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だらだらぼちぼち

ネタバレあります 映画『海難1890』

2016年09月07日 14時34分30秒 | 映画とかTV
去年の12月に封切られた『海難1890』という日本映画について、ロードショーが終わってからアップしようとしていたら、すっかり時期を逃してしまった。
今頃は、誰も気にしないとは思うが、映画のストーリーについて触れておきたい。

ネタバレありで。

この映画は日本とトルコ共和国の友好関係を示す、年月を隔てた2つの事件を中心にして展開する。

まず、一つ目の事件は1890年(明治23年)9月16日に発生。
オスマン帝国(現トルコ共和国)の親善使節として軍艦エルトゥールル号が、明治天皇への謁見を果たし、帰国途中に台風に遭遇したため、串本町大島の樫野崎付近の海上で座礁し船は大破した。
乗員650名余りのうち生存者は69名という、痛ましい海難事故が発生した。
この時、事故現場となった大島村の村人達は負傷した乗員を断崖から運び上げ(もちろん人力で)、手厚い手当と看護に当たった。
漁業で生計を立てる大島の村人達は経済的には豊かではなかったが、率先して自分達の食料や衣料を負傷者達に提供した。
手当てするにも、もちろんトルコ人達とは言葉は通じないので、意思の疎通もままならなかったことは想像できる。
そんな中、村人達は生存者達の世話だけでなく、事故で亡くなった乗員達の遺体もできる限り収容して、樫野崎近くの墓地に葬った。
海に沈んだり海岸に打ち上げられた遺品も引き上げて、きれいに洗浄して保存した。
この事故を報道した新聞を通じて義捐金も集まり、翌年1月、生存者達は日本海軍の軍艦でイスタンブールまで送り届けられた。

この大事故の記憶は地元の串本町では代々伝えられていたものの、日本国内では広く知られる事は無かったらしい。
串本町在住ではないが同じ和歌山県に育ったワタクシも、エルトゥールル号の遭難事故の詳細を知ったのは、恥ずかしながらつい10年ほど前でしかない。
ただ、串本町では、エルトゥールル号の事故をきっかけに始まったトルコ共和国と串本町の友好関係について、随分以前から小学校の社会化の授業で習っているのだそうだ。
だから、『海難1890』のエンドクレジットの画面で、地元の小学生達がエルトゥールル号の慰霊碑周辺を清掃する様子が映されている。

エルトゥールル号の遭難から100年以上経った1985年、2つ目の事件が起きる。
イラン・イラク戦争の折、イラクのフセインは期限以内に退去しないとイラン上空の航空機を無差別に攻撃すると通告した。
これにより、各国はイランに滞在する自国民を避難させるのだが、日本だけが自衛隊機も民間機もイランに送り込めない状況に陥った。
日本国に見捨てられてしまった在留邦人達を救ったのは、トルコ共和国だった。
トルコ航空の飛行機が在留邦人を救出するために、イランに向かったのである。
当初、トルコ航空機で避難するはずだったトルコ国民は陸路で避難し、トルコの飛行機が自国民を乗せずに、取り残されていた日本人達を乗せて脱出したのである。
この時、おそらく、トルコ航空機で脱出した日本人達は、どうしてトルコ共和国に飛行機が自分達を乗せてくれたのか、理解できていたのだろうか?

トルコの人々は、1890年のエルトゥールル号遭難事故を忘れていなかったのだ。
遭難事故以来、イラン・イラク戦争の時だけでなく、トルコ共和国と日本の友好関係は途切れることなく続いていたのである。

ここからはワタクシがこの映画を観た感想であるが、

どういうわけだか、ワタクシは、エルトゥールル号事件をドキュメンタリ-タッチに描いた映画であると勝手に決めつけていたため、ドラマを引き立てるためにサイドストーリーがちりばめられた進行と、映像美にこだわったシーン転換に違和感も感じた。

さらに、大島に遊郭があったという設定に驚いて、串本町の知人に確かめたところ、その昔、遊郭は確かにあったらしいとの確認を得た。
映画に登場した、負傷者の看護を手伝った遊女のモデルとなった人の墓も、当時の大島の村長の墓も同じ墓所にも実在するらしい。

つまり、前半のエルトゥールル号遭難事故のエピソードと、後半のイラン・イラク戦争の脱出エピソード、
2か所で泣いてしまったのだ。

          

だが、最近、トルコ軍によるクーデター未遂事件が起きた、
トルコ共和国の国内情勢が、落ち着いてくれることを願っている。
そして、この先も両国の友好関係が続く事を願っている。