【2011年8月14日】 京都シネマ
予想していたが、やはり大混雑であった。日本で現役最高齢、99歳の監督作品はやはりインパクトがある。
かつての高名な監督でも、高齢になり晩年の作品になるにしたがってそれ以前の勢いを失い、ピントがぼける傾向があるのが一般的なのに、新藤兼人の場合は全くそれを感じさせない。すごいものである。
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戦争末期。1つの任務が終わった中年兵100人の部隊で、次の戦地をクジで決められる中、一方は戦地に、残りの40人は再び内地での清掃任務。戦地におもむく森川定造は妻から来た”1枚のハガキ”を松山啓太に託し、家を訪ねてほしいと願う。
程なく森川定造、戦死の通知と白木の空の亡骸が届く。
妻の友子は両親に焦がれ、弟の三平を次の夫として受け入れる。
【弟の三平と再婚することに】
三平も定造と同じように、戦地に送り出されるが、やはり兄同様帰らぬ人となる。
一方、松山啓太は、2度3度の”くじ運”にめぐまれ終戦を迎える。しかし、戻った実家には、嫁も父親もいない。夫が死んだとの噂を聞き、父親と恋人同士となった手前、逃げてしまったのだった。
ハガキのことを思い出す松山啓太。定造の実家を訪ねることにする。
ハガキを届け、定造の『ことば』だけを伝えるつもりが、・・・。
【『裸の島』を思い浮かべるシーン 】
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監督と原作、脚本も新藤兼人が受け持っている。すごいエネルギーだ。先日、テレビで『かあべえ』を見たが、いずれも反戦映画であるが、大声で反戦をがなり立てるでもなく、ひしひしと戦争の無情に迫っていく。
以前、『「心」と戦争』【高橋哲哉著、2003年 晶文社刊】という本を読んだ。内容は『愛国心と教育基本法「改正」』との関連や『閣僚の靖国参拝』の問題点、『靖国神社の合祀問題』やそれに変わる『戦没者追悼施設』の問題点など、『戦争』と『教育』と『心』の問題について幅広く論じられているが、『英霊化のメカニズム』という章で次のように書いていることばを思い浮かべる。
『国家のために戦争で死んだ人を英雄化し、国民を新たな戦争に動員するための動機づけにしていくメカニズムは、(中略)近代西欧の国民国家すべてに共通して存在しました。その、日本バージョンが靖国神社、国家神道であったともいえるのです。』(P-202)
『夫や父や息子や兄弟などが戦死したとき、遺族を襲うのはまず愛する者、親しい者を失った「喪」の感情、喪失の悲しみでしょう。ところが、この当然の感情が「国家の物語」のなかでは意図的に加工され、むしろ正反対の幸福感に変えられてしまう・・・(後略)。』(P-215)
(その直後には、一見”民主的人物”と思われいる福沢諭吉の「戦没者大祭典」を推し進めるべきという趣旨の興味深い引用もある。その他、アメリカでの『9・11』直後のアメリカ国民の心理や、日本の現代の若者が『戦争』を自分のものとして考えない風潮を分析していて、なかなか興味深い本だった。一読をお薦めする。)
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私自身も戦争の記憶も体験の無いが、親や先生の話、映画や本で様々な《体験》をするなかで、絶対戦争はいやだ、するべきでないと思う。
多くの人に見てもらいたい映画である。
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新藤兼人が『いのちのレッスン』という本を書いている。監督の半生記を自叙伝風に描いているが、新藤兼人の
人となりを知るのに興味深い本である。【悔恨と残された人生への決意】を偽りのない心情で《ここまで書くか》と
驚かされる本である。
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(『一枚のハガキ』-公式サイト)改め【新藤兼人の軌跡】サイトへ