの
だから、臨終に際しても「安楽な死」を認めるべきではないか。「安楽死」
とは「快適で安楽な生」の終末であるが、ところが、人生の終末を苦痛と絶
望のうちに迎えることになれば、それまでの自立した尊厳も失われてしま
う。既にスイスでは、厳格な基準の下での安楽死を合法化していて、年間1
00人もの人の安楽死が行なわれているという。その方法は、
『スイスの自殺幇助は、患者が致死薬入りの点滴のストッパーを自ら解除す
る方法が一般的だ。点滴を左手首に刺したサンドラさん(安楽死希望者)は、医
師による最終診断を受けた。「このストッパーを外すと何が起こるかわかり
ますか」と尋ねられると、彼女は「Yes I will die(はい、私は死ぬのです)」
と躊躇することなく答えた。』 [https://www.news-postseven.com/archives/20180930_770149.html?DETAIL]