遊民ヤギ爺

俳句と映画のゆうゆう散歩

四家道(しけみち)

2023-01-24 16:23:19 | 鶴舞公園へ行って来ました
令和5年1月24日(火)

四家道 : しけみち

慶長15年(1610年)、「清洲超え」といって清洲の町から
名古屋の地へ町ぐるみ移転し、名古屋の北部に築城をした。
元禄13年(1700年)に大火が在り、町が消滅。


四家道由来、

その後に街並み保全(防火)と商業活動のため、道路の幅を4間
(約7m)に広げた。その後にこの四家道の名が付いた。
四家道の東側には石垣の上に土蔵を建て(堀川沿い)集荷場に。
道路を挟み反対側(西側)には商家が立ち並んだ。

堀川荷を揚げ、石畳・屋根神様・子守地蔵等を祀り、城下町を
作り上げた。(名古屋市は昭和61年、町並保存地区に指定)
此処から名古屋城へは、真直ぐ北へ約1kmの場所にある。

私の生れた家は名古屋城から西へ約1km、「押切町」に在る。
子供の頃には四家道に隣接する「円頓寺商店街」へよく出かけ、
映画を観た後に、親に連れられ喫茶店に入りアイスクリームを
食べるのが楽しみで、今も思い出に残っている。
当時の円頓寺商店街はとても繁華で、映画館・劇場が多く在り、
皆、挙って出かけていた、、、、。
小学生の頃には、円頓寺の手前の新道(明道町)の菓子問屋街
へ、遠足の菓子を買い求めに、、(今も問屋街は健在する)
この頃には「四家道」は余り知らず、記憶に無い。
数年前から俳句仲間と吟行に訪れる様になり、四家道の所在を
知った。(歴史ある古い街並みが私の生れた場所に在るとは)

吟行で訪れる時には、名駅に近い「浅間神社」に集合する。


小さな社だが、境内には樹齢300年を超す大樟がある。
直ぐ傍に道標があり、其処から先(北)は石畳が続く。


北へ進むと東側は土蔵が連なり、その建物を利用した洒落た
レストランが在る。道路を挟み反対側には古い町家が続く。

町屋の所々に屋根神様が祀られている。



細い路地に入って行くと、袋小路の先に「子守地蔵」が祀ら
れ、時折の風に寄進旗がはためいていた。



再び通りに戻り、北へと進むと「円頓寺商店街」の東端に出
る。右手に直ぐ堀川が在り、ここに五条橋が架かっている。


堀川沿いを真直ぐ北へ1kmほど進むと「名古屋城」が在る。
円頓寺商店街を西へ行くが、商店街は半分程が閉まっていた。

中程に、長久山円頓寺がある。

当時の面影はなく閑散とする。(平日の午前中の所為かも)
商店街を出た所に、郷土の英傑の像(信長、秀吉等)が在る。
織田信長像、

豊臣秀吉像、


今日の1句

三寒の屋根神拝む媼かな   ヤギ爺