【2008年3月15日】 京都シネマ
懐かしい70年代のフランスが舞台の映画である。
1970年代は今思い返すと、自分の中で最も衝撃的な年だった。1974年には、自分の記憶の中にスポーツ界の最大のイベントとして印象づけられている「キンシャサの奇跡」があったし、この映画で思い入れ深く描かれる「チリ人民革命」があった。この2つの事件は、過去の経験の中でも、スポーツと政治的出来事における最大の感動的出来事であると思っている。
日本でも京都でも世の中は燃えていたし、学園も騒然としていた。ある日、キャンパスで、「三島由紀夫が割腹自殺をした。」と聴いたのもこの時期だった。その後各地に革新自治体が生まれ、毎日がめまぐるしく動き回り、忙しい中にいちばん活気に満ちている時代だった。
そんな世情の中で、チリに人民革命が勝利の報が告げられたときは興奮した。選挙を通じて合法的に革新政府が誕生したのだ。パリ・コミューンやロシア革命といった過去の歴史上の出来事が、書籍から飛び出し現実世界に実際に起こっているという臨場感は「人類の進歩をまのあたりにする」興奮そのものだった。
アジェンデ政権はその後、ピノチェトの軍事クーデターにより押しつぶされてしまうのだが、アジェンデの最期の戦いは壮絶だった。テレビ画面で見たのか、その後の報道ニュース映像で見たのか忘れてしまったが、その映像が今回の映画の背景に流れる。パリも日本以上に燃えていた。
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映画は、9歳の少女アンナの目を通じて、当時の激動のフランス社会の側面を描くが、タイトルの「ぜんぶ、フィデルのせい」の面白さが出ていない。
スペインの伯爵家の出身で、弁護士の父親と雑誌記者の母を持ち、それまでは上流階級の裕福な暮らしぶりをしていたアンナが、両親の「革命に対する目覚め」から生活の仕方が一変する。いったいこれはこれは誰のせいだ、と。
映画の構想、題材の設定もすごく興味深く面白いと思うし、主演の女の子もキュートで愛らしくいい配役なのに、見た後の感じがしっくりこない。
アンナは徐々に世の中の「ムジュン」にも気づいてくるのだが・・・。
だいたい、「キョーサン主義」とフィデルの関係が見る側にはっきりと伝わってこないし、ストーリの展開がすっきりせず、整理されていない。せっかく歴史的大事件を扱っているのに、そのものの持つ意味、アンナをして不自由を感じさせることとの関連や意義が観客に伝わってこない。それらが描ければ、もっと面白い映画に仕上がったと思うのに、残念である。
脚本がまずいのかな、と思う。
「ぜんぶ、フィデルのせい」-公式サイト
「アジェンデ大統領最期の戦いと演説」の載っているサイト