【 2018年12月17日 】 MOVIX京都
メアリー・シェリーという女性が、小説「フランケンシュタイン」の作者であると知ったのは、偶然の事だった。それを知ったのは、このブログ記事の下の方に紹介してある『AIが人を殺す日』(集英社新書)という本の[あとがき]にあたる《おわりに》という文章の中でである。今年の8月の事だった。
誰もが知っている《フランケンシュタイン》とは、電気の力で死体をつなぎ合わせて蘇った不気味な妖怪のような《生き物》-そのモノであるが-もともとは、それを作ってしまった《科学者》の方が《フランケンシュタイン博士》だったのだ。それを、後世の人が勝手に入れ換えてしまったらしい。作られた《フランケンシュタイン》の性格も《メアリーの当初のそれ》とはだいぶ違ったものだったようだが、その点は後回しにしよう。
そんな前提があって、1週間前ほどの映画評で、この映画の記事を見て、さっそく見に行った次第である。何せ、今からおよそ200年前の、ナポレオンが「ワーテルローの戦い」に敗れてセントヘレナに流されたと同じ頃の時期に、わずか18歳の少女が《世界最初のSF小説》を書いたということで、メアリーがどんな世界、境遇でそれを執筆するに至ったか、興味津々だった。
映画が始まると、スクリーンに映し出される映像の効果で200年前の世界に引きずり込まれる。衣装や背景描写も凝ったものだ。その中で、かつてなじみのあった名前が次々と出てくる。映画『ローマの休日』の中で、口ずさむ【1片の詩】をめぐってブラッドレーと王女が「キーツ」、「シェリー」と互いに主張し、譲らないシーンを思い起こす。そう、あの詩人「シェリー」が!-『フランケンシュタイン』の生みの親・メアリーとが夫婦だったなんて! かの詩人「バイロン」も出てくる。同じ時代の人だったのかと、改めて驚く。そういう時代に生きていた娘だったんだ、メアリーは!
フランケンシュタインの《人造人間》の作り方は、今の科学技術や知識からいえば、ありえない荒唐無稽な方法だが、当時の知見からすれば当然の事だった。それより、作り出そうと《めざしたモノ》がすごい。
下記の本の《おわりに》から、小説「フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス」の概略を引用させてもらうと、
『・・・スイスの名家に生まれた主人公、ヴィクトール・フランケンシュタインは若くしてドイツの大学に留学し、
化学や生理学、さらには解剖学など最先端の自然科学を修めます。やがて、「生命の根源を解き明かし、それを人工
的に作り出す」という野望を抱いたフランケンシュタインは狂気の研究に没頭し、物寂しい11月のある夜、実験室
で複数の死体をつなぎ合わせた物体に生命を吹き込むスパークを注入して、ついに人造人間(怪物)を作り出します
・・・』
映画の中では、エアリーが書き上げる小説の中身までは触れずに、当時の様子だけが描かれているだけだ。
上の引用に続いて、出来上がった《人造人間》について言及された部分を加えると、
『・・・怪物は「生まれながらに極悪非道の生き物」ではなく、むしろ「善良で傷つき易い性格」として設定した・・
・それは恐らく「科学技術の二面性」を寓話的に表現したかったからでしょう。』
と、著者は書いている。
この点についても、映画では全く触れられていない。当時の雰囲気は分かったから、次はどうしても《メアリーの書いた【小説そのもの】を読んでみなければ》という気持ちになって、映画館を後にした。
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【「AIが人間を殺す日」】
この本の動機について、著者は次のように、《おわりに》に書いている。
『AIのような時代をリードする科学技術が、その創造主である人間(人類)に牙を剥くことへの警鐘を鳴らすため』、と。
そして、小説『フランケンシュタイン』は、
『暴走する科学技術と人間との悲劇的な関係』を描いているという。
AIをはじめとする最近の科学技術の進歩は目覚ましく【そのうちAIは人間を凌駕するのではないか】という危機感はいずれの科学者も持ち合わせている。この本に触れられている【車、医療、兵器】に限らず、人間と人工知能-人間型のロボットとの関係は、200年前のエアリーの時代に比べ物にならないくらい複雑だ。
ああ、考えないといけないことが沢山ある!
『メアリーの総て』-公式サイト