【2007年12月9日】 京都シネマ
二人の女性、一人は戦時中、特攻隊員としての訓練を受けた叔父を持つニューヨーク育ちの日系アメリカ人が監督をし、もう一人は日本で生まれ「ヒロシマ、ナガサキ」について教えられたアメリカ人がプロデューサーとなって出来たインタビュー中心のドキュメンタリー映画。
インタビューの間に挿入された映像も生々しく、衝撃力がある。
期せずして《生き残ってしまった》特攻隊員は今まで多くを語らなかった。というより、自分の過去を証されることから避けていた。
その人たちが語り始めた。
本当は生きていたかった。
死にたくはなかった。
一方、特攻隊に撃沈された相手方の艦船の乗組員の証言もある。
怖くてたまらなかった。
正気の人間のすることとは思えなかった。
この映画のねらいは、制作者らが語っているように、
「欧米では自爆テロの先駆者として憎悪される一方、多くの日本人からは無私無欲の殉教者として今も美化されている特攻隊の真の姿を検証しようと試みられたもの」である。
公式ページの「INRODUCTION」に、以下の制作者のメッセージがある。
世界、そして日本の危機に向けてのメッセージ
『戦後60年を過ぎ、当時の証言者たちも高齢にとなって、次第にその記憶が人々から薄れてゆくとともに、世界中が次なる戦争の危機に常に見舞われている現在、日本でも日本でも平和憲法の改正が唱えられている。こうした動きはかつて日本が軍国主義の道を歩んでいった経緯と似てはいないだろうか。』
自分も、戦争を知らない世代の一員であるが、映画を見て、全くその通りに思った。
公式ページ「REPORT」のインタビューも必見である。
この会見が、「60年後のアルカイダとアメリカの人間の会談に匹敵する」という感触で臨んだという監督の言葉が印象的だ。
「パラダイス・ナウ」、「出口のない海」ともあわせ見て、考えさせられる映画だった。
「TOKKO-特攻」-公式サイト
二人の女性、一人は戦時中、特攻隊員としての訓練を受けた叔父を持つニューヨーク育ちの日系アメリカ人が監督をし、もう一人は日本で生まれ「ヒロシマ、ナガサキ」について教えられたアメリカ人がプロデューサーとなって出来たインタビュー中心のドキュメンタリー映画。
インタビューの間に挿入された映像も生々しく、衝撃力がある。
期せずして《生き残ってしまった》特攻隊員は今まで多くを語らなかった。というより、自分の過去を証されることから避けていた。
その人たちが語り始めた。
本当は生きていたかった。
死にたくはなかった。
一方、特攻隊に撃沈された相手方の艦船の乗組員の証言もある。
怖くてたまらなかった。
正気の人間のすることとは思えなかった。
この映画のねらいは、制作者らが語っているように、
「欧米では自爆テロの先駆者として憎悪される一方、多くの日本人からは無私無欲の殉教者として今も美化されている特攻隊の真の姿を検証しようと試みられたもの」である。
公式ページの「INRODUCTION」に、以下の制作者のメッセージがある。
世界、そして日本の危機に向けてのメッセージ
『戦後60年を過ぎ、当時の証言者たちも高齢にとなって、次第にその記憶が人々から薄れてゆくとともに、世界中が次なる戦争の危機に常に見舞われている現在、日本でも日本でも平和憲法の改正が唱えられている。こうした動きはかつて日本が軍国主義の道を歩んでいった経緯と似てはいないだろうか。』
自分も、戦争を知らない世代の一員であるが、映画を見て、全くその通りに思った。
公式ページ「REPORT」のインタビューも必見である。
この会見が、「60年後のアルカイダとアメリカの人間の会談に匹敵する」という感触で臨んだという監督の言葉が印象的だ。
「パラダイス・ナウ」、「出口のない海」ともあわせ見て、考えさせられる映画だった。
「TOKKO-特攻」-公式サイト