【2012年12月22日】 京都シネマ
亡くなった著名な作家の伝記を書くのに、その妻の“公認”を得るために、若い伝記作家がわざわざ南米の『ウルグアイ』まで出向く。そこには、亡くなった作家の妻と、作家の兄とその《恋人》、それに作家の元愛人が同居している。
妻は伝記を書くことに否定的で“公認”は絶対与えないという。兄は賛成で、愛人は訪問者に興味を示し、兄の意見にかたむいている。
この場合、伝記を書くことに対して“公認”を得ることがどんな意味を持つのか、あるいは、著名な作家がどんなものを書き、世の中に《どのような影響を与えた》人物なのか分からない中で、それぞれが意図して行動していることの意味が伝わってこない。
こうした文芸作品というのは、往々にして主題というか、作品の意図するものが分かりにくい。豪華俳優が顔を合わせているのだが、それぞれ個性が強すぎて、どこかちぐはぐで空回りしている感じがする。というか、それぞれの俳優の好いところが出ていないような気がする。
最終的に“公認”を得られるが、最初、お互いの将来を託して、若い伝記作家をアメリカからウルグアイに送った恋人と別れたが、それも何を意味したのか? どうもよくわからない。
日本人贔屓からだけではないが、真田広之にはもう少し彼らしい配役の仕方を考えて欲しかった。『たそがれ清兵衛』を知っている者にとっては、だいぶ違和感が残る。
『最終目的地』-公式サイト