lizardbrain

だらだらぼちぼち

接近履歴

2021年03月16日 22時54分09秒 | 音楽
当然、その存在はもっと昔から知っていたが、
TV画面とかビデオではなく、目の前でナマで動いて演奏する、この人を最初に目撃したのは2002年12月7日、西宮市プレラホールというキャパ400人くらいの小さめのホールだった。
『村上ポンタクリスマススペシャル』と題したライヴは2日連続公演で、初日のゲストヴォーカルが近藤房之助、2日目のゲストヴォーカルが遊佐未森。
その2日目、遊佐未森がゲストの日に西宮まで出かけた。
メンバーは、小野塚晃(key.)、村田陽一(tb.)、渡辺直樹(b)。
 
MCでは、その前年の4月に村田陽一のバンド、「村田陽一ソリッドブラス」の公演でニューヨークに行った折に高熱を出して倒れ、ERに運び込まれた話もしていた。
高熱にうなされながらも、
「本場ニューヨークのERなら、ジョージ・クルーニーに会わせろ~!」
と暴れたのだと笑わせてくれたが、実は3~4日意識不明でかなりアブナイ状態だったらしい。
そう、ワタクシが明石のビジホにお泊りしながら、やる気満々で現地のホールに行ったら公演中止になっていたという憂き目に会ったのが、その時の病欠が原因だった。
(その後、無事にチケットの払戻は受けたので、今さら恨み言を言うつもりはない。)
 
この日のライヴで判明しのは、どうやらこの西宮辺りがポンタ師の故郷らしく、同級生達の楽屋見舞がたくさん届いて、終演後の打ち上げ宴会への勧誘も引っ張りだこだったらしい。
 
ポンタ師一人だけが登場してのドラムソロから始まって、前半はインストでジャズナンバー、途中休憩なしでぶっ通しだったライヴの後半に登場したゲストシンガーが遊佐未森。
(1988年にシングルデビューしたらしい、この遊佐未森というシンガーの名前の読み方さえ知らず、『ゆうさ』ではなく『ゆさ』と読むらしい事を知ったのがステージ上のMCからだった。)
自分のアルバムにも収録したという大正・昭和歌謡をメインに唄って、
「月がとっても青いから」では、3コーラス目に突然、ポンタ師がマイクを持って立ち上がり、遊佐未森に代わって歌いだした。
満員の客席は大ウケだった。
本編最後の曲はケイト・ブッシュの「嵐ヶ丘」を遊佐未森が唄い、その後、アンコールもあったのだが、
終演後、ホールから出てくる観客が口々に
「さんま御殿」の主題歌を歌うとは思わなかったわ~~~~~
と感想を話していたのが耳に入って大笑いしたワタクシだった。
 

2002年の頃はたぶんデジカメを持っていなかったのだが、その後観戦したうちでドラムセットに接近できた時はコッソリと撮影していた。

2015年9月、海南市のお寺の本堂。

 

2018年5月、同じお寺の本堂。

 

2011年2月、浜大津スカイホールで、ユッコ・ミラーとの共演。

 

2011年11月、西脇市アピカホール。

 

Twitterでポンタ師を検索したら、色んな人のツイートがどんどんヒットして止まらなくなっている。

それを読んでいるうちに泣けてきた。

YouTube、関西テレビ伝説の音楽番組『夢の乱入者』、東原力哉とのツインドラムで大はしゃぎしたり渡辺香津美とのデュオとか

 

ファンキー末吉のブログにも。

 

 



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