田舎人の徒然日記

退職後を故郷で暮す1948年式男の書き散らし

体力ダウン

2021-02-13 | 家庭菜園

▲天気良し。柿の剪定未了

風なく暖かい日だ。
柿の木に栄養補給しようと思い立った。
一輪車に鶏糞や鍬、シャベルなどを積み込んで出発。


▲こんなに道具は要らなんだ

柿の木の周囲に溝を掘って鶏糞を入れ埋め戻すだけのこと。
しかし、直ぐに腰の周りがだるくなる。
腰痛再発の気配あり。
それに足もだるい。

あかん。
コロナで家籠りしてる間に体力が落ちとるやないか。
ここまでとは・・・。
目的は達したが意気消沈の帰宅。
何とかせにゃいかん。

梅はまだ満開とはいかず

2021-02-12 | 日々の暮し
PCのマウス、天麩羅の油飛び防止金網、物干し用具を買いに出る。
マウスはコード式の方が半額近くなので迷わずそれ。
本日はスーパー系なし。

終わってから又も梅の様子見に。
もう少し待つ方が見頃だったが駐車場は満杯だった。

後は次の会議で説明する資料作りの続き。
コロナで開催できず郵送する可能性がある。
そうなれば口頭説明ができないので念入りに書いておく必要があり気を使う。


▲枝垂れ梅。未だ見頃ではない


▲ここも未だ早い感じ

例の太陽光発電で光る照明が地面から植木鉢に移動されていた。
カミサンの仕業。

自由に移動できるようになった。
こまごまとやっている。


▲手軽に何処へでも移動可になった

(なんじゃらホイ)
それにしてもオリ・パラ組織委員会長の件はお粗末だった。
そもそも川淵氏には会長になれる資格がなかった(理事でない)!

にもかかわらず森会長が就任を打診してしまったミスがドタバタの始まりでないか?
一方、受けた側は、困っているならオレが・・・と早合点してしまったのかもしれない。
今日、氏は「全てボクが悪い」と総括した。

ま、火中の栗を拾わなくて済んだから選手村「村長」さんに専念してもらおう。
現在、新会長候補に橋本五輪相が浮上とか。
それにしても、五輪開催、どうなるんでしょうなあ。

オリ・パラ組織委会長辞任するも後任者の仕事は厳しかろう

2021-02-11 | 日々の暮し
現在、孫は雑巾絞りや食器洗いの手ほどき受けている。
初めてというのは見ていても新鮮でいい。
そこへいくとこちらは・・・マンネリ。


▲雑巾絞りの特訓中

今回も話が変わる(以下敬称略)。
東京オリ・パラ組織委員会の森喜朗会長(83)が辞意を固めたようだ。
後任には日本サッカー協会元会長の川淵三郎(84)で調整しているという。
五輪開幕まで残り半年を切った。
開催の可否は不透明だ。
こんな時期にトップが交代する事態は開催準備がさらに混迷を深めるとみられている。

まだ後任が決まったわけではないが候補に名のあがっている「川淵三郎」の人となりについてボクのスクラップ帳に次のようなものがある。
スポーツジャーナリストの二宮 清純を取材した時に語られたものだ。

(以下引用。但し原文編集)
サッカーをプロ化するか否かの会議で幹部から「時期尚早」「前例がない」との意見が出てプロ化が見送られそうな雰囲気になっている時だった。
今までの議論が何だったのか空しい気持ちに覆われていた時、川淵三郎が立ち上がって言った。

「時期尚早という人間は100年経っても時期尚早と言う。前例がないという人間は200年経っても前例がないと言う」

さらに続けて言う。
「そもそも時期尚早という人間は、やる気がないということなんだ。でも、私にはやる気がありませんとは情けなくて言えないから、時期尚早と言う言葉でごまかそうとする。前例がないという人間は、私にはアイデアがないということなんだ。でも、私にはアイデアがありませんとは恥ずかしくて言えないから前例がないという言葉で逃げようとする。大体仕事のできない者を見てみろ。自らの仕事に誇りと責任をもてない人間を見てみろ。次から次へとできない理由ばっかり探し出してくるだろう。仕事というものは、できないことにチャレンジをして、できるようにしてみせることを言うんだ」

この言葉がきっかけになり、もう一度サッカーのプロ化に向かって頑張ってみようじゃないかとという機運が再びみなぎってきた。
その結果1992年秋にJリーグの公式戦、カップ戦がスタートし93年の春にはレギュラーシーズンがスタートした。
(引用終わり)

なお、この中で二宮清純は21世紀のリーダーシップは次のものだと言っている。
第1にパッション(情熱)
第2にミッション(使命感)
第3にアクション(行動力)

川淵三郎は現在84歳で森喜朗より更に1歳上だ。
現在の体力、気力は当人が知っている。
情熱、使命感、行動力が今も盛んかな?
困難な仕事を引き受けるのか否か気になるところである。

足元の注意喚起目印くらいには

2021-02-10 | 日々の暮し
コロナ感染者数が減少傾向に入っているようだが死者数は相変わらず。
病床数も楽観できない。
ここで緊急事態宣言を解除したら元の状態に戻る可能性が少なくない。
まだまだ楽観的希望は持てないから厳しめくらいの対処がいい。


▲これ2本更新

太陽光発電で光る照明?器具を新しいものに替えた。
ホームセンターで売られているやつだ。
ただし、照明という程の効果はない。
何しろ蓄電池は単三の1.2Vである。

石など障害物がある辺りに置いておけば夜、歩く時の注意喚起くらいにはなる。
強いていえばインテリア。
2本買った。


▲夜、自動点灯。明るさは期待しない方がいい

PCのマウスの調子が悪いので買う予定だったが忘れた。
カミサンが梅の花を見に行こうと急かしたからだ。
マウスなしでの操作はイライラする。
只今、イライラ中であります。

毎年毎年なぜお前らは咲かぬのか

2021-02-09 | 日々の暮し

▲毎年、葉が茂るのに花がつかない

畑にある水仙は毎年、葉は茂るのに花が咲かない。
何が不足しているのか。
日光不足、水分不足、窒素過多、冬の寒さ不足等は考えにくい。


▲放っておいても咲いている裏庭の水仙

思い当たることが一つある。
茎、葉を切ってしまっては駄目と誰かが言っていた。

毎年夏頃に畑の草刈りをする時、萎れたようになっている水仙も刈っているのだ。
その方がいい葉が出ると思うからだが、これがいけないのかも知れない。

放っておいても咲く庭の水仙を考えるとその可能性があるのではと思う。
下手に手を入れて壊してしまっていることもあろう。
試しに今年は刈らないでおこうと思うがその頃には忘れて、勢いで切っているかも。

帰ってきたのか?そっくりさんがいた

2021-02-08 | 日々の暮し
慈光院の梅が咲いていた。
そういう時期になっている。


▲県道から慈光院庭の梅が見えた

話しが変わる。
世の中にはそっくりな人がいるものだ。

今日もユーチューブを徘徊した。
昨日の続きで島津亜矢の歌を聴いていた。
「望郷じょんから」で驚いた。
彼女の後ろに並ぶ三味線の男性の1人が12月に亡くなったT氏とそっくりなのだ。

T氏は元銀行マンで退職後は地元でいろいろ活動されていた。
偶然会ったある会議で意気投合し、氏の車で家まで送ってもらったことがある。
物静かな人であった。

その後、氏は余命宣告を受けたと聞いた。
そして昨年12月に旅立たれたのであった。
あっという間のことだった。
もうこの世にいないとは信じられない。
歌の文句じゃないけれど、切ないよ、切ないね・・・だ。
合掌

意外なところで氏を思い出すきっかけに出会ったのだった。

「望郷じょんから」島津亜矢(オリジナル=細川たかし)

もやもやの日曜日

2021-02-07 | 日々の暮し

▲先日のチューリップはここまで成長

朝、来客あり。
用件は某組織の役員に関することだった。
丁重にお断りした。
先日は某管理団体の仕事を引き受けてくれないかというのがあった。
これもお断りした。

今の幾つかの担当で手一杯でこれ以上増えると全部が中途半端になると思ったからだ。
高齢化が進み、なり手を探すのが困難になっているのは分かる。
だが、責任を全うすることができないと思うものは受けないのも責任だ。

その話をカミサンにすると、皆のお世話になっているのだから無下に断るのはどうかという。
(それなら君がやれ)
そのくせ、何でも引き受けてくると文句を言う時がある。
どうなっとるんじゃい。
ま、これは自分の問題だから自分で決めるけど。
いよいよピンチという時はやるわい!

そんなこんなでもやもや感の漂う日曜日になってしまった。
今日は「麒麟がくる」の最終回。
光秀ならどう考えるかな?

恐竜を引き連れて

2021-02-06 | 日々の暮し
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」が明日いよいよ最終回を迎える。
定説とされてきた光秀像に疑問が出ている昨今、どんな結末にするのか興味の湧くところだ。

孫娘も麒麟を引っ張っている。
ではなく、これは恐竜。


▲ピンクピンクの恐竜を連れて

母親に作ってもらった恐竜を散歩させている図とのこと。
首はヤクルトの容器を繋ぎ車輪は容器を輪切りにしたもののようだ。

それだけでない。
着ているパーカーも恐竜だ。
恐竜大好き人間になっている。


▲恐竜パーカー

やがて雛祭りの時期が来る。
これまで色紙の人形を飾っているので、本物をプレゼントしようかとも思うが恐竜に負けるかも知れない。
ま、ジイ・バアもそれなりに考えているのだが、どうしたものか。

カワウソのような顔を解消

2021-02-05 | 日々の暮し
フキノトウが一つ顔を出した。
今年も熱い御飯とフキ味噌の時期が近づいた。


▲世間の様子うかがいに先駆者一つが顔をだす

「カワウソの顔になってるで」とカミサンが言う。
可愛いという意味ではない。
髭を剃れということだ。



屋外では常にマスクをしているから顔の状態など他人に分からない。
カミソリの替刃が無くなっていることもある。
コロナマスクの意外な効用を感じていた。

しつっこくカワウソ発言が出るので髭を剃った。
錆の出だした刃でやるものだから時間がかかるわ痛いわで往生した。
だが何とかカワウソ状態を脱した。
ただ、ずぼらをかまして湯舟の中で剃ったのがいけなかった。
湯に髭の破片が沢山浮かんでいたと注意を受けた。

ところで、替刃というのは生活必需品のようなものだが、何故、値が張るものなのか。
ホテルに置いてある使い捨てカミソリだと皮膚まで切ってしまうことがあるが、この差かいな。
頭髪は薄くなるのに髭はそうならずで面倒だ。

あれからどれだけ豊かになれただろう

2021-02-04 | 日々の暮し
2日の朝刊に土門拳の写真集の広告があった。
使われている写真は教室で弁当を食べる筑豊炭田に暮す子たちだ。
弁当のない子はその間、雑誌を読んで過ごす。
遠くなる昭和のワンシーンだ。


▲1959年(昭和34)は62年前

それから62年、令和の時代。
国民はどれだけ豊かになれただろう。
様々な犯罪をみれば物質的にも精神的にもあまり豊かになっていそうにない。
便利な社会になっただけでないか。

昭和の団塊人としてはこういう写真に弱い。
考えさせられた。
土門拳なら現代をどう写すだろうか。

恥ずかしながら「蹴出し」が何かを今頃知った

2021-02-03 | 日々の暮し
時代小説を読んでいると「蹴出し」という言葉に時々出会う。
着衣の一部だろうと推測するも何かは分からない。
無視して読み進んでいた。
それが団鬼六の「鬼六の不養生訓」を読んでいて分かった。


▲今日は立春。チューリップの蕾を発見。これ「鴇色」というのかな

彼が新聞社に渡した原稿に次の表現があった。
「風に煽られて裾前がはだけ鴇色(ときいろ)の蹴出し(けだし)がチラとのぞいた」

編集の若者から「鴇色の蹴出し」とは何かと聞いてきた。
そこで、氏は蹴出しとは湯文字、つまり腰巻の事、鴇色とは薄紅色だと教えた。
編集者は新聞小説なのでもっと分かりやすい言葉を使ってもらえないかと言った。
結局、新聞では「ピンクの腰巻」と直されていた。

この部分で蹴出しとは腰巻のことであることを恥ずかしながら今日知ったのであった。
ま、男が身につけるものでないから知らんで不思議はないか。
本読みの小さな成果だった。

巻き寿司を買う

2021-02-02 | 日々の暮し

▲スーパー横でスズメが集会をしていた

節分だ。
巻き寿司とイワシを買ってきた。
イワシは数匹をパックにしてあるが、多過ぎるので2店を梯子。
昔、自転車で売りに来た魚屋は一匹でも売ってくれたのになあ。

店内に恵方巻き、今年は南南東との案内が流れていた。
日本のあちこちで南南東を向いて寿司を食っている図は滑稽だろうな。

夕食時、巻き寿司は輪切れになって食卓にあった。
恵方巻きでなくなった。
南南東を向く必要がなくなったので普通に寿司とイワシを食った。
まあ、それで十分。

ミャンマー軍もトランプ前大統領も「不正選挙」を主張

2021-02-02 | 日々の暮し

▲波乱万丈の人生を歩むノーベル平和賞受賞者

昨日、ミャンマーでクーデターが発生した。
国軍総司令官が政府トップになり1年間の国家非常事態を宣言。
与党・国民民主連盟(NLD)を率いるアウン・サン・スー・チー国家顧問が同党のメンバーらとともに拘束された。


▲利害関係人が調査するのか?先に結論ありきのようなもの

ミャンマーでは昨年11月の総選挙で、国民民主連盟(NLD)が単独過半数の議席を得た。
議席を減らした国軍系の連邦団結発展党(USDP)や国軍は結果に異議を主張。
最高裁に大統領や選挙管理委員長への不服を申し立てると共に不正選挙について「行動する」と主張。
その「行動」が今回のクーデターだ。


▲こういうことらしい

大統領選で不正があったと主張するトランプ前大統領のケースを連想する。
裁判所に不正選挙を提訴するもいずれも退けられたが主張は変えていない。
トランプ氏は演説で「議会に選挙結果を認めさせるな。議事堂へ行こう」などと扇動し支持者が議事堂に乱入した。
その頃、SNS上には今にも「軍出動」の気配まで漂った。
まるでクーデターでも起こるようなムードが作られていた。
当然、今のところ何も起こっていないが。

武力を行使できる者は一時的に強い。
日本においても自衛隊の文民統制がいかに大切かが分かるというもの。
議員の皆様方におかれては常に留意しておいていただきたいものである。

猫の記憶

2021-02-01 | 日々の暮し
スーパー駐車場の隅に猫がいた。
猫で思い出すことがある。


▲スーパー駐車場で時々見かける猫

昔、家に黒い牝猫がいた。
それが冬に子を産んだ。
物置の人目につかぬところでの出産だった。
触ってはいけないと思い知らぬふりをしていた。
人が子に触れると親がその子猫を処分すると聞いていたからだ。

ところがである。
朝、目が覚めると布団の中に子が全て運ばれていた。
寝返りで押し潰す危険があるが無事だった。
腕に触れる子猫の毛のない皮膚の感触が気持ち悪かった。
布団の中は危険なので座布団を敷いた箱を部屋の隅に置き子猫を収容した。

生まれた子猫は一匹だけ貰い手がなく家に残った。
仕方ないので育てることにした。
しばらくすると親猫は家を出て行った。
(親子同居が嫌なのか?)

ところが家の近くを歩いていると何処からか現われ、鳴きながら塀の上をついてくる。
だが、決して家の中には入ろうとせず、何処かに姿を消すのだった。
そんなことがしばらく続き、やがて姿を見せなくなった。

あの時、探し出して無理にでも連れ帰らなかったのは薄情だったのか気になった。
だが、毎日の仕事に追われ、やがてそれも忘れてしまった。

猫を見るとそうしたことを今も思い起す。
あれは猫を超えた同居人だったと思う。
今も記憶に残っている。