
【2013年3月24日】 京都シネマ
イタリア・ローマ近郊に実在する『レビッビア刑務所』で実際の重罪犯が劇を演じ、それが一般市民に公開されているという。
今回上演する劇はシェークスピアの『ジュリアス・シーザー』。所内でオーディションが始まり配役が決められていく。ここまではいい。
しかし、実際に収監されている囚人が《本当の出来事として》劇を演じて、一般に公開しているなら、それなりの緊迫感や運営上の困難やトラブル、問題点がもっと表現されてもいいのに、そういったことがほとんど伝わってこなかった。
別の言い方をすれば、《ドキュメンタリー》なのか《ドキュメンタリー風の映画》なのかはっきりしない。見ていて、話の内容が、どこまでアクターとしての《劇中の台詞》で、どこからが実際のリアクション-《劇外の出来事の描写》なのか、全く区別がつかないから、見る方が迷ってしまうし、緊迫感も感じられない。
映画を見る観客が期待しているのは、囚人の演ずる《完成した演劇》-シェークスピアの『ジュリアス・シーザー』をでなく-それがうまく演じられたかどうかでもなく-それができるまでの《乗り越えてきた問題》-どうして刑務所内で演劇を上演しようという発想が生まれたのかとか、警備上の問題はなかったのかとか、個々の演技をする重罪犯たちが自分の過去と照らし合わせて、何を考えどう思って自分に割り当てられた役割を演じていたのか-そういったことを知りたかったし、映画の中で見たかったのだ。
日本では、刑務所内でこつこつと作られたものが売られるか、慰問に訪れる人の舞台を受け身的に見るのが、せいぜいのところだと思うが、外部の人がその中に入って集団で練習を積み一般に公開するなど、全くの《想像することさえできない》驚きである。
だからこそ予告編を見て、期待していたのだが、映画のできばえには《だいぶがっかり》した。
『塀の中のジュリアス・シーザー』-公式サイト